第26話

 胸のざわざわを引きずったまま家に帰りたくなかった。こんな気持のまんまで帰って柚香の相手をするのは、少し――いや、めちゃくちゃ面倒くさい。

 柚香はいま凹みやすい周期にある。ざわざわしてるのに、気を使わないととなると、苦痛以外の何物でもない。


 下手に不機嫌な顔をして、後で気になるくらいなら、はじめから接触を避けたほうがいい。断然いい。

 先輩と別れて、家路につこうとしているとスマホか幸先さいさきよく通知音を発した。


 中八木那奈さんからだ。そう言えば、例のいわくつきの尻尾。どうなったんだ? 藤江先輩の手にはなかったが、中八木さんが無事回収したのだろうか。

 スマホを覗くと――犬耳メイド姿の中八木さん。

 自撮りか……


 そういえば、写真を撮る約束をしてた。こういう場合なんて返す? 昼休み。屋上で接した彼女のテンションは、学校の他の場所で見せる彼女ではなかった。


 常識に捕らわれた反応なんて求めてない、かも。


『惚れる』

 これで『キモい』だと、風紀委員バージョンの反応だと言える。

 すると――


『惚れてほしいワン。ご主人さま(笑)』

 よかった。犬耳メイドバージョンの反応だ。なんて返そうか、考えていたら連続でメッセージ。


『委員長と先に帰っちゃったワン……』

 シュンとした犬のスタンプ。風紀委員バージョンとこっち、どっちが本当の中八木さんだろう。


『イメチェンして来た』


『マジ? 見たい! でも、この格好じゃ出れない。ウチ来るかワン?』

 後半思い出したかのように、語尾にワンをつけてないか。どうしようか、家に直帰したい気分じゃないし。


『シュン兄さんもいる?』

『えっ……まさかのシュン兄狙いかワン……鼻血』

 なんで鼻血だよ。百合はどうかわからんが、BLは少なくとも身近にはいない。あっ……陰キャだからそもそも周りに人いないわ、泣く。


 そう言えばシュン兄さんから『妹は押しに弱い』と特典情報を得ていた。

『行ってもいいんだけど、渾身こんしんのキス顔見せてくれたら……きっと可愛いんだろうなぁ~』

 後半無理やり褒めた。これでいけるなら、先輩と並ぶチョロさなんだけど。ぴろん〜と通知音。


 ん……これ。ただの知り合いに見せていい表情じゃない。顔を真っ赤にして、目を閉じ、唇半開きの自撮り。うん、待ち受けにしたいけど、先輩に見つかって、消さないとになると惜しい。

 ここは隠しホルダーに保存、と。


『秒速で行くわ』

『待ってるワン!』

 おいおい、シュン兄さん。マジでちらりイケるかも。学年で6番目に可愛い女子の部屋でちらりとか、いいのか? ほんの少し気分が晴れた。


 ***

「弟よ、さっそく来てくれたのか。心から感謝する。あと、似合ってるじゃないか、その髪型」

 下心満載で駆けつけた俺を出迎えてくれたのは、シュン兄さんだった。表情から安堵の色がうかがえる。ホントに嫌だったんだな、妹のメス顔。


 まぁ、わからんでもない。しかし、最初に俺のイメチェンに気付いてくれたのは、シュン兄さんだった。これは……が出現したことを意味するのだろうか。


「お茶をれるから、とりあえず那奈ななの部屋に行っててくれ。2階の奥の部屋だ、すぐわかる」

 言われるままに2階に。奥の部屋。扉に『ななの部屋』と書かれた表札が付いてあった。女子らしい感じだ。ノックすると扉が開き――


「おかえりなさいませ、ご主人さま〜~あっ、ご主人様! ナイスイメチェンですワン! 自撮りツーショットを撮りたいワン!」

 子犬のようにはしゃぐ、学年で6番目に可愛い女子が、犬耳メイドでお迎えしてくれた。められれてない陰キャとしては、もう恋だろ、これ? になる。


 いや、ヤバい。結婚したい。うん。もう、我が人生にいなし。

「どうしたのだワン? 私が可愛すぎて声も出ないかワン? ご主人さまもスペシャル素敵だワン!」


「あぁ……そういうの兄がいない時にして、たのむわ」

 お茶を持ってきてくれたシュン兄さんは、不意にダメージを受けていた。


「シュン兄には関係ないワン、わかる人にはわかるワン、ねぇ〜ご主人さま〜」

 ヤバい、本気で顔がニヤけてしまう。もう、ここに住もう。そんな俺の浮ついた気持ちに気付かず、シュン兄さんは――


「いいのか、本当に妹頼んでも? ちょっと想定してたより悪化してる。断るのもアリだぞ?」


 断る? いえ、それはないです。今日1日、ざわざわした日常を送ってきた俺にとってはオアシスでしかない。

「シュン兄さん。俺に任せてください!」

「弟よ! 荷が重くなったら壁を叩いてくれ、駆けつけるから。那奈なな、あんまり泰弘やすひろに無茶言うなよ?」


 中八木さんはコクコクと可愛く頷いた。頷くたびに揺れる犬耳が可愛い。それにしても……

「これ、ひとりで作ったの?」

「そうだワン。ちゃんと裏地も付けてるワン!」

 そう言ってスカートをひらりとめくった。めくられたスカートの中にはガーターベルトがチラ見した。人生初ガーターベルト。しかもお店とかじゃない! 感無量です。


 それにしても、スカートの中には夢しか詰まってないのか? 結婚って何歳から? 少子化社会だから、結婚年齢引き下げにならないか、今すぐ!


「――実際のところ、どう? そのおかしくない?」

 真顔でたずねるので、真顔で答える。

「おかしい? もう、夢しかない」

 俺は勢いで学年で6番目に可愛い女子の手を握った。陰キャに握られたはずなのに、6番目の女子は照れた。その仕草が、他の誰にもない初々しさを秘めていて、俺の視線をクギ付けにする。












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