第0―3話 襲撃③
雄臣は二十メートルほどの高さから見下ろす。
「やはり、血液を操るか」
地上は辺り一面、真っ赤に染まり、血の海になっている。雄臣は冷静な観察眼でその状況を把握する。
(呪文の詠唱から、物事が展開されるまで一秒と時間を必要としなかった。そして、殺した住民の血を利用できるあたり、おそらく死んだ住民の血には彼の血が混合している。どうやって血を住民の体内に……)
雄臣がその経緯を考えている間、「■■■■」見上げた男が口を開き、何やら唱えた。
「!」
一変。血は炎に変異した。魔法によって急成長した巨大樹が、ミキミキと音を立てながら勢いよく燃え上がる。血液は爆ぜる。地面から揺らめき立ち昇る蜃気楼のように、赤い炎が大地を埋め尽くし、聳え立つ大木だけを爛々とした炎が浸食していく。
「ははっ。残念だったね。自然操作に炎は相性が悪いようだ」
勝利を確信したかのように得意げに話す男に対して、雄臣は黙ったままだ。焦げた匂いと血の匂いを含んだ黒煙。雄臣は口元を覆い、もう片方の手を力強く握りしめた。
立ち昇る炎は、周囲の酸素を奪い付くし、雄臣の思考を削ぎ落とす。炎の血液はまるで大樹を喰うように一瞬にしてすべてを丸呑みにした。
…
火山地帯のように燃える血の中で生きる生命はいない。一度燃えれば、死滅するまで燃え続ける。その燃える音はまるで怨嗟の声。そして最後に残るのは、灰ではなく、形を保ったまま真っ赤に彩られる焼死体。それが普通の炎と違うところであり、薔薇のようにとても綺麗な人の花を咲かせる。
男は指をくわえ、心の奥底から込み上げてくるワクワクで胸がドキドキしていた。一体、どんな姿で死んでいるのかを。
だが、男は見た。炎が燃え尽きた後、黒煙の中から平然と姿を現した青年の怪奇な姿を。
「馬鹿な。1000℃を越える炎だぞ」
男は目の前に立つ青年を凝視する。一瞬にして、青年が扱う魔法の正体が看破できなくなった。
「自然を根源とする魔法ではないのか」
…
敵に自身の魔法を公表する莫迦がどこにいるかと、雄臣は無言のまま歩き出す。
「ちっ」
男は舌打ちし、皮膚から突き破って出てきたのは血の管。男は十本ある指先からうねうねと、だけど硬そうな血管を生やした。
(そうか。その血管を使って住民に自分の血を打ち込んだか……二つ管があるということは、送り込んだり、吸い込んだりできるってことか? 気持ちの悪い)
推察は以上。
対して男は奏者のように指を動かした。それに連動した血管は、様々な角度で曲がりながら雄臣を襲撃する。
だがそんなものは雄臣にとってみれば、ノロマでしかない。一直線に最高速度で、一つ二つワンテンポで遅れて、家屋の壁や地面に当たりながらジグザグに、どれもパターンは違うが、最終的な標的はどれも一緒で。
(不意を狙った方がまだ勝ち目があっただろうに)
一本の枝を拾った。
雄臣が拾えば、たとえ落ちた木の枝でさえも、それは鉄のように硬く、ナイフのように鋭い武器となる。
迫りゆく血管に対して、流れるように枝を走らせ、悉くの血の管を切り裂いていく。
十秒も経たずして男の血管はすべて使い物にならなくなった。
「はぁ~。こりゃあ、たまげたよ」
「大人しく投降しろ」
「ああ、分かったよ…………ってするわけないじゃん。ばかが」
男は瞬時に舌を噛みちぎり、口内に溜まった血を勢いよく吹きかけた。その霧状の血液は空気に触れた瞬間、黒煙となり、男の姿は煙幕で見えなくなる。
「目くらまし。逃げるつもりか。だが――」
盤上を征する者が、勝利を征する。
自分を相手にするということは、地球上に生きるモノ全てを相手にすることを意味する。それを逃げる男は知らない。故に、重力がある限り、奴はしっかりと大地に根を下ろしていて、水平面上から逃れることはできない。
「がっ――」
苦痛に悶える男の声がした。煙の帷の中で、赤く燃える色がした。
身体を突き刺した木の枝を燃やして逃亡を図る。
「無駄だ」
捕まる。
燃やして逃げる。
捕まる。
燃やして逃げる。
何度、自身の燃える血液で樹木による束縛から逃れようとも、何度も何度も緑は地面から芽を生やし、急激に成長し、不死鳥のように同じことを繰り返すだけ。一面に張られた巨大樹による蜘蛛の巣から逃げることは、果てしなく続く大地そのものから逃げることを意味する。つまり、いかに優れた魔法を持ち得ようとも、何処までも続く大自然相手からは逃げられない。
「頃合いだ」
そして、魔力が枯渇し始めた時が、そいつの運の尽き。それはその攻防が時間にして一分経った頃だった。
「ぐ、ははっはははははあ!」
笑いのような悲鳴が上がった。煙が晴れると、男はモズの早贄みたいに心臓を除いた、両腕、両脚、身体全身に根や枝が突き刺さり、蔓や蔦が身体中に絡みついていた。
「死んだ者はもっと痛かったはずだ」
雄臣はぼそりと呟くと、男の元へ近寄った。
「お前の力量では、殺すにも及ばない」
その言葉は魔法を操る人間にとって、屈辱的なもの以外の何ものでもないだろう。雄臣は端から殺すつもりはなかった。そんな彼に殺しをさせたのなら、それは手加減ができないほど強かったことを意味する。故に今男が殺されずに済んでいるのは、単純に弱かったからだ。
「はは、おかしいな。これでも僕、古流魔法の使い手なんだけど」
「自分で自分を買い被るな。お前の使う魔法は古流魔法なんかじゃない。その端くれだ」
雄臣は指を鳴らし、自然の拘束具を解除した。穴の開いた身体からは大量の血が流れ、男は力なくその場に倒れた。
それからして血塗れの手足を蔦で縛り上げると、雄臣はその蔦の端を掴み、そのまま引きずっていく。
「はは、いいねぇ。僕も君みたいな魔法が欲しかったよ」
「……。人間が手にしていいような力じゃない。力に溺れて、大事なものを忘れた結果が、今のお前だ」
「はは、はは、ははははは」
「何がおかしい」
「違うよ、坊や。ただ単純に、優勝劣敗の法則に生きる世界で敗北しただけだよ。世界はそういうふうにできてる」
「黙れ。僕らはそこらにいる動物とは違う。何のための知能と言語か、弁え、律しろ」
「――――」
男の返答がないことに気付いて、雄臣は背後を振り返った。
「……」
その格言を男は聞いてすらいなかった。
自分の世界にでも閉じこもったかのように、男は身体の傷を修復するための深い眠りに入っていた。頭を引きずられながらも、痛みを知らない赤子のように眠っている顔を見て、雄臣は怒りから表情を歪ませる。
街の人間を好き勝手散々殺しておいて、何とも思っていない。街の皆は炎に焙られながら、酷い死に方をしたと言うのに、こいつは苦痛も感じずスヤスヤと眠っている。
「こんな奴、生かして何になるんだ」
蔓を握る手に力が入る。
今すぐ殺してしまいたい感情に襲われる。
だが、その思いは妹の顔を思い出して押しとどまる。殺したところで、何も生まれない。殺してしまったら、命の価値が分からなくなる。戻れなくなる。
「……くそっ。僕はまだ人でありたい……」
雄臣は妹である美楚乃と同じように綺麗な手のまま、純粋な正義の味方でいたいと、なれなくても心の中では思っていたかった。
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