第2話 もう絶対恋なんてしない

「先輩。好きです」


 口にした。口にしてしまった。言葉にしてしまった。音にしてしまった。


 ただでさえ高かった体温が、急激に上昇していくのを感じる。血液がマグマのようにぐつぐつと、全身を駆け巡るのが分かる。


 胸に秘めた気持ちを音にしたら、後戻りはできない。

 あとはただ、想い人の返事を待つのみ。


「ふふ」


 先輩は柔らかく微笑む。


「私たち初めて出会ったのは、この屋上でしたね。後輩くん」

「そうですね」


 俺も微笑み返して答えた。


「初対面なのに、下着を見られてしまいました。君はあの時からえっちな後輩くんでしたね」

「いや、あれは不可抗力ですよ。あと、初対面から今までずっと俺がえっちだったみたいな言い方はやめてください?」

「でも、普段からちらちらと太もものあたりとか……見てますよね?」

「見ていません。俺は太ももよりも胸が好きなので」

「そのカミングアウトにはなんの意味が……???」


 とても重要なことである。足フェチなのか、おっぱい星人なのか。純愛か、NTRフェチくらいには大局的な性癖だろう。間違われるのは心外だ。


「つまり、後輩くんは私の胸をちらちら見ていた……ということです?」

「いえ、ちらちら女性の胸を見るのはよくないですから。なので、代わりに太ももをちらちら見ることで、胸を見ないようにしていました」

「じゃあ、やっぱり太もも見てたんじゃないですか」

「しまった!」


 誘導尋問されてしまった!

 一生の不覚!


「もうっ。女の子をえっちな目で見てはダメですよ?」

「そんな目で見てませんよ。俺は……先輩のことが好きだったから見ていたんです」

「……」


 先輩は俺のことをどう思っているのだろうか。不安が胸の中に渦巻く。それから少しの沈黙を経て、先輩は口を開く。


「……私も後輩くんのことが好きですよ」

「え!?」


 驚きのあまり大きな声をあげてしまう。はっとなって口を手で覆うと、先輩はころころ笑った。


「そんなに驚くことですか?」

「そ、そりゃあ……まあ。正直、先輩が俺のことどう思っているのか、皆目見当もつかなかったので……」


 先輩はいつもにこにこしている。それは誰にたいしても一緒だ。誰にでも分け隔てなく接する。


 俺はこの1年間、先輩にできる限りアピールをしてきたつもりだ。しかし、先輩がそういう性格だったから、正直手ごたえがいまいち分からなかった。


 恋愛経験もなかったし。


 だからこそ、先輩が同じ気持ちであったことに驚いた。


「後輩くんのこと、正直好みだったんです」

「え?」

「純真無垢で、汚れを知らなさそうで……ああ、汚したら……どんな顔をするんだろうって」

「ん?」


 流れ変わったな。


「でも、我慢してたんです。君は本当にまっすぐだから……可哀想だなって。けどぉ、もう限界♡」

「え?」


 恍惚とした表情を浮かべる先輩。想い人の変化に戸惑い、俺は思わず1歩後ずさる。


「これ、プレゼント」


 そう言って先輩が出したのは――。


「首輪……なぜ……?」

「君を私のにしてあげますねぇ♡?」

「ほわ?」



「私、何か奴隷がいるんですぅ。もちろん、み~んな平等に可愛がってあげてますから。だから、後輩くんも安心してください♡ 大丈夫。衣食住の面倒はちゃ~んと見てあげますから♡ ね♡? だから隠れていないで、出てきてくださぁい♡」

「っ!」


 東校舎屋上にて告白した後、グラウンドを経由して西校舎まで逃げてきた。こちらは家庭科室や音楽室などがある校舎で、部活をしている生徒が残っているかもしれないと思ったのだが……。


 ダメだ!

 もうみんな帰っている!


「ど~こ~で~すか~?」


 先輩が廊下を徘徊している。俺は空き教室の教壇裏に息を潜めていて、今のところ居所はバレていない。


「ぐすんっ」


 あ、涙が。

 そりゃあ、泣きたくもなる。まさか想い人が監禁趣味、調教趣味エトセトラエトセトラのドSの女王様だったなんて!


 普段はあんなに清楚可憐な先輩が!

 信じられない!


 とはいえ、恐ろしいことに事実である。先輩自身が言っていたのだから。


 しかし、どうすればいい? 廊下に先輩がいる限り、ここから出ることは困難。3階だから教室の窓から脱出することも難しい。このままここで先輩が諦めるまで隠れるか?


 そう考えた矢先、がらがらと扉が開く音がした。


「ん~? この教室から後輩くんのにおいがしますねぇ」

「!?」


 怖い。犬並みの嗅覚なのだろうか。


「君の考えは読めてますよ~? このまま私が諦めるまで、隠れているつもりなんでしょ~?」


 怖い。思考盗聴された。頭にアルミホイル巻かなきゃ。


「ねえ、私のこと……好きだったんじゃないのぉ~? ひどいなぁ。逃げちゃうなんてさぁ。傷ついちゃうなぁ~?」


 好きでした。好きでしたよ。でも、さすがに首輪をつけられる趣味はないっていうか! 俺がしたかったのは、交換日記から始めるような清い交際であって!


 SMプレイなんてしたくないんですよ!!


「おーい、ここでなにやってるー?」


 と、ここで新しく誰かが入ってきた。先輩が「すみません、先生」と口にしたので、先生が見回りをしていた折、先輩を見つけたのだろう。


「そろそろ完全下校時刻だぞ? ほら、もう教室から出て帰りなさい」

「は~い、すみません」


 2人ぶんの足音が教室から遠ざかっていくのが聞こえる。


「助かった……?」


 途端に全身がから力が抜ける。


「っはぁぁああああぁあ~」


 先生が来てくれたおかげで、窮地を脱することができたようだ。先輩はもう卒業だし、これで会うこともないだろう。


「……ぐすんっ」


 ちくしょう。

 俺の初恋が……こんな……。


「あら、誰に泣かされたんですかぁ? 可哀想に。よしよししてあげます」

「――っ」


 気づけば目の前に、膝を抱えて座る先輩が、ハイライトのない瞳で俺を見ていた!


「うわあぁぁぁぁぁぁあぁ!?」


 慌てて教壇の裏から飛び出して、先輩から距離を取る。


「まあ! ひどいですねぇ。人の顔を見るなり」

「ど、どうして……! さっきたしかに2人ぶんの足音が、教室から離れていくのを聞いたのに……」

「先生、2人いましたからねぇ」

「っ!」


 しまった。1人しか喋っていなかったから、思い込んでしまった。先輩と先生の足音だと。


「というか、目のハイライトはどうやって消してるんですか」

「消しゴムです」


 物理的だった。


 閑話休題。


 それから教室を飛び出し、走る俺。

 と、追ってくる先輩。


「はっ! はっ! はっ!」

「うふふ、また追いかけっこですかぁ♡?」


 逃げろ逃げろ。

 逃げろ逃げろ逃げろ。


 捕まれば、きっと俺は俺でなくなってしまう!


 ふと、廊下を走っている俺の脳裏に、先輩との思い出が走馬灯のように駆け抜ける。


「後輩くん。口元にご飯粒がついてますよ? 取ってあげます。ふふ」


 微笑みながらご飯粒を取ってくれた先輩。


「すごい! 期末試験、中間の時よりもいいじゃないですか! えらいえらいっ! よく頑張りましたね?」


 テストでいい結果を出して、褒めてくれた先輩。


「うううぅううううぅううぅうううぅぅぅぅ!」


 涙がとめどなく溢れてくる。

 ここにきて俺はようやく気付いたのだ。現実に漫画やアニメのような純愛など存在しない。


 フィクションはどこまで行ってもフィクションなのだと。現実は恐ろしいのだと。


 胸が苦しいのはなぜだろうか。あんなに好きだった先輩は、すべてまやかしで、本当の先輩は今俺を嬉々とした表情を追いかけてくる――あのバーサーカーのような人。


 一体、俺はなにを見ていたのだろう。上辺だけを見て、その本質を見ようとしていなかった。


 これが恋に恋した男子高校生の末路。


 もしも時間を遡ることができるのなら、俺は中学時代の自分にこの言葉を贈りたい。


――現実を見ろ。


「ううううぅううぅぅうぅううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううぅ!」


 もう現実に期待なんてしない。

 こんな思いをするくらいな恋愛なんてしない。


「もう絶対恋なんてしねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 黄金色の空に、俺の心からの叫び声が響き渡った。

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