3話 大掃除

澤田先生の評判はとても良かった。特に女子生徒からは人気があって他の学年の子達まで見に来るぐらいだった。


 見た目がいい方ではないと思うけど、穏やかな好青年という雰囲気が人気の理由らしい。


「授業始めるよー」


 あの後、花田先生が体調不良で辞めてしまい、月曜の午後は澤田先生が受け持つようになった。


「じゃあ、この問題を……神崎かんざきさん」

「はい」


 澤田先生の授業はいつも落ち着いて進む。新任の先生とは思えないほど慣れていて、こんなふうに出席番号で当てるのもいつも通り。


 当てられることを予想して予習していたからおとなしく解答を黒板に書いて席に戻る。


「うん、正解だね」


 自分の役割は果たしたような気がしてほっとする。あともう一つ、もう一つ超えれば今日は安心して帰れる。


 今日は部活の話し合いがある日……特にアイディアも思いつかなくて気が重いけれど、行かなきゃ。私自身、好きな本も読めていなくて、読書時間の確保も出来ていないのに。今年は始まってからなんだか慌ただしくて、心が落ち着かない。


 燦々さんさんと降り注ぐ太陽を雲が覆っていくのを眺めていた。







「じゃあ、始めよっか」


 重い雰囲気の中で吉永さんが口火くちびを切った。この間と同じ、部長と副部長を含めた10人で思い思いの席についている。


「今日は職員会議が終わったら澤田先生が来るそうなので、それまでに意見をまとめておきたいんだけど」


 吉永さんがみんなの表情を確認しながら話し続ける。


「もし、反対意見があるならそれもまとめて先生に伝えるから、ちゃんとみんなで意見出し合おう」


 みんな無言だけど頷きながら聞いている。


「あれから考えてみたんだけど、俺はあんまり変えなくていいと思う、部誌の発行だって作品書くのに時間かかるわけだし、そこを説明すればいい。澤田先生から校長に話してもらおう」


 この間とは違って副部長も部長に続けて意見を言い、それに続くようにみんなが話し始める。そうして、みんなの意見がまとまった頃、澤田先生が現れた。


「みんなで話し合って意見をまとめてみました」


 結局、主な活動としては部誌の制作と学祭での販売だけ、理由は部室にいなくても個々で部誌に載せる作品の準備をしているから……主に副部長の意見が採用された形だ。


 緊張した様子で澤田先生にメモを見せる吉永さん。私達も先生が何を言うのか……固唾かたずを呑んで見守るというのはこういう事かもしれないと思った。


「よし! わかったよ」


 メモを読んだ澤田先生は、いつもと同じ笑顔を見せる。


「みんなの意見として校長先生に話しておくよ」


 あんなに悩んだのに、こんな簡単なことでいいのかと拍子抜けした。私は何の意見も出せなかったけど、活動している事が分かるようにする方法を見つけなきゃいけないんじゃ……なかったのかなと。


 「僕も話し合いに参加できなくて申し訳なかったんだけど、たぶん校長先生は何か新しい試みをしてみてもいいんじゃないかって言いたかったんだと思うんだ。校長先生も事情のある生徒が部に多くいる事は把握していると言っていたしね」


 笑顔のまま、淡々と話す先生に黙る私達。最もな事を言われているわけで、アイディアが出てこない以上、考えが足りないと言うことかもしれない。


「僕もまだ部やみんなの事をよく知らないから、活動しながら考えていくっていうのはどうかな……みんなも空いた時間でいいから面白い事が出来ないか探したりしながら一緒に考えていけたらいいと思うんだけど」

「わかりました、もう少し考えてみます」

「うん、じゃあ……改めてよろしくね」

『よろしくお願いします』


 いきなり先生が持ってきた、台風のような問題はなんとなく先生が収める形で幕を閉じた。穏やかで冷静で、笑顔を崩さない澤田先生は無駄のない適切な言葉遣いで最もな事を言う、そういう人だと感じた。


 でも正しいのに、何となくすっきりしない。


 どういう人なんだろう……それが全くわからない。何の感情も見えて来ない。仕事だからかな。もしかしたら……眼鏡の奥の瞳は笑っていないかもしれないし、笑ってはいても心の中で怒っているのかもしれない。それがとても不気味に思えていた。







 次の日、気になっていた私は部室に行ってみることにした。これからどうなっていくんだろう……あの話は簡単に済まないような気がしていた。


 誰もいなかったらゆっくり本を読もうと思い、図書館に寄ってから部室へ向かう。でも部室は戸が開いていて誰かいるのがすぐにわかった。


 心の準備に深呼吸を一つすると部室に入っていく。


「お疲れさまです」

「あー、お疲れさま」

「何……してるんですか? 」


 人見知りで自分からなんて滅多に話し掛けない私でも聞かずにはいられなかった。だって、先生はシャツの袖を肘辺ひじあたりまでまくって一人で大きな本棚を動かそうとしていたから。


「もうちょっとね、広くならないかなと思って」

「広……く? 」

「うん、この教室もっと広く使えると思うんだよね。聞いたらさ、勝手にしていいって言うから」


 あのいつものニコニコとした笑顔は少し赤くて汗をかいているみたい。見周すと、床には掃除道具やごみ袋なんかも出ていて大掃除状態。私も急いでかばんを机に置いてジャケットを脱いだ。


「私もやります」

「ほんとに? ありがとう」


 本棚を持ち上げようと先生の反対側に立つと、先生は驚いた表情で私を見た。笑顔以外の表情を見たのはそれが初めてだった。


 「さすがにこれは一人で運ぼうかな」


 女の子に力仕事をさせる訳にはいかないからと言う先生を押し切って持ち上げようとしたけど、重すぎて無理だった……というか、重すぎて男の人でも一人じゃきっと持ち上がらない。


「中身出したらもう少し軽くなりません? 」

「そっか、頭いいね」


 本棚から昔の教科書や黄ばんだプリント、いつからここにあるのかもわからないような物がたくさん出して本棚を空にする。


「うん、これなら持てる」


 軽々と本棚を持ち上げる先生、余計散らかったように見える部室……。


「どこに運ぶんですか? 」

「今、この本棚で教室を仕切ってるけど、向こうのスペースがもったいないからこれを奥に持っていきたいんだ」

「奥……ですか」


 確かにこの本棚で仕切られているせいで私達が部室として使えているスペースは教室の3分の1くらい。これが無くなったらスッキリするんだろうけど……。


「奥にも荷物とか机とかありますよね? 」

「うん、何とか押し込めてさ……広くならないかなって」


 私達は本棚が動くようになったことで見えてきた未開の地に踏み込む。


「わぁ……」

「何だろね、これ」


 先生が見つけたのは大きなお化けの被り物、私の側にはドラキュラ……後は無数のダンボールに机と椅子、場違いな革張りのソファーまである。


「まずここを片付けなきゃね」


 先生の言葉に頷いてドラキュラを手に取る。手作りの着ぐるみみたいで畳む事が出来そうだった。自分の身体より大きな着ぐるみを埃にまみれながら畳もうと格闘する。


「どうかな」

「着ちゃったんですか!? 」


 埃まみれの薄暗い教室で、白いお化けが短い手を必死に動かしている。その動きがあんまりにコミカルでおもしろくてお腹を抱えて笑ってしまう。


「どう? 似合ってるかな」

「はい、すっごく」


 笑いすぎてお腹が痛くなるくらい笑うと、お化けを脱いだ先生も満足そうに笑う。


「今度みんなの前で着てみようかな」


 嬉しそうに言うその表情がおもしろくてまた、笑えてくる。


「遊んでると終わらないですよ」

「そうだったね」


 笑いを何とか収めてドラキュラを畳み、お化けの被り物は保留にしてダンボールに手を付ける。ゴミを分別しただけでも荷物の量がかなり減っていく。


「みんな呼ばなかったんですか? 」

「忙しいだろうなと思ってね、ほら三年生は受験勉強があるし」

「そうですけど……これだけの片付けを一人でやるつもりだったんですか? 」

「まあね、すぐ済むかと思ったんだけどさ、意外と大変な事になってるね」


 ハハッと笑う先生に私もつられて笑う。あのニコニコ笑顔と違って気持ちが軽くなる笑顔。


「それにしてもすごいですね、昔の物がたくさん」

「ほんとだね」


 十年前の遠足のしおりに、授業で使うようなプリントが大量に……しかももう黄ばんでシワシワでとても使い物にならない状態で段ボールに入っている。


「ここに在る事さえも、忘れ去られてたんだろうね」

「そうですね」


 私がここに来るより前にここを使っていた誰かや知らない先生達が作った物……先生の何気ない一言で、もう知る事のできない過去に想いを馳せる。


 今、ここを使っている私達も、いつかこれが過去になるんだ。だとしたらまだよく分からない先生とのこの時間も割と楽しい想い出になるのかもな……そう思うと、何だか悪い気はしなかった。


 しばらくの間、私と先生は黙々とプリントの山に向き合う。長い沈黙の中で先生が何を考えているのかは分からなかったけれど、もう不気味さは感じない。


「ゴミが多いから捨てたらすっきりしそうだね」

「はい、そうですね」

「机と椅子は、拭いたらまだ使えそうだからあっちに並べようか」

「はい、じゃあダンボール終わったら机拭きますね」


 話しながら、自然と役割が決まって私が机と椅子を拭く間、先生は大量のゴミを捨てに行く。


「あ〜!! 重かった」

「おつかれさまです」

「机もう運んでくれてるの? 」

「はい、全部拭き終わったので」

「ありがと、大変だったでしょ」

「いえ、思ったより早く済みました」


 広くなった教室を一緒に見渡すと、なんだかくすぐったいような感じがする。


「片付いてきたね」

「はい」


 たったそれだけの会話でも、伝わる。きっと今、先生も同じ気持ちだと思う。


「あとは本棚を動かして掃除して……その前にちょっと休もっか」


 先生が差し出してくれたペットボトルは、私の好きなピーチティー、受け取っていつもの場所に座ると先生も同じのを持っていつもの場所に、座った。

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