2話 苦手な人


 あの後、さすがに反省した私は読書を控えるようになった。


 毎日が物足りない、そう感じる事はあるけれど、去年より難しくなった授業や受験対策の補習の忙しさでごまかしながら、なんとか耐えている。そうして4月も終わりに近づいた月曜日、お弁当を食べていると部長からメッセージが来た。


[今日、補習ない日だよね? 部活来ない? 12:52]


 部活か……。


 ふっと、あのにこやかな笑顔が浮かんだ。なんとなく避けたくてあれ以来、部室にも行っていなかったけど月曜日だから職員会議のはずだし、今日ならいないかもしれない。


[おつかれさまです、少しなら行けると思います 12:55]


 私の所属する文芸部は、基本的に気の向いたメンバーが適当に集まって本を読むだけだけれど、たまに部長から今日みたいに招集がかかる事がある。招集と言っても何かするわけじゃなくてただ喋るだけだけど、一応あれが活動報告という事なのかもしれない。


 そういえば部員が増える時期だな……。


 そんな事を思いながら昼食を終え、午後の授業に入る。


「なんか知らない先生いるんだけどー! 」


 そんな声が飛び交い、ざわめく教室に入って来たのはいつかと同じヘラヘラ顔の澤田さわだ先生だった。


「今日は花田先生がお休みなので代わりに担当します」


 教壇に上がり、人当たりの良さそうな笑顔を披露した澤田さわだ先生は学園ドラマのようにぐるりと教室を見渡す。


 ピーナッツに似てるかも……。


 一番うしろの席から眺める先生の顔はニコニコしたピーナッツに見えて、ちょっと面白い。


「先生、名前はー? 」

「何年の担任なのー? 」

「彼女は? 独身? 」


 答える隙もないくらい矢継ぎ早に質問が飛ぶ、これだけうるさければ注意したり顔をしかめたりするだろうに、澤田さわだ先生は変わらずニコニコしている。


 「はじめまして、澤田和史さわだかずふみと言います、担当教科は理科です」


 当たり前の事なのに、いちいち教室がどよめく。


「あと何だっけ……そうそう、二年一組の副担任をしてます」

「げぇ〜、ゴリラのクラスだ」

「大変じゃん!! 先生いじめられないようにね」

「いじめられたら美優が慰めてあげるねぇ〜」


 言いたい放題のうるさい教室……私にとってどうでもいい情報ばかりで、天気いいなぁとつい外を眺めて物思いにふける。


「自己紹介はそんなとこかな、今日は花田先生から届いている課題をやってもらう事になりました、タブレットを開いて……」


 先生は、はしゃぐ生徒を相手にするわけでもなく、注意するわけでもなく、いきなり授業に入った。ゴソゴソと慌ただしく準備をする教室は、どこか戸惑いの空気が流れている気がする。







 チャイムが校舎に鳴り響いて今日も一日が終わる。私達生徒はそれぞれ荷物を持って部室へと散っていく。


 私もゆっくりと帰り支度をして、人の流れが緩やかになった頃、教室を出て部室へ向かった。人の群れを避けながら部室の前まで行くと、珍しくにぎやかな声が聞こえる。


「あ、史織ちゃん、ひさしぶりだね」

「吉永さん、おひさしぶりです。もうみんな揃ってるんですね」

「そうなの、珍しいでしょ」


 入るとすぐに部長が話しかけてくれた。部長とは、よくこの教室で一緒に本を読んでいて部員の中でも一番よく話す存在。


「新しい顧問の先生がね、みんなを集めてほしいっていうから連絡したんだけど、今日って職員会議だよね? 」

「そうですよね……」

「ほんとに来るのかなぁ、もしかして会議終わるまで待たされたりとか? 」


 困り顔の部長はかわいいけど、それにしてもあの先生、一体何を考えているのか……さっきの授業でも、ちょっと変わった感じだったし……。


「お待たせ!! 」

「わっ!! 」


 いきなり隣に誰か来た事にびっくりして思わず驚いた声を上げてしまう。


「はぁ……はぁ……職員室から意外と遠いんだね」


 隣、と言っても触れそうなぐらい近くで話す先生は、走ってきたようで息が切れている。


「ごめんね……はぁ、はぁ……吉永さん、部員はこれで全員? 」


どれだけ走ったのか、まだ息が切れた様子の先生は部室に入らず、立ったままで喋りだした。


「いつも集まるメンバーはこれで全員です、名簿の部員全員にメッセージは送ったんですけど……」

「そっか、ありがとう。じゃあ俺も含めて自己紹介をして、その後少し話があるから」


 そう言うと、やっと部屋の奥に歩いていって先生用の机に荷物を置いた。

 

「史織ちゃん、大丈夫だった? 」

「は、はい……いきなりでびっくりしました」


 席へつきながらさり気なく吉永さんが声を掛けてくれる。


「なんか、変わった先生だよね、私も驚いちゃった」


 思わず出した声を吉永さんに聞かれたのは恥ずかしいけど、やっぱりこういうさり気なく気遣ってくれるところとか、憧れる。


「みんな席についたかな」


普段誰もいない部室に10人も集まっているからかすごく狭い。


「ちょっと狭いかもしれないけど、すぐ済むから我慢してね、じゃあ三年生から自己紹介お願いします」


 またさっきと同じ唐突とうとつな振りに、みんな戸惑いながらも名前を言っていく。三年生は部長の吉永さん、副部長の佐藤さんを含めた7人、二年生は私と、あと2人いる。これで10人。


「ありがとう、じゃあ最後は僕が。教科は理科なんだけど、前任の浅田先生の後を引き継いで顧問になった澤田です、よろしくお願いします」

『よろしくお願いします』

「普段の活動の様子は吉永さんから聞いてるよ、受験勉強やアルバイトもあるし、みんな忙しいのはわかるんだけど……」


 そこで澤田さわだ先生は言い淀んだ。


「実は今年からちょっと厳しくなるみたいで、活動実績を問われる事になったんだ」

「活動実績……ですか? 」

「うん、例えば新入部員の募集とか……文芸部は大会がないから難しいけど、毎月何をしてるか分かるようには出来ないかな、それも一人ずつね」

「なにそれ」

「そもそも部活ってそんなに強制されるもんなんですか? 事情があるのに帰宅部できないって言うから文芸部やってるんですけど」


 来た早々、澤田先生は大きな問題を持ってきた。なんとなく、学校側の決定みたいで先生の意思ではなさそうだけど……みんな不服そうで雰囲気は最悪だ。


「先生!! 澤田先生!! いたいた、何やってるんですか! 」

「え!? いや、部活を……」

「職員会議始まってますよ! 」


 しまった!! 澤田先生の表情は完璧にそう言っていた。


「先生方待ってますから早く!! 」

「は、はい!! 」


 焦って荷物を片付け始める先生を、みんなきょとんと黙ったまま眺めている。生徒でも知っている職員会議を……先生が忘れていたなんて。


「えっと……ごめん、今日はこれで解散にしよう、また今度改めて。あ、そうそう、もしよかったら話し合ってみてくれないかな? 何か文芸部として出来そうな活動はないか」

「あ……はい、わかりました」


 呼びに来た先生に連れられて、慌てて出て行く澤田先生に呆気にとられる私達。吉永さんが返事をした頃にはもう、先生の姿は消えていた。


「どうしようか……」

「活動実績って言われても……学祭で部誌を出すだけじゃだめなのかな? 」

「来たばっかりだから部誌出してるの知らないんじゃない? 」

「いや、それは私が言ったんだけどね……」


 吉永さんを囲んで、あの後残ったメンバーで相談する事になった。


「新入部員の勧誘ってどうなの? 毎年何もやってないけど」

「うちは、ずっと帰宅部希望者の受け皿だったから……勧誘したことなくて」


 突然、台風が来たみたいに部室は荒れ模様、雨が降る寸前の曇り空という感じ。


「史織ちゃんは? どう思う? 」

「え? 私……ですか? 」

「うん、文芸部の事はよく知ってくれてるでしょう? 」

神崎かんざきさんはさ、こうなっても別に困らないもんね」

「佐藤君、ちゃんと活動してるのは悪いことじゃないでしょ」


 残るんじゃなかったな……そう思った。私はただ本を読んでいたいだけで、積極的に部活に参加したいわけじゃない。まして、こういう話し合いの雰囲気は一番、苦手なのに。


「史織ちゃんの意見も聞いておきたいの」


 私を見つめる吉永さんの瞳に頑張って、ない意見を絞り出す。


「いきなりすぎて……意見とかは浮かんで来ないんですけど、みんな活動出来ない事情があると思うんです」


 中身の無い言葉しか出てこない自分が嫌になりながらも言葉を続ける。


「だから何か……ここに来なくても、みんなで集まらなくても出来る事ならいいんじゃないかなと思うんですけど」


 何とか話を終えたのに、みんな黙ったまま。


「確かに個人で出来ることなら今活動出来てないメンバーにもいいかもしれない、何かないかな……」


 吉永さんのフォローにみんな頷くけれど、特に良い案も出ないまま、解散する事になった。


「次回までに考えておいてね、特に三年生は後輩に引き継ぐという視点を持ってほしい」


 吉永さんの言葉が、帰路に着く私の頭にこびりついている。引き継ぐ……今まで個人的に読書してきただけだったから文芸部をチームとして考えたことがなかった、でも先輩は……。


 それにしても澤田さわだ先生はとんでもない爆弾を落としていった。これからどうなるのか想像もつかないけれど、それにしてもすごい慌てようだった。生徒でも知っている職員会議を忘れるなんて……この間の自分と重なる。


 マイペースというか、天然なのかな。


 緊張が解けたからか、ひとりでふっと笑っていた。

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