第0―8話 追憶④

 女性が扱うあの刀身は男の鉄と化した腕よりも頑丈で、打ち合う度に男の鉄腕を何度も破損させ、破壊する度、修復を繰り返す鋼を再起不能まで破壊し尽くした。


 その様子から見て鋼を生成するための何かが枯渇しているのだろう。


「戦う前から勝負は決しています。大人しく投降してください」


 男を壁際に追い込んだ女性は呼吸を取り乱すことなく、粛々と命令した。対して男の呼吸は荒く、ボロボロと崩れていく鋼の様子から見るに何もかも消耗している。


 戦力差は傍観者である雄臣から見ても圧倒的だった。


 だが、男は女性の命令に従うことはしなかった。


「悪いが命ある限り俺は敗北を知らない。そこに生えている大根を収穫せねばならない」


 何を言っているのか。どこにそんな余力が残っているのか。男はまだ戦う気でいた。


 それはただの虚勢か。それとも――。


「力に溺れた人間にそんな矜持は必要ないです」


 三メートル。


 観念なさいと女性が男の懐に跳び込んだ。優勢が劣勢にひっくり返ることなんてないくらいの速さで――。


 止めの一撃を男の胸元に突き通す時。


 その窮地を男はひっくり返した。


 全ての能力値において女性に軍配が上がっていた。けれど一つだけ心が純真であるが故に敵わない部分があった。男はその弱点を戦いの流れで見抜いていた。死んでいるのに死んだものに気を遣いながら戦う姿勢。


 男は女性に言われた通り、プライドを捨て、卑怯で姑息な選択を取った。


「――」


 懐に入った女性の動作がぴたりと止まった。切っ先を突き刺そうとした瞬間、男はそこらに落ちていた死体を盾にして待ち受けたのだ。


 そのまま男は崩れかけた鋼の拳で死体ごと女性の顔面を殴りつけた。


 石ころのように吹き飛ぶ女性の身体。


 地面に何度もバウンドし、壁に背中を打ち付けた。


「身体はこの死体よりも軽いか。中身が詰まっていない、外見だけを取り繕った駄目な大根だ」


 倒れた女性はすぐさま起き上がる。額に流れる血は消え、傷は既に癒えていた。


「姑息な真似を……」


 女性の声はより一層険しく嫌悪していた。


「さあ、この遺体を傷つけたくなかったら――」

「なかったら何です」


 男は女性を脅すはずだった。


「がっ――⁉」


 だが既に男の心臓にはその刀身が突き刺さっていた。盾にした人間を目の前に明らかに油断していた男は刹那の弾丸と化した剣を感知できなかった。


「――なぜ、だ」


 女性の遺体越しに突き刺さっている白銀の刀身を見て、疑問が浮かぶ。


「生き返るはずのない遺体を庇って敗北するほど、私の道義はあなたのように狂ってはいない。好き勝手やってくれましたね。その魔力、還してもらいます」


 女性はさらに刀身を押しこんだ。


「ぐっ。人質はなまに限るか。新鮮さが仇になった、か――」


 男は苦しそうに言葉を漏らし、女性は異様に伸びた刀を引き抜いた。だが一切、男の胸から出血は見られない。


 力なく倒れ込んだ男の腕はただの腕に戻っていた。生成させた鋼は完全に消え去った。


「これで貴様は何も持たないただの人間です」


 ゆっくり近づいた女性は立ち上がれずにいる男に向かってそう告げ――。


「その罪咎を死ぬまで抱き苦しみながら、生きている人間のために生きなさい」


 否定は絶対に赦されない生き方の指標を指し示した。


「っ」


 だが往生際の悪い男はそれでもまだ反抗心を宿した目を向ける。


「何ですか、その反抗的な目は。なぜ罪を犯した人間がそのような目を、するのですか?」


 空気は一段も二段も重くなり、次の瞬間、振り払った一撃が男の右目を切り裂いた。


「ぐっ。あぁああああああああ!」


 男はあまりの激痛にのたうち回る。


「痛覚は戻りましたか? 酔いは醒めましたか? これが傷つくということです。あなたはこれよりも酷いことをここにいる人間たちにしたのです。たかが目を裂いただけで死にそうな顔をしているあなたはこれ以上の痛みに耐えられますか?」

「ふっー、ふっー、ふっー」


 男は流血する目を押さえ、怯えながら荒い息を吐いた。その姿は滑稽でしかなく、それは強者という名の化け物が弱者という人間に成り下がった瞬間だった。


「改心するまで私は傷つけます。けれど安心してください。半殺しにすることはあっても、殺したりはしませんから」


 女性の圧倒的な風格に男は完全に支配され、女の前でまるで蛞蝓のように舌で地面を舐めるみたいに平伏した。


「……」


 女性が握っていた刀は空気に溶け込むように霧散した。


「よろしい。ですが、罪を改めずに同じ過ちをした場合、貴様の命はありません。分かりましたね? 私はずっと監視していますから」

「き、肝に銘じよう。これからは大根農家になる」


 身体を丸め、震えながら答えた。


「では、さっさと立ち去りなさい。これ以上、人殺しの顔を見ていたら気が滅入ります」


 最後まで彼女の言葉に含まれているのは蔑みしかなかった。男は言われた通り逃げるように獣が森に帰るように立ち去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る