第七章

第44話

「河谷先生、ありがとうございました」


そう言って、午前中最後の患者さんがすっきりした顔で面談室から出ていった。

来室したときより少しだけしゃんとした背中を見送って、私は軽く室内を片付けて詰め所に戻った。


スタッフにお疲れさまですと声をかけ、電子カルテの入ったパソコンを開く。

記録画面を表示させ、今日話した内容を要所をかいつまんで記入する。

終わったらついでに作りかけの心理療法の資料も進めておく。

あとは時計がお昼を指したら、今日の業務は終了だ。


本来ならここで帰っていいのだけれど、私はロッカーからお弁当箱を持ち出し、いつものように休憩室に入った。

お疲れさまです、と声を掛けると、先番休憩のスタッフたちがお疲れさまです、と各々応えてくれた。


適当な椅子に座ると、後からやってきたベテラン看護師の佐伯さんが「あれっ、晴ちゃん、今日午後休じゃなかったっけ」と声をかけた。


「午後から治験の説明で」


「ああ、ギフトの」


佐伯さんは納得したようで、私の隣の席に腰かけた。


「先生からはもう聞いてるのよね」


「はい。今日は製薬会社の方が直接お話に来られるそうで」


「G研だっけ? うまくいくといいね」


私は頷いて、自分のお弁当箱を開けた。

卵焼き、ミニトマト、ブロッコリー。

彩りを考えながらバランスよく毎日違うメニューを作り続けるのはけっこう大変で、あの頃、お母さんやマコちゃんが毎日きれいなお弁当を作っていたのは大変な作業だったんだなと身に染みた。

それも3年目ともなれば、だいぶ慣れたものだけれど。


「まさか晴ちゃんが、私たちと一緒に働くようになるなんてねえ」


佐伯さんも感慨深そうにお弁当箱を開けた。

今日は3色そぼろ丼。

アクセントにした絹さやの色がきれいで美味しそうだ。

佐伯さんはいただきます、と手を合わせて箸をつけた。


「ここで働くの、夢だったので」


「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」


佐伯さんは私が高校生の頃、この大学病院に入院したときの担当看護師だ。

その節は本当にお世話になった。

ギフトを暴走させて落ち込む私に、あえていつもと変わらず明るく声をかけてくれたことで、精神的にかなり救われた。


「ギフトの扱い、だいぶうまくなったじゃない。今さら治験なんてしなくていいんじゃない?」


「確かに昔よりはコントロールできるようになりましたけど、やっぱり動揺すると風が出るんですよね。何か起きてからじゃ遅いですし」


「あなたのそれ、まるで動物の尻尾みたいね」


あはは、確かにと私は笑った。

旋風のギフトは悲しくても嬉しくても出てしまう。

そのとき誰かが側にいるとは限らないので、対策として私はタオルのような柔らかいものを常に持ち歩き、それを握ることで気持ちを落ち着けていた。


「まあ、あまり気にせずに。誰でもミスはするし、だからといって死ぬわけじゃないし」


「はい」


それもそうですね、と言って私は卵焼きをつまんで口に入れた。

佐伯さんのこういう大らかなところにも、私は同僚になってからも救われている。


私たちの話題は仕事の相談に変わっていく。

もっとここをこうしたい、ああしたい。

そういえばうちの娘がね。

それなら私もこの前――……


安心して話せるのが心地いい。

これが私の日常だ。

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