第43話

 翌朝。

 俺は日が昇ると共に自分の部屋に戻った。言うまでもなくバルコニーからのショートカットで。そしてなに食わぬ顔で朝の準備をした。その早過ぎる準備が整うと共に、柚香が現れた。


 別に打ち合わせをしたわけじゃないが、この行動はお互い想定してた。ふたりの間に詰めないといけない問題がある。

 お互い朝食を終えて、早めの登校。自転車に乗って学校近くの公園に。

 いつもより、1時間近く早い。なので、話をするには十分だし、人に聞かれる心配もない。


 自宅だと、話が長引いてギリギリなんてこともある。

 話題はもちろん、江井ヶ島先輩とのことだ。ぶっちゃけどうしたいと柚香は思ってるのか、江井ヶ島先輩はどんな感じなのか、その辺りを知っておきたい。

 逆に柚香としては、俺がどうしたいのか、藤江先輩や中八木さんとどうなりたいのか、知りたいはずだ。


「冷静に考えて、私らの置かれた状況って複雑よね、まぁ、私が蒔いた種なんだけど……ここまで育てる気はなかったんだけどなぁ」

 気の抜けた声。どこか他人事のように聞こえるが、それくらい、いろんなものが、一人歩きしてる。まさに、あちらを立てればこちらが立たぬだ。何から手を付けていいか、さっぱりわからない。


「控えめに言って、こんがらがってる」

「ホントにね、でも呑気なこと言っていい?」

「他で言うなよ?」

「うん。あのね」

「うん」

「私らって、意外にモテるね」

 ホントに呑気だ。そして、釘を刺したが、絶対他では言うな。あと、モテるのはお前だけだ。俺は関係ない。陰キャだもの。


「問題点というか、差し迫っての問題を挙げると」

「うん」

「まず、お前が巻き込んだ江井ヶ島先輩のこと。先輩って、ぶっちゃけ、お前のことどうなんだ」

「ん~~どうなんだろ。実は気になってて。なんていうか、藤江先輩の事とか全然で」


「全然って?」

「全然触れない。例えば泰弘から何か聞いてないかとか、あってもよくない?」

 それはそう。でも、それってなんていうか、言い方正しいかわからないが、嘘から出たまことってやつじゃないだろうか。

 最初は藤江先輩の気を引く目的だったのが、いつの頃からか、柚香が気になりだした。


 コイツ、やることがギリギリだけど、普段はそうじゃない。思いやりも、気遣いもそれなりに出来るし、俺か言うのもなんだが、相当可愛い方だ。笑顔が……可愛い。

 藤江先輩とは違うタイプの魅力は十分あると思う。中八木さんのはにかんだ表情が、頭から離れない。


「好かれてる実感ないのか?」

 柚香は難しい顔して、首をひねる。なくはないが、確信が持てないってとこか。

 それとも、江井ヶ島先輩が敢えて触れないようにしてる、ってことはあるだろうか。


 江井ヶ島先輩。表情が少し薄い。だから表情から読み取るってのは難しい。いつもの柚香は自己肯定感強め。言い換えれば自意識過剰なところがある。だから、好かれてるとか、わかりそうなもんだが……


 柚香のセンサーでも、引っかからないとなると、江井ヶ島先輩の恋愛感情の隠密性はかなりのものだ。敢えて隠してるのか、ホントに分かりにくいのかわからない。


 江井ヶ島先輩がどうしたいのか、どうなりたいのか。本当なら藤江先輩が1番知ってても、おかしくないのだけど、あの藤江先輩だ。もっともトンチンカンな捉え方をしてても、不思議はない。


 トンチンカンと恋愛感情隠密タイプ。意外とこの組み合わせだから、うまくやってこれたのかも、知れないが、藤江先輩に言うと怒られそうなのでやめよう。

 お前はそうやって元さやに戻そうとする、そんなに私が嫌いなのか、とかなんとか。


「本心を言う。別に今さら責めてないから、凹むとか無しなら言うけど」

 早めに学校の近くまで来てるとはいえ、そこまで時間もないのと、凹んだ柚香をフォローしてる場合でもないから、先に言った。


「ん……正直聞くの怖いけど、聞かないと始まらないから」

 それはそう。問題の中心人物ふたりが、共通認識を持ってなかったら、まとまるものもまとまらない。

 まとまる見込みがあるわけじゃないけど。


「正直、お前が寝取られたって知った時は、その……冗談抜きでショックだった」

「ごめん、軽率だった」

 俺は軽く首を振る。事実は違ってたし、謝ってほしいのでもない。


「立ち直れる気もしなかったし、たぶん立ち直る気もなかった。何が1番嫌だったのかってのは、なんで、好きなヤツが出来たことを言ってくれなかったんだってこと。そういう事――つまり、寝取られとかは、それからでもいいんじゃないかって、毎日……考えてた」

 柚香は口を堅く閉じて俯く。たぶん、俺がこの感情を抱くのは想定してただろう。

 想定とは違ってたのは、柚香の想像以上に俺が落ち込んだってことか。


「それで思ったんだ。お前がどんだけ俺の中でデカい存在なんだってこと。怖くなった。お前を失うことが、本気で」

 柚香は俯いたままだ。

 長い付き合い。生まれてからずっとの関係。思い出の何もかも一緒にいる存在。それはもう家族で、もし本当に家族なら、それぞれが選んだ相手が出来たら、離れ離れに人生を歩むことになる。


 でも、コイツは違う。俺の、俺たちの選択ひとつで、この先ずっともっとも近い存在で居続けること、居てもらえることが出来る存在。逆に、選択ひとつで、もっとも遠い存在にもなる。


 今回、もし本当に寝取られていたら、きっとそうなっていた。

 だから、大げさではなく、本当に震えた。怖かった。どうしていいか、分からなくなっていた。柚香なしでは呼吸することさえ、難しいことに気づけた。

 失っていい存在ではないと、嫌になるくらい思い知らされた。


 でも、だから、思う。そんな時に手を差し伸べてくれた存在。

 藤江先輩と中八木さんを、柚香と変わらないくらい失いたくないと、気づいてしまった。

 あの不器用な藤江先輩の慌てた顔。武士のようにぶっきらぼうで、でも思いやりに溢れているその人柄に俺は救われた。


 地味だけど、ホントに傍にいて楽しくて、笑えない時がないってくらい、なくてはならない存在になってる中八木さん。


 このふたりの顔を曇らせる決断を俺はしたくない。






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