第5話

 泰弘やすひろ視点してん


「先輩。もしかして怒ってますか」

 家に到着するなりコンビニの袋を渡された。中は見るも無残なケーキもの。


「君。モンブラン好きなんだってな」

 半ギレ。

 なんで? いや、目の淵に涙が……どういうことだろ。


「モンブランですか。ごめんなさい、むしろちょっと苦手かも」


「もう! あの性悪しょうわる女子!」

 地団駄じたんだむ。性悪女子……そういうことか。


「会ったんですか、柚香ゆずかに。意地悪されましたか。されてますね。ごめんなさい」


「なんで君が謝るんだ。彼女は――まだ君のものなのか? もしそうなら私を招きいれないでくれ。私はそういう機微きびなんてわからない女なんだ。那奈ななからもしょっちゅう、ダメ出しをされる『先輩は空気読めないんですね』って。ダメなヤツなんだ私は」


 柚香ゆずかは人間観察にけている。

 その観察眼を、心の弱い部分にピンポイントで刺すことがある。

 慣れてないと、いや慣れていても、相当痛みを伴う。

 先輩はその被害にったんだ。前情報もなく。


 柚香は見た目まじめで、大人しく見える。そんなことしてくるように見えない。

 だから、もし柚香が誰かを言葉のナイフで刺そうものなら、大ダメージを与えるなんて簡単だ。


「先輩。上がってください。いま謝ったのは、古い知人が、大事な人に失礼をしたことに対しての謝罪です。柚香があんな感じのヤツだって、言わなかったのも謝ります。それに、もうです、それは先輩が一番知ってくれてると思いますが」


「私が?」

「はい。なかなかないですよ、自分の彼氏彼女だって思ってるヤツが、目の前でラブホに消えるところに遭遇するなんて。その苦しい記憶を共有してるのは、先輩だけです」

 励ますとかじゃない。がらにもなく本音。

 自分もだけど先輩に、これ以上傷ついて欲しくない。


「そうか……蛇足的なことを言う。これはきっと言わない方がいいことなんだ。もしこの言葉で君を傷つけたなら、このまま玄関先で失礼する」


 傷つかないように前振りをしてくれてるんだ。

 しかし人はそんなに便利じゃない。いくら身構えても痛みを感じる生き物。

 たぶん、そういうのは慣れていくしかない。


「聞きますよ」


 お手柔らかに――そんな言葉を付け足しかけて、やめた。

 どうせ傷つくなら、せめて先輩の心の重荷を下ろしたい。

 先輩は今から口にする言葉で、少しは楽になるのだろうか。それなら、思う存分傷つけてくれ。

 一応言うがたぶんМじゃない。


 すまん――そんな前置きで先輩は話し出した。


「言われたんだ『センパイは何にもわかってないですね』って。コンビニで君への手土産を選んでるそばで。私ははじめ、彼女が君の好みについて語ってるものだと思った。思ったよ、そりゃ君は彼の幼馴染で家も隣。つい先日まで、言葉も交わしたことのない私と比べて、どうするんだってね」


 そう言って先輩は肩をすくめる。その動きに合わせて先輩の胸が揺れた。

 いまそういう空気じゃないのは分かってるが、つい目に入った。


「それで?」

 誤魔化したわけじゃないが相づちを打つ。

「うん。でもな、違和感を感じたんだ。彼女の声、あざ笑うような瞳の奥。すまない。先に謝らせてくれ。私は昨日のことを――ラブホのことを彼女に話した。君といたことも」

「そうですか。別にかまわないですよ。そんなこと気にしてるんですか」


 別に焦りとかない。柚香に知られたからって、何も変わらない。


「うん。不都合が生じるんじゃないか、ってな。話が少しそれたな……そう、彼女が言った言葉『何にも知らない』っていうのは、何も君のことだけじゃないんだ」


「どういうことですか?」

「うん……待ってくれ、心の準備が……うん。彼女が言いたかったのは、君のこともだけど、とおるのこともなんだと思う」


 透――藤江先輩の元カレ。いま関係あるんだろうか。


「その彼女――伊保が言いたいのはこうだ。透のこと、私の知らない透のこと――そのラブホで見せるような、透を私は知らない。そういう関係ではないから。でも、彼女はそういう透を知っている、と暗に言いたかった。アピールしたかった。私はまんまとぐらついたよ、それはみじめなくらいにね。泣きそうなのを我慢してここまで来た。でも、こういうのは言うべきじゃないのもわかってる。君に痛みを強要するからね。彼女も残酷だけど、もし君が私を少しでも、思っていてくれたとして、私のこの感情の起伏は、君を傷つけると思うのは私の思い上がりかい? あとひとつ、告白させてくれ。もし君が私の心の揺れを見て、傷ついてくれないかと私はどこかで希望している。いや切望といってもいい――ごめん、実感が欲しいんだ。誰かに、いていいよって思われたい。必要とされたい。束縛そくばくされたい。自分だけを見ろと命令されたい。叱って欲しい。すまない、怖いから――拒絶されるのが怖いから『誰かに』なんて曖昧あいまいな言葉になる。この『誰か』は誰でもじゃない。君なんだ。こういうのを承認要求しょうにんようきゅうというのだろうか。私にもあるんだ、そういう俗っぽいのが。重たくて、めんどくさいヤツだと自分でも思うよ。いま必死に自分のチャームポイントを探してる。なにか、なんでもいいい。君の気を引けるものはないかってね。バカみたいだろ? でもな、言い訳のひとつくらいは聞いてもらう。君も悪いんだ。君はこんなわずかな時間で、私の中に住み着いた。つらい時にそばに来てくれた。欲しい言葉をくれた。それを返したいと君は思わせたんだ」


 たぶん、学校では先輩は気丈きじょうな人物だと思われてる。

 言葉使いや立ち振る舞い。よく通る声がそう思わせている。


 だけど何回目だ。

俺の前で涙を流すのは。ほんのわずかな間にいろんな涙を見た。


 悔し涙だったり、落胆の涙、寂しさ、辛さ、そんないろんな涙を見た。


 先輩は、2年生を代表するような美人で、強い人みたいなイメージがあるが、年相応な繊細せんさいさをあわせ持つ、普通の女の子。


 それは俺だって変わらない。

 俺の場合は単なる陰キャで、強そうにも見えないし、運動音痴。見たまんま精神も弱い。


 だけど、人並くらいには目の前の女の子を助けたいし、助けて欲しいと思う。

 助けたいなんて思える時点で俺はもう助けられてる。


「先輩――その俺なんかで……」


 そう言いかけた俺の耳に、聞き覚えのあるエンジン音。そして車が停止する音。突然の出来事に胸が高まる――


「どうしたんだ、急に⁉」 


 驚く先輩。

 説明もしないまま先輩の手を引いて玄関を飛び出した。


「おかえり、みーちゃん!」

 俺は駆け出していた。



















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