第0―15話 追憶⑪
それからしばらくして雄臣が居間に戻ると、美楚乃はスヤスヤと白雪の膝の上で眠っていた。そんな美楚乃の頭を白雪は優しく手でさすりながらも、その表情はどこか複雑そうだった。
「妹がすまない。重たくないか?」
「いえ、あなたに比べればなんてことありません」
それもそうか、自分より一回り大きい人間を表情変えず淡々と持ち上げながら走ったことに比べたら、妹の重みなんて屁でもないだろう。なら尚更どうしてそんなつらそうな表情をしていたのだろう。
「じゃあなんで妹を見ながらつらそうにしていたんだ?」
「……。そう見えていたというのなら私は執行者、失格ですね」
「?」
「とりあえずミソノを部屋に運んでいただけますか? 話はその後です」
「ああ、分かった」
雄臣は眠りに落ちた美楚乃をそっと抱きかかえながら二階の部屋へ運んだ。
△
美楚乃をベッドに運び終えた雄臣は、テーブルの椅子の位置を白雪が座っているソファへ向けた。
「さて聞きたいことは何でしょうか?」
雄臣が椅子に膝を下ろすと、白雪は受け身となる形で質問を求めた。
「色々聞きたいことはあるけど、まずさっきのお風呂場の件について。なんで妹にあんなことをした?」
「魔力があるかどうかの確認です。身体の中心にあるおへそは魔力が心臓へ集まり、再び全身へ送り出される通過点および抜け道となる穴なので、魔力反応を確かめるためにはうってつけの挿入口なのです」
それが本当に正しいものなのか、胡散臭くて何とも言えない。
「……。それでどうだったんだ。魔力は確認できたのか?」
「魔力の反応はありました。ただごく少量の魔力なので自ら魔法を展開した可能性は考えにくいかと」
「ということは何だ。美楚乃が不老になった原因は少なからず僕にあるってことなのか?」
「……他に誰かと接触した覚えはないですか?」
「それはない。ずっと体調悪かったから妹が外に出ることは一度もなかったし、僕も外に出ることはあったけど、ずっと傍で看病していたから」
「……」
体感として一分。白雪の沈黙が続く。
「当時、病気で苦しんでいたミソノを見てどう思いましたか?」
何を言うかと思ったら、白雪はそんな誰でも分かるような質問をしてきた。
「どうってそんなの病気を治してあげたいって、毎日ずっと思っていたよ。僕にできることはもうそれくらいしかなかったし、楽しいことも嬉しいこともやりたいことも叶わずに苦しいまま死んでいくなんて、そんなの嫌だし悲しいし、だから僕は妹の手をずっと握りながらひたすら神に願ったんだ」
「なんと願ったのですか?」
「妹に病気を治す力を、生きる力をくださいって」
「……はぁ」
白雪はいかにも人間らしい深い溜息をついた後、厳しい表情になった。
「でも僕が願ったのは病気の完治だ。不老になれなんて望んでない」
「おそらく未熟故の不具合でしょう。救いたいというあなたの大いなる願いが重複した結果、ミソノは不老になったということです」
「病を治すはずがどうして不老に? じゃあ僕の魔法はなんだ、永遠の寿命を与えることができるってことか?」
「いえ、それは結果に過ぎません。着目すべき点は願うという工程にあって、それが一つの発動条件にあると思われます」
「条件……」
「タケオミは毎晩願っていたのですか?」
「ああ」
「では、ミソノの手を握りながら願ったことは今までで何度ありましたか?」
「……願ったことは何度かあったけど、手を握りながら祈ったのはあの一夜限りかな。その夜はとても苦しそうでいつ息を引き取ってもおかしくない状態だったから、一晩中ずっと手を握りながら願っていたんだ。そしたら何とか持ち直してくれて、少しずつ元気を取り戻していったんだ」
「やはりそうでしたか。あなたの魔法はまだ不明な点が多いですが、おそらく発動条件としては二つ。願いと接触です」
「じゃあ、自分の手を身体のどこかに触れて同じように願えば、僕も不老になれるってことか?」
「不老は一種のバグですから今のところ何とも言えません。しかし、対象者に制限がないのなら理屈上可能でしょう」
「……。願いってのは何でも叶うのか?」
「それは有り得ません。そんな所業は神に等しい。大体、永遠の命を付与すること自体、人の域を超えています」
「でも何でそう断言できるんだ? やってみなきゃ分からないだろう。もしかしたら君の願いも叶うんじゃないのか?」
「安直な考えです。私は魔力を回収していると言いましたが、それはこの世すべての魔力排斥です。世界中、あらゆるところに潜んでいる魔法使いを一度にどうやって集めるのですか? それこそ触れなければあなたの願いは届きませんし、不殺で魔力を消すことができるのはわたしだけです」
「確かに、そうか……」
「一つ訊きたいことがあります。一夜の願望……その直後あなたの身体に異変はありましたか?」
「異変? 特に何もなかったけど」
それを聞いた白雪はピクリと繊細な震えを眉間の皺からその小さな額へと走らせた。
「そんな馬鹿げたことがあり得るわけないです。それでは私よりも」
「ん? どこに驚くことがあるんだ?」
「魔法を発動するということは体内にある魔力を消費するということ。強力な魔法であればあるほど魔力消費も甚大になる。あなたの場合、願いの度合いによって魔力消費が左右されるでしょうから命の書き換えに伴う魔力消費量は計り知れないはずなのです」
「そうなのか。その、まだよくわからないんだけど、魔力ってのは一度使ったら終わりなのか?」
「いえ、体力と同様、休息を取れば回復はします。ですからおかしいのです。膨大な魔力を使ったはずなのに何も異変がないということが。……本当に、何もなかったのですか?」
「ああ、何も。睡魔に襲われることもなかったし、何ならずっと心配だったから一睡もしなかった。そんなことより美楚乃の体調が回復した嬉しさで頭が一杯だったから」
「……禁忌である命の改竄に伴う魔力量を消費しても何ともないなんて脅威でしかないです」
「……なあ、命を繋ぎ止めることのなにが悪いんだ?」
「命の書き換えは本来そこで死ぬはずだった人間の運命を強制的に変えることに等しい。逆に変えていいものは強制的に殺される運命だけだと決まっている。分かりますか? この意味の重大さが」
「……死なないことは駄目なことなのか?」
「不老不死ではないものの、老いによる死がなくなるということは病死や自然死で亡くなることがないことを指します。実質、外部からの損傷を受けない限り、永遠に生き続ける。これは死の定義である唐突に平等に訪れることから外れます。つまりそれはもはや人ではないことを意味します」
「……じゃあ、白雪は僕にどうしろと」
考えれば分かることを考えたくなくて思わず聞いていた。
「何を惚けたことを。自分でも分かっているのでしょう?」
「……」
思考を停止して考えないふりをした。
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