第0―2話 襲撃②

 街の外れに佇む家の近くには庭兼畑があり、レタスやトマトなど畑には旬の野菜が収穫時期を迎えている。その周りにある風景はどれも同じ。緑の濃い深い森が鳥籠のように二階建ての家を囲んでいる。そんな木々に包囲された我が家を出た雄臣は、白い息を吐いて目だけを動かし周囲を見渡す。


「……よし」


 何も異常がないことを確認すると、フードを深々と頭に被り、森の入り口に足を踏み入れた。


(……理想のために僕は戦う。平和のために、美楚乃のために……)


 理由なくして人は戦えない。それが青年が戦うための動機、理由である。――瞬間、妹には見せたことのない表情に切り替わる。その紺色じみた黒い瞳は、ただ悪を見付けるための器官となり、希望を抱く胸の内は、戦う覚悟だけを強く宿していた。


……

………


 今となっては遠い昔のようにも思える出来事だが、忘れることは絶対にない。

 戦乙女テンシと人間の成り果てとの攻防があった夜のこと。見渡す地上は一面の焼け野原と亡骸。だというのに、見上げた夜空には煌めく流れ星のような光の粒たちがひたすら降り注いでいたことを覚えている。そして、流星だと思っていた光の粒が幼い美楚乃を抱きかかえていた僕の頭上へ落ちてきたのだ。眩い光の粒子たち。その光の奔流は僕の全細胞、全血液に流れ、溶け込み、次の瞬間、身体の奥底から力が湧き上がってくるのを実感した。何でもできるんじゃないかって思えるくらいに。


 夜が明けた頃には、もう戦いは終わっていた。戦いに負けたのか、勝ったのか分からぬまま、けれど何もかも終わっていた。かつての近代都市の真似事をして、文明を発展させてきた街も社会も世界も跡形もなく廃れて、どうしようもない時代に突入した。

 だがそれでも人間だけは数を減らしながらも懸命に生きていた。また一から人間の活動が始まる。もう何も生まれない。天敵となるものは生まれない。生まれるものは人間だけだ。


 だというのに、人間は愚かだった。人間同士の争いが始まったのだ。


 後に分かったことだが、生き残った人間の中には、魔法を扱える者と扱えない者の二パターンで分かれていた。だから、魔法を使える者が強者となり、使えない者が弱者となる構図は事の成り行き上、自然と成立した。


 無法地帯の世界で、魔法使い《隠修士》は無慈悲で残酷な仕打ちを容赦なく弱者に与えた。女、子ども関係なく、娼婦、奴隷、人身売買と扱われ……言われるがまま、されるがまま、欲望のままに好き勝手に愚弄され、蹂躙されるのが新たな世界の形となっていた。勿論、弱者だってこの状況に黙ってなどいない。


 反乱の時代。動乱の時代。どこもかしこも争いばかりだ。


 兵器と呼べるようなものが存在しない時代で、人を殺すには、己の手で殺す手段しかない。しかし、そんなものは理性と冷静さがあれば戦う前から分かりきっていたことだ。弱者が強者に勝てるわけがないことぐらい。


 だって魔法使いは魔法そのものが兵器となる。


 通常の人間に勝てる道理など微塵もない。二者間の戦力差は明らかだ。村の弱者が集団となって戦おうとも、どれほど強い反抗心を抱こうとも、一瞬で虐殺されるのが世の常。


 炎に溶かされた者。

 自然の養分にされた者。

 氷に圧し潰された者。

 骨ごと捻じ曲げられた者。

 未知なる召喚生物に捕食された者。


 他にも……ありとあらゆる殺され方をした。そんな死に際を戦場で嫌な程たくさん見てきた。


 反乱あるところへ僕は駆け付けた。何度も何度も、何度も何度も、赴いた。だが結末は毎回、同じようなものだった。戦場には死ばかりだ。救えた者もいたが、助けられなかった者の数の方が多かった。それに僕ができる範囲はここまでだ。授けられた魔法を駆使して、魔法使いと戦う。本当にそれだけだ。だから、力なき彼らの行方が死に直結することは珍しくない。飲み水もろくに確保できなければ、食べるものも少ない。貧しい生活。ひもじい思いをしながら、死に絶えた幼い子どもの死が印象的だった。そう、何処に行こうが、何をしようが、争いは起こり、たとえ逃れても死は存在するのだ。


 いつになったら平和が訪れるのか、おそらく、きっと、唯一生き残った戦乙女でさえ分からないのだろう。

 ただその戦乙女は、魔力そのものをこの世から無くすことで、この世に恒久的な平和が訪れることを思い描いている。その願望が果たして叶うのか、それが正しいのか、僕には分からないし、考えたところで、僕がやることは決まっているし、否定は許されない。


 だって禁忌を犯した僕は、戦乙女の命令に従うだけの、本物の正義とは程遠い存在なのだから。


………

……


 森の中に足を踏み入れてから走り続けて十分強。森林地帯を抜けて辿り着いたのは、廃屋が改築されつつある村のような小さな街。青年が毎日訪れている名無し村の一つだ。この街の住民たちは裕福な暮らしはできないものの、畑を耕し収穫した野菜や果物を交換し合いながら仲睦まじく暮らしている。


 自分も美楚乃を連れて訪れた時には、余所者だからと追いやられることはなく、『よく森を抜けてここまで来られたな』と讃えられたり、『腹減ってないか』と心配されたり、『おすそ分け』と言って野菜をくれたり、皆親切で優しい人間ばかりだった。


(……元来、人間とはそういう生き物のはずなんだ。同じ種同士、殺し合うことなどあってはならない)


 そんなささやかな暮らしを守るために、雄臣は普段通り街を見回った。


 空気に触れる顔は相変わらず冷たい。ここまでくる間に身体を動かして体温は上昇しているはずなのに上着の上からでも寒いことには変わらない。美楚乃が作ってくれたお茶の温かみも、肺に空気を送り込んだ途端、消え去ってしまった。


 とにかく空気が悪い。


 街は霧の底に沈んだように青ざめていて、周りはよく見えない。だから敵と呼べる者の気配を感知するには正直、状況が悪い。魔力の存在がある肌をぴりつかせるような感覚も冬の寒さにやられていて、殆ど役に立っていない。


(まあ、そもそも異常が見られないということも考えられるが)


 草の茂る道を歩きながら、ふと見上げた。昼だと言うのに、空は時間の感覚が狂うくらい厚い雲に覆われていて薄暗い。


(雪が降りそうだな)


 内心、しまったと思った。こんなにも天候が悪いとは思わなかった。魔力反応が期待できない以上、異常はないか街の隅々まで自分の目で確認する必要がある。その分、一つの街に掛けられる時間も土地の規模で多少変わると思うが、普段の倍以上の時間を掛けて巡回しないといけなくなる。


 このまま天候が晴れない限り、帰りが遅くなるのは否めないと、人通りのない家と家が建ち並ぶ入り組んだ道を歩く。


 街の中心部から遠ざかる場所にある家々は、どれも荒廃していて、自然力の風化していく跡が見えた。古びた壁の塗料。壊れた塀に倒壊した家屋。街の外れに佇む家々は、見捨てられた焦燥感と悲壮感を漂わせている。


 雄臣は住民の気配を求めて歩き続けた。

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