第0―4話 反故

 男を引きずって二時間弱。


 走れば一時間も掛からない距離だったが、男一人分……こいつはどちらかと言えば体重は軽い方だが、それでも50㎏近くある。そんな荷物を運びながら走ることはできず、無駄に時間がかかってしまった。


 雄臣はようやく目的の地に辿り着いた。


 目の前には波風一つ立たない静寂の湖。その湖に浮かぶ小島には、白い花、人間の建築技術をはるかに卓越した白き巨塔が聳え立っている。しかし、その家主曰く天まで届くほど高層だった摩天楼の天辺は大きく半壊していて災害が通り過ぎた後のようである。それでも圧巻される造形美であることには変わらない。そして白き巨塔の小島を中心に架け橋が敷かれていた。


 雄臣は男を引きずりながらその橋を渡る。湖畔に佇む崩壊しかけた大聖堂の入り口に到着して立ち止まった。


「おい、いつまで眠っている。身体の傷はとっくに癒えているはずだ」


 雄臣が冷めた声を発すると、男は間延びした仕草で目を覚ました。


「ふぁ~。ああ、良く寝た良く寝た」


 男は大袈裟に、大胆に表情筋を動かして欠伸した。


「阿保面をかきあがって」

「ははっ。ふははははははっ」


(頭がおかしくなったのか。いや、こいつは初めからおかしい)


 雄臣の内心をからかうかのように、男はわざとらしく笑う。


「……」


 だがそんな見え透いた挑発には意に返さず、聞き流した。


「やっぱ認識が疎外されていたのか。道理で見えないわけだよ、はぁ……」


 白亜の籠城を見て、男は感服した溜息をついた。


「あぁ、愉しみだな。そんな君を従僕として扱う主がどんな奴なのか。この中にいるんだろう? はは、早く会わせてくれよっ!」

「口を慎め」


 塔の入り口前で、雄臣は険しい表情で忠告した。捕縛された状態でもなおこの男は、恐れることなく、それどころかこの状況を楽しんでいる。


「はいはい。忠告どうもどうも」

「っ」


 苛立ちを抑えられない雄臣は乱暴に引きずり、そのまま塔の中に男を放り投げた。


「痛ったぁ、相変わらず酷いなぁ。もう少しお手柔らかにたの――」

「咎人が。いい加減立場を弁えろ」


 雄臣は遠く先、緩やかな階段が続く先、玉座の間にいる者に視線を向けた。同様、視線の先にいる者を見た男は驚嘆のあまり絶句していた。


 大理石で構築された神秘的で静謐とした空間にコツコツと威圧感のある足音が響く。ブーツの音は鋭く、階段を一段一段降りる度、床を踏む音は大きくなっていった。


「はは、ははは、すごい、すごいすごい、傑作だ、完璧すぎて非の打ち所がない造形美だ。初めて生きてるものが綺麗だと思ったよ。ああ、人殺して、ここに連れて来られて、本当によかった!」


 玉座に続く階段をゆったりと降りてくる完全無欠の造りをしたそれは、無慈悲に残忍な殺しをしてきた男から見ても息を呑むほどの美しさだった。


 純白色の長い髪。

 全身を纏う白いドレスのようなワンピース。

 人とは思えぬ可憐な姿をしたそれは奇跡のような白い少女だった。


「はは。どんな奴かと思ったら、ただ美しいだけのちっこいお姫様とはね」


 と言いつつも、男は魅了されたようにまじまじと少女の顔を床に頭を付けながら眺めていた。


 陶器のような色白の肌に、人形のように表情一つ変わらない少女の左目には黒の眼帯が覆われている。そして、白い睫毛に覆われたもう片方の瞳はまるで金剛石のように輝かしいものだった。


「ご苦労様です。タケオミ」


 幼い容姿とは裏腹、白き少女は凛々しい声で青年の名を口にした。


「……それじゃあ、僕はこれで。急いで街を巡回し直さないと」


 外は依然あんな空模様で今何時なのかも検討は付かないが、こんな雲行きの中、また悲劇が繰り返されたら堪ったものではない。


「待ちなさい。まだ、被害の報告を聞いていないです」

「……あ、ああ……」


 壁際で決まりの悪い顔をして返事した。その返事を聞いただけで少女は事の顛末を何となく察しているようだった。


「ははっ、ははははは‼」


 少女を見て胸高鳴ったのか。突然吹き出すように嗤い出した異常者。


「おい、どうしたのかなぁ? ほらほら、早く言いなよ~。誰一人助けられませんでしたって。ハハハ、はあははははははははあはあは」


 頭の螺子がまた一つ外れた異常者は壊れたように嗤い続ける。


「……ほら、言えって、言えよぉ~」


 立ち尽くしたまま、何も言えずじまいでいる雄臣を見て、男は心底楽しそうに唆す。敵の前で自らの失態を報告するほど屈辱的なものはなく、けれど間違いなくあれは自分の失態だ。もっと早くに家を出ていればこんなことにはならなかっただろう。


「ほらほら~、言えって、言われてるぞ~」

「ほざくな、外道」


 少女の殺意が男の笑いを両断させた。


「答えなくてよいです。話は目障りなものを排除してから聞きます。さっさと終わらせましょう」


 罪人の元へ歩み寄る白い影。閃光の煌めきが彼女の右手に灯る。その光は何度見ても目を奪われるくらい神々しく美しく、やがて光は長く細い形状に変わり、斬るための凶器となった。


「おいおいおいおい。随分とトントン拍子に進むじゃないか。少し話でもしないか、いや、したい」


 顕在した白銀の長剣は少女の背丈よりも長く、流麗さと神聖さを兼ね備えた剣を目のあたりにして、男はひどく狼狽する。


「貴様と話すことは何一つありません。罪なるものにはそれ相応の罰を」


 異常者には蔑みを持った冷徹な声と眼差し。少女は蔦で身動きが取れない男の顔面にきっぱりと切っ先を向けた。


「待て待て待てよっ! せめて、僕の名前くらい――」

「罪人の名前に興味はありません。その魔力、還してもらいます」


 見下ろす右目が男の心臓部を捉え、刀を逆手に持ち直す。


「やめろっ!」


 男の最後の訴えも少女の耳には届かない。ここは許しを請う場所でもなければ、罪を償う場所でもない。ここに送られた時点で、そいつの運命は決まっている。故に躊躇なくその切っ先を真っ逆さまに振り下ろした。


「ぐはっ⁉」


 心臓を勢いよく突き刺された男は、刺された衝撃とともに芋虫のように手足を痙攣させた。ビクビクと身体が不自然に反応する中、自身の体内に流れていたはずの力の源流が刀によって吸われていく。授けられた魔力が吸い取られていく度、男の活力、精力は失われていき、刀を引き抜いたその時には、感じたことがないであろう虚脱感と喪失感で、身体は、脳は、停止した。


 少女が握っていた刀は空気に溶け込み、次第に形が見えなくなって、完全に消えていく。


「さて、一先ず耳障りな声と邪魔な耳には届きません。さきの質問に戻りましょう。被害の場所とその規模をあなたの口できちんと報告してください」


 やはり少女はすでに見定めていたようだ。それはたぶん男が告げた事実からではなく、自分の表情や言動を見てそう確信したのだろう。


「……場所は僕が暮らしている家の隣町です。規模……犠牲者の数は二十名ほど、生存者は確認できず……巡回した頃にはもう……誰一人救えませんでした」

「誰一人……。そうですか。近隣ということは、ミソノは無事でしたか?」

「襲撃は僕が家を出る前に起こったことだから、美楚乃は無事だ。でも家が襲撃に遭わなかったのは白雪が張ってくれた結界が役に立ったんだと思う」

「そうですか。……ですが、はぁ。あなたと言う人間が近くに居ながら……いえ、失言でした。致し方ありませんね」


 いや、本当そんな簡単に片づけられるものじゃない。

 見たくなかった、そんな顔。聞きたくなかった、そんな声。

 少女は泣きそうなくらい悲しい表情を見せた。

 その後、黙禱するかのように長い間、瞳を瞑った。


「……」


 雄臣はその悲壮に満ちた瞳を見るのが堪えられなかった。ただ自分の不甲斐なさに目も当てられず、再び顔を床に伏した。

 五分ぐらい長い沈黙が過ぎていく。どんなに懺悔をしたところで死人は帰ってこない。単なる思い上がり。単なる自己満足だ。


「タケオミ、顔を上げてください」


 言われてもう一度顔を上げた。そこにはもう悲しみに暮れている彼女はいなかった。


「いつまでも悲しんでいるわけにはいきませんので切り替えます。切り替えてください」

「…………ああ」

「それと……私からもタケオミに伝えなくてはならないことがあります」

「何だ?」

「その前に、申し訳ありませんがこの罪人を外へ連れていってもらえますか。改心する旨を口から吐かせなければならないのですが、目覚めるまでずっとこいつの顔を見ていたくありませんので」

「……ああ、分かったよ」


 話が終わるまでの間、こいつが目を覚ますまで木にでも括りつけておこう。雄臣は干からびた蚯蚓のように痩せ細った男に近づく。


(……死んだような顔しあがって。生きているだけマシだと思え)


 内心、複雑な思いを抱きながら、雄臣は枷のように手首に繋がれた蔦に手を伸ばした。


「はは……さんざん言っておきながら……結局、殺さないのかよ……」

「っ!」


 気絶から蘇った男がぼそりと世迷言を呟いた。


「ちっこい姫様ぁ……。聞いているかぁ? こんなことしても、何の意味もないぜぇ。……魔力を強制的に奪ったところでねぇ、僕の人間性は奪えない。だから、僕はこれからも人を殺すよ。脚を切断されようが、腕をもがれようが。はは、性根が腐った人間を更生する術でもあればいいのになぁ。ははっ、君のくだらない慈悲のせいでたくさんの人がこれからも死ぬよ? いやもう死んでいるかもねぇ? そうやって今まで多くの悪を見逃してきたんだろう? 正義を掲げる人間とやらは考えが甘っちょろいみたいだな!」


 次第に生気を取り戻した男は、嘲笑しながら大声で語り掛ける。


「だからチミはちっこくて幼い顔してるんだ。全然怖くないねぇ。ほら、殺してみなよ、僕はここにいるぜぇ。おら、おらおら。はは、殺せないだろう? 何も切り捨てられない弱腰が、殺してみ――」


 瞬間、男の首が勢いよく刎ねた。真っ赤な鮮血が首から迸り、その血液が雄臣の顔に降りかかる。雄臣は思わず握っていた蔦を放し、呆然と立ち竦んだ。首なしになった男はまるで壊れた蛇口のよう。流れ出る血液は壊れた水道管のように治まることを知らない。


 ただ流れ出る血液が辺りに広がっていく様を見つめることしかできなかった。


「なん、で。どうして……殺したんだ。確かにこいつは生きる価値もない人間だけど……命は奪わず魔力だけを剝奪するのが僕らの、方針だった、はず、だろ……?」


 雄臣は額に手を当て、困惑しながら疑問を投げかけた。


「実は伝えるべきことはこのことについてです」

「は? このことって、不殺主義だったろう? 今までもこれからも」

「確かに私は不殺主義によるこの世すべての魔力排斥を掲げてきました。ですが、こいつの言う通り、罪人は力を剥奪したところで同じ過ちを繰り返す性分のようです」

「……もしかして罪を赦した奴がまた人を殺めたのか?」

「はい。ですから私も同じ過ちを犯さないよう悪は徹底的に漂白する《殺す》ことにしました」

「じゃあ、今まで僕が捕らえた魔法使いたちは……」

「大半はこいつのように同じ運命を辿ることになりました」


 少女はまるで殺人ロボットのように抑揚のない声で淡々と話す。

 ぐちゅり。

 斬首した刀に付着した血は糸を引いてその刃に染み込んでいき、少女は死に絶えた心臓部にその切っ先を再度突き刺した。


「おい、何してっ!」

「掃除が大変ですから血を吸わせているのです。この刀は生命を血液を魔力を吸い取る。魔力殺し、無還の刀でありながら、別名、吸血の刀でもあるのです」


 その刀はまるで生き物のように男の血液を一滴残らず吸い尽くした。白銀の刀剣は僅かに赤みがかっていて妙に生々しい。残ったのは皮に包まれた骨と肉だけになっていた。


「それで、何か不服に思うことでもありましたか?」


 無残な肉団子になった死体を見つめて少女が言う。


「それで、何か気に障るようなことをしましたか?」


 少女は鞘に収めるかのように具現化させた刀を消し去った。


「いや、だって……それは君と僕が決めた約束事だっただろう!」


 雄臣は声を荒げ、煮え切らない表情を露わにする。

 大きな矛盾を抱えているのは少女の方。この少女は裏切るような子じゃないと思っていたからこその失望感は大きかった。


「……白雪、これから一体、契りはどうするんだ。他人には順守させておいて、君は勝手に破ったんだぞ」


 胸につかえた蟠りを、最大の核心を突いた。


「……ですからこの際、五条の契約の一つである【自身の命が危うい場合を除いての殺生は許されない】を破棄します」

「は?」


 なんて都合の良い話。


「私がとうに破り捨てていたのですから、もっと早くあなたに伝えておくべきでした。あなただけに課す義理もない。悪い人間はその場で殺してしまって構いません。そこはあなたの独断に任せます。……それに今回のように魔力回収のために捕縛し、この場所に罪人を連れて行っては助かる命も助からないでしょう。今日はあなたの異変に気付いて戻ってきましたが、私が毎度この場にいるとも限りません。ですから、殺してしまって結構です。その方が貴方も楽に戦えるでしょう」

「いや、なんでっ。なんでそうなる?」

「? なにか、おかしなところがありましたか?」

「……」


 驚きの余り、雄臣は絶句した。何のための契約だったのか。不殺主義を破り捨て、これからはあんなに嫌っていた滅殺主義を掲げるなんてどうかしている。


「じゃあ、なんだ。今日連れてきたこいつが命乞いをして改心すると誓ったら、白雪はどうしたんだ。どの道殺すつもりだったのか?」

「はい。見境なく殺すつもりでした。本当はあなたにその役をやっていただこうと思っていたのです。ですが目障りは最期まで目障りでしかありませんでしたので、私の刀が先に出てしまいました」


 雄臣は沈黙したまま、だが内心はかつての彼女に戻って欲しい気持ちしかなかった。


「なあ。どうしちゃったんだよ、白雪!」

「どうもしません。私は普通です」

「普通って……見境なく悪は悪だと……それじゃあ、悪は善にはなれないことを自分で証明しているようなものじゃないかっ」


 雄臣は必死に説得するが、鉄のような表情は変わらない。


「私は人間の善性を信じています。信じているから戦っているのです。ですが人の心を読み取ることはできないと分かりました。魔法使いとは言え、根底は人間。そう思っていました。ですが人の心を信じすぎたのがいけなかったようです。嘘をつく者。善人のふりをする者。その場しのぎの者。罪を擦り付ける者。生まれた時から外道な者。人間はミソノのように純粋で誠実で、貴方のように優しく思いやりのある生き物だと心のどこかで思っていましたが、どうやらそうじゃないようです。善には聡いと、悪には疎いと、そんな固定概念で無関係な人間の命をこれ以上危険にさらすことはもうしたくないのです」


 次第に声は悲しく、表情は何だか辛そうだった。


「分かりましたね? タケオミ。契約の自由は貴方にありません。貴方は従者です。私の指示に従ってください」

「……」

「返事をしてください」


 雄臣の沈黙に少女は疲れたように合意を求める。


「……ああ」


 否定は許されない状況下で、雄臣は同意する他なかった。


「憔悴しきった顔……今日の巡回はもうお役目結構です。家に帰り、英気を養ってください。貴方の見回り区域は私が引き受けますから」

「いや、僕は……」

「もともと私一人でしたから、貴方がいなくなったところで問題ありません」


 白雪は巾着袋みたいになった男の死体を拾い上げ、立ち尽くした雄臣の横を通り過ぎた。


「では、私の命令をよろしく頼みますね。タケオミ」


 振り返ると白雪はもうその場にはおらず、制裁は契約解除における一人の男の死で幕を閉じた。

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