いま、そよ風が吹いた

第10話

「次のやつは元野球部の4番バッターだ。野球部特例でバットは木製だけど、必ず遠くまで打ってくる。何が何でも絶対取れよ」

ヤスくんはキャッチャーをしながら忠告する。

試合は進んで最終回の裏、私たちは守備についている。

得点は3対2、2アウト。

三塁に1人、出塁している。

はっきり言ってピンチだけど、ここで逃げ切ればうちのクラスの勝ちが決まる。

「ワンバウンドはダメだからな！　絶対一発で取れよ、特に女子！」

「無理言わないでよー」

私たちをわざわざ指さして難題を押し付けるヤスくんにマコちゃんは反論したけど、彼はつんとして聞く耳を持たない。

ヤスくんは負けず嫌いのしかも野球好きだ。

たとえ学校行事といえども、負けたくないその気持ちは分かる。

分かるけど。

「お願いだからこっちに飛んでこないでえ……」

ライトの私とレフトのマコちゃん。

その間には、頑なにセンターを守るといって聞かなかった陸くんがいる。

陸くんはとにかく前に立つポジションは嫌なようで、不慣れな人の近くでサポートに徹する、そういう役割を希望した。

私はどきどきしながら前を向く。

元野球部、しかも4番なんて、ホームランよろしく打ってくるに決まってる。

私たちはできる限り後ろに下がって、そのときを待ち構えた。

緊張感の漂う投球が始まった。

ピッチャーは元女子陸上部のよっしーが務めている。

1球目、ボール。

2球目、ボール。

3球目、ストライク。

そして4球目。

――カキーン！

「行ったぞ！」

「うそ、こっち！？」

祈りも虚しく、私の守備範囲内に真っすぐ飛んでくる白球。

「晴ちゃん頑張れー！」

走る私をマコちゃんは応援してくれるけど無理だ。

陸くんの練習の球よりずっと速いし高いし怖い。

今日はずっとワンバウンドかゴロを捕っていた。

どうしよう、こんなの無理、捕れない、みんなに迷惑かける、怒られる。

そう思ったときだ。

「離れろ！」

全速力で走ってきた陸くんが、私の視界に入ってきた。

ぶつかりそうになったのを避けようとして私は尻餅をつき、その横で陸くんは腕を伸ばしてスライディングした。

「り、陸く……」

「捕ったぞ！！」

陸くんは腕を掲げてグローブを審判に向けた。

その手にはしっかりと白いボールが収まっている。

「アウト！　試合終了――！！」

わあっ、とグラウンドが湧いた。

ヤスくんの嬉しそうな歓声が響く。

よくやった陸！　と両手を上げて喜んでいる。

良かった、無事うちのクラスは勝ったみたいだ。

「悪い、大丈夫か」

立ち上がった陸くんは座ったままの私に声をかけた。

「大丈夫、ありがとう」

私も立ち上がってパンパンと服に付いた砂を払う。

「あ」

彼が戻ろうと背を向けたとき、ちらりと見えた彼の腕。

左の腕に血が滲んでいる。

スライディングしたときに、すり傷ができたみたいだ。

「その傷」

「……このくらい、なんてことない」

「痛いの痛いの、とんでけ」

陸くんに拒否される前に、私は許可も得ず、す、と傷の上を撫でた。

「おい、俺は頼んでない――」

「これはお礼だから」

私が強く言うと陸くんは黙った。

練習に付き合ってくれたお礼。

捕れない球をキャッチしてくれたお礼。

座り込んだ私を心配してくれたお礼。

このくらいしか、私にできることはないから。

「晴ちゃん、戻ろー！」

遠くからマコちゃんが私に手を振っている。

「今行くー！」

私は戻ろう、と陸くんに笑いかけて、ぱたぱたと駆けていく。

その後ろで陸くんがどんな顔をしていたのか、私はずっと知らない。