第0―3話 襲撃③

「……いない」


 市街地にあたる街の中心部に行けば、いずれ人に会えると思っていたが、依然として静寂していて、人が暮らしている気配はまるでない。


 この寒さと視界の悪さからして皆、家で過ごしているのだろうか。いつもなら人を見かけるのに、街に入ってからまだ誰とも立ち会わせていない。


 適当に家のドアをコンコンコンとノックしてみたが、反応らしきものはない。住民の顔が見られないと次の街に行けない雄臣はそんなこんなで十五分近く立ち往生していた。


(おかしい。どこの家も反応がない)


 違和感と疑心が募り出す。

 ふと灰色の陽射しで深い霧が晴れ、次第に視界が開けていった。


「――」


 あれは何だろう。

 キラリと輝く紅い何か。

 目を奪われたそれは、紅くて大きくて鉱石ではない、どこか異質でどこか特別な何か。

 おそらくこの地球上どこを探しても見つかりはしないだろう初めて見る何か。


 雄臣は惹き付けられたようにその物体へ駆け寄る。だが次第に歩を進める速度は遅くなっていく。


「……赤い像……いや、あれは……」


 見落としていたのか、家のドアの前で物置きのように倒れ込んでいる赤いソレ。

 よくよく見るとなぜかそれは頭や手足……。

 それが人間だと気づくことに数秒かかった。


「これは一体、どういうだ」


 赤いソレは人の血だった。黄土色のソレは人の骨だった。

 雄臣は膝を付き、一体の血液を観察した。見た限りその血液は液体ではなく、固体、である。人が這いずったカタチのまま、ぬめりのある血液の塊となっている。その様は、身体全身、赤いペンキで塗りたくられたかのようだった。


「……うそだ」


 視野を広げれば、他にも様々なカタチをした血液の凝固体が、あちらこちらに乱立していた。


 直立不動。

 仰向け。

 うつ伏せ。

 外で確認できるものはすべて赤い蝋人形。

 どの像も痛みにのたうち回ったような形跡。

 雄臣は急いで生存者を確認する。

 手あたり次第、家の中を確認するが、どれもこれも全部、ソレ。


(一軒一軒、律儀に殺し回ったっていうのか?)


 畑地や広場にも駆け付けた。


 でも人間は全部血に固まったまま死んでいる。畑を耕している時に殺された人間。広場で仲睦まじく遊んでいる時に殺された子どもたち。


(誰も生きていないのか。逃げ延びた人ぐらい、一人ぐらいいるだろっ)


 無我夢中で失くしたものを探すように、細い路地裏を、人が通りそうにもない細い道を懸命に捜した。でも生きている人間は見つからなかった。


「……っああ、あああ!」


 心から込み上げてくる悲壮感は首を絞められたかのような憤り。

 その憤りは次の瞬間、驚愕へと変わった。


 雄臣の目に映っていた死体は、熱に耐え切れなくなったチョコレートみたいにドロドロに溶け始める。

 他の死体も同様、みるみる溶けていき、やがて広がった液体が大地を赤々に装飾し、残ったのは模型と化した人の骨だけだった。


 雄臣は立ち尽くす。その光景を呆然と見ることしかできなかった。

 不甲斐ない自分への怒り。

 血が滲み出る。爪で皮膚が抉れるぐらいに拳を握りしめ、怒りを露わにした。


「でも悪いのはお前だ。……元凶、そこに居るんだろっ!」


 伽藍洞となった町に雄臣の声が轟いた。

 身体は既に動いていた。


(赤い死体……あれはおそらく熱による重度の火傷)


 雄臣は死体の状態から術者が扱う魔法を推測する。

 死体は体毛もなく、皮膚もなかった。顔は蝋のような血で覆われていて、目や鼻は確認できず、口は開いたまま、不気味な能面みたいになっていた。


(血と熱……)


 骨以外すべて血液と化した死。

 軽い音を立てながら崩れていく人骨をよそに、市街地を疾走した。固体から液体に変わるまでどれ程の時間経過か、分からない。だが、死体の進行具合からして、敵はまだ近くにいる。その可能性が高い。


(いや、たとえ遅かろうとも逃がさない。絶対に)


 雄臣は流れる身のこなしで霧を払い除け、走り抜く。

 いるとしたら中心街ではなく既に人が住まなくなった廃墟街。

 とにかく迷いの森に逃げられたらいかに森を熟知している雄臣でも手に負えなくなるのは否めない。

 目を動かし、辺りを入念深く見渡す。二キロ先にある迷いの森を一分も掛からない速度で走っている道中、雄臣は見た。


「おいっ! 待ちあがれ」


 人影らしきものを視認して、声を上げた。


「……」


 五メートル先、ゆったりと歩くそいつの足が止まり、雄臣も立ち止まった。そいつの周りには逃げ延びようとした住民の骸。時すでに遅く、今まさに殺された三人の命。赤ん坊を抱えながら死んだ母親と幼いもう一人の子ども。


「好き勝手殺したまま、逃げられると思うなよ」


 殺気ある声で、この街の住民を皆殺しにした者を呼び止める。


「えぇ? 何のことですかぁ?」


 振り返ったそいつは、雪が降りそうなくらい寒いのに、上半身、裸。痩せ細った長身の男は、男にしては高い声で訊き返した。


「惚けるな。その返り血、どう説明する」


 男の頬には、雫のような血が流れていた。


「ふぅんふぅん。あ、もしかして、この街の中に殺しちゃいけない人間でもいたぁ?」


 誤魔化せないと思ったのか、開き直った男はいやな笑みを表情に含ませていた。


「そうじゃない」

「じゃあ、何でそんなに怒ってるのかな? 見知らぬ人間が何されようが、君にとってはどうでもいいはずなのに」


 歌うように馬鹿げたことを言うこいつに罪の意識はないどころか、事の深刻さを感じていない。

 倫理と道徳が欠如している人間が、圧倒的な力を手にするとこうなる。逆もまた然りだろう。この人間に何を言っても通じはしない。


「なぜ殺した?」

「理由? 理由、理由、理由理由理由理由……えっと、そうだな~、下等な生物はいらないかなって」


 極めて軽く適当に言い放った。


「下等……。人間、皆同じだと言うのに」

「えぇ⁉ 同じじゃないっしょ」


 男はギョロっと目を見開き、驚きの声を上げた。


「性別、容姿、色、性格、形が違うように、この世に同じ人間は一人たりともいない。そしてその違いの一つに力を持つ者と持たぬ者が存在する。ほら、後者が古く劣った人間たち、だろ?」

「馬鹿馬鹿しい。お前の考えが古く劣っている。仮に才に恵まれた人間がいようとも、それが他者を無差別に傷つけていい理由にはならない。己が他者に比べて秀でていると思うなら、その力は世のため人のために使うべきだ」

「そうかぁ~? そうかなぁ~? 分かんねえやぁ~。それがなぜ良いことなのか、はは、はは、はははははっ」


 考えを放棄した男は、腰がへし折れたかのように大きく仰け反り、嗤い出した。


「じゃあ、なにさ。君は無差別に殺した僕のこと、殺しに来たって言うの? それって、僕とやってること、あんま変わんなくない?」


 背骨が鉄の棒に変わったかのように背筋をピンと伸ばした男は、さらに首を直角に傾げながら問いかけた。


「いや違うな」


 雄臣はそれを端的に否定した。


「この世には、罪と罰がある」

「ほぇ?」

「つまり、殺した罪の代償に、お前の死という罰がある」

「ははっ。やっぱ、殺すんじゃんっ。ってことはさ、君の中でその殺しは正しいものだと認識してるんだね」

「いや、最終的に罰するのは僕じゃない」

「ん?」

「……ただ、君の力量次第では、最悪、殺してしまうかもしれないな」

「ふぅむ、よくわかんないけど、要するに戦うことには変わりないってことっしょ?」


 男は頬に付いた血を、長い舌で絡めとった。


「いいよー。やろうよ。同じように血の彫刻にしてあげるから! 魅せてくれよ、たった一つの最高の出来をさ!」


 自分の声に酔うように言って男は瞳をへの字に、口元をⅤの字のように口元を吊り上げた。その歪んだ笑みは不快でしかない。


「……」


 敵対者が狂気的な笑みを見せる一方、感情を一度リセットした雄臣は無表情であり、その目はさながら夜の海。


「Blood Outburst!」


 発する単語が働きかける。それは死んだ三体の血液に。ジュッと熱々の鉄板に肉が焼かれるような音がして、その赤い遺体は風船のように身体の中にたっぷりと含んだ血液を膨張させながら――破裂した。


「からの~」


 そいつは楽しそうに次なる呪文を唱える。


「Control!」


 瞬間、地面や壁際、あちらこちらにへばり付いた血液は生き物のように、影のように拡張し、雄臣を吞み込みにかかった。


「――――」


 その動きは確かに速い。だがその現象に雄臣は眉間の一つ動かさず膝を付き、地に手を添え――。


「Heavenly benefit to my slavery《我が隷属に天の恩恵を》」


 ――天から授かった魔法を受理させ、展開させた。


 アラベスク模様のようなまどかが雄臣を中心にして広がり出す。


「⁉」


 男が驚きの声を上げた。


 人間には発声できない異音。前触れは凄まじい大地の揺れと地割れに変わり、それは天変地異を彷彿させる。いや、まさしくそれは天変地異だった。荒れ果てた大地に潜むは神秘の大自然。地表から突き出た巨大樹が雄臣を上空へ押し上げ、血の波を可憐に回避した。

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