第2話

「伏せて!!」


 なんの冗談だ。

 先輩は急にファミレスのテーブルの下に隠れようとする。一応辺りを見たが、知り合いらしい姿はない。そもそも見られても別に構わない。ご飯を食べてただけだ。

 まぁ、俺はまだ、なーんも食べてませんが?


「何やってんですか先輩。誰もいませんよ。それからもうあげませんからね」

 すると先輩は窓の外を指だけで慌ただしく指す。溜め息を我慢して首を振りながら暗くなったファミレスの外を見てみる。


「――柚香ゆずか!?」


 ざわりとした感覚が胸を襲う。ついこの間まですぐ隣で見ていた笑顔。今は別のヤツに笑いかけている。


「先輩。柚香、知ってるんですね。なんか、気使わしちゃいましたか」

 しかし先輩は大きく首を振る。口にピザが入って喋れないのか。

 なんなんだこのポンコツ美少女。俺は彼女に水の入ったグラスを差し出し様子を見る。すっごい勢いでピザを流し込んだ。


「違う」

「違う? 何が?」

「あっち?」

とおるなんだ」


 マジか……柚香を寝取ったのは藤江先輩の元カレ⁉ 

 いや、偶然いま一緒なだけじゃないか。学校では怖くて耳を塞いでいた。だから俺は相手が誰か知らなかった。それはたぶん先輩も同じ。


「林崎。追うぞ」

「追うって――」

 先にファミレスを飛び出した先輩を追いかける。


「先輩! お会計俺が払ったんですけど」

些末さまつなことだ。後で返す。。今はこの尾行に集中しろ!」

 いまっていったよな。ほぼ食い逃げだろこれ。

 街はすっかり夜だ。物陰に隠れなくても見えない。だけど、先輩は忍者のように隠れながら追う。


「ふざけてませんか?」

「私はいつだって真剣だ」

 その発言自体信用できない。しかも真顔。


「透はサッカー部のエース。部活終わるまで待ってたんだ……君の――」

 元カノとは流石に言いにくいのか、言葉を濁した。サッカー部のエース。

 柚香ってそんなミーハーだったか? どちらかと言えばスポーツとかまったく興味なかったはず。いや、それは俺がスポーツ出来ないから気を使ってたのか。


 こっそり後をつける罪悪感もある。今更つけてなんになるという気持ちもある。ちゃんと別れ話もしてない今はまだ、別れも確定してない。

 つまりこの尾行は何かを確定してしまいそうで怖かった。

 何より……この道は。


「先輩。やめませんか」


「なぜだ? これからふたりの行き先をつきとめて」

「つきとめてどうします? 聞けますか?『きのう何処にいたの?』って。俺には無理ですよ」


「それは私にもムリかも知れん。だからってここで諦めたら会話の糸口も――」

 そう言いかけた藤江先輩の手を取って止めた。


 そうするしかなかった。だってここは――


「どういうつもりだ。なぜ止める? もう少しで追いつくところなんだぞ」

「追いついてどうするんですか」

「それは――追いついてから考える。きっとなにか浮かぶし、透だって私の顔を見たら邪険じゃけんにはしないはずだ」


 そう思いたい。

 そう思いたいし、もしそうだったらどれほどよかったか。でも、残念ながらもうじゃない。俺らが口を出せる域に二人はいない。


「今ならまだ間に合うかもだろ!?」


 先輩も現実がわかっている。気付いている。避けられないとわかっていた。

 引き止めた先輩の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。その気持ちも理由もわかる。痛いほどわかるし、俺だって同じだ。


 俺も泣いていた。嗚咽おえつ我慢がまんして先輩の肩をつかむ。先輩を引き寄せ、見上げた先に光るネオンは――


 ラブホのネオンサインだった。


 ふたりは1枚制服の上に服を羽織はおって夜のラブホに消えていった。これが現実なんだ。見慣れたピンクの柚香のパーカーが夜のラブホに消えた。

 俺が誕生日にプレゼントしたピンクのパーカーを着て。


 ***

「私達も行くか。ラブホってヤツに。君は行ったことはあるか? 私は恥ずかしながらない」

 藤江先輩の手を引き無理やりラブホの前から立ち去った。そうでもしないと、きっと何時間もそこに立ち尽くしていただろう。


 近くの公園。

 街灯がひとつしかない。道に面してるので危険はなさそうだ。


「ないですよ。正確には行けません。さっきファミレス立てえたでしょ。俺は高校生で、バイトはしてません。財布は小銭だけ。だから金銭的に行けません」

 少しくらい茶化さないと頭がどうかなりそうだ。

 ふと触れた額が冷たい。血が引くっていうヤツか。頭の中は真っ白なペンキで塗りつぶされたみたいだ。


「お金があったら行くのか?」


「先輩とですか? いいかも知れませんね。社会勉強になるし、初めて行くラブホが先輩となんて、自慢出来ます」

「つまりは行ったことないんだ」

「ありません、陰キャめてませんか。いま先輩と行けないと一生たぶん行きませんよ」


「私だって行かないよ、きっと」

 背中を丸めて俺たちは夜のベンチに座る。思い出したかのように口を開き、どうでもいいような話をした。


「つまらないだろ、私の話なんて」

「俺の話もおもしろくないですから」

「おあいこ。似た者同士か」

「ですね」

「この先どうする」

 先輩は背中を丸めたまま、俺の腕に手を置く。お互いショックが大き過ぎて、手に触れるくらいなんとも思えないくらい麻痺まひしている。


「この先って今夜ですか? それとも明日から?」

「どっちも」

「今夜は――先輩を家まで送ります」

「心配してくれるのか」

「はい。ラブホで出待ちとか。これ以上つらい思いしてほしく無いですし……」

「ふふっ、私ならしそうだな。明日からどうする? いや、スマン今の気分を言わないか、お互い」

 俺は先輩の手を握った。意識と一緒に体がどっか飛んでいきそうだったから。


「気分ですか。正直控えめに言って、死にたいです。死んでるみたいなもんだけど」

「実は私もだ。でも死なないで欲しい」


「物の例えですって。幸い俺を気に掛けてくれる家族がいます」

「私もだ。でも、こんな記憶ひとりでどうしろって言うんだ? 君にたよれる関係かは微妙びみょうだが――ひとりにしないで欲しい。私も君をひとりにしたくない。この苦しみを分け合わないか」


「ふたりで分け合えるほど知らないです、先輩のこと」

伊澄いずみだ」

「いずみ?」

「名前だよ。これで私の名前を知った。痛み、苦しみ、くやしさを分け合うには十分な情報だろ? 泰弘やすひろクン?」


 元々先輩の手を振り解く気力も、死んでしまう気概きがいもない。

 ただいまはただよっていたい、そんな気分だ。宙にただよう視線が交差して乾いた笑いがれた。疲れてるそんな実感がお互いあった。


「よろしくお願いします、先輩」

「こちらこそ……林崎」











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