Prologue-2 推理少女現る

 何が起こったのか、目の前の状況を理解することは可能でも今に至るプロセスは理解不能だった。


 なぜ夏姫の命が奪われたのか。方法にしろ動機にしろ、その答えに辿り着くには時間を要する。守には時間が必要だ。




「宅磨、警察に連絡してくれ」


「あ、あぁ」




 宅磨に通報を促した守はすぐに視点を夏姫へと戻す。


 既にこと切れている彼女の腹部にはナイフが深々と刺さっており、服を真っ赤に染めていた。だらんと重力に従うままに垂れた両手も大量の血が付いていた。


 事件の捜査をしようと試みるが、推理小説のようにうまくはいかなかった。


 実際に遺体を目にした守は頭を回転させることが容易ではなくなっていた。死んでいる人間は初めて見たし、死んだのが身近な人物だということにダメージをおっていたのだ。全てを嘔吐してしまいたくなるほどに。




「いつも大事な時に…俺って本当に役に立たない」




 思わず守の口から零れる。


 一旦深呼吸をして自信を落ち着かせる。




「…なあ、宅磨」




 多少の思考回路が復活した守は既に通報を終えた宅磨に声をかける。




「本当のことを言ってほしい。お前が…夏姫を殺したのか?」




 守の言葉に宅磨は目を見開く。




「疑うのか、俺のことを」




 信じられないといった表情。これが自然のものなのかそれとも演技なのか。いくら活動を共にしてきた友人とはいえ判別するのは困難だろう。




「犯行当時、ここは暗闇だった。遠い場所に犯人がいた場合、どうやってこの暗闇の中を移動して夏姫を殺害したことになる?」




 友人が犯人かもしれないと感じていた守の声は生気を失っていた。




「…前もって暗闇に目が慣れるように例えばずっと目を閉じていたとか」


「そんな人を宅磨は見たのか?」


「いや」




 宅磨は目をそらして自身の鞄を見つめる。


 宅磨には夏姫を殺害する動機がある。そう、さっきも話題になっていた宅磨の浮気問題だ。浮気相手と本気の付き合いをすることを決心して、邪魔になった夏姫を殺した。筋が通る。




「暗闇に乗じて夏姫を殺せるのは…停電の直前まで付近にいた俺と宅磨。二人だけだ。そして宅磨には浮気している相手がいる。夏姫を手にかけるには十分な動機が存在することになる」


「違う」




 ただ一言否定する。


 状況が物語っている。そう確信した守は口を開いた。




「夏姫を殺したのは宅―」


「本当にそうでしょうか?」




 守の耳に突如として女性の声が響いた。


 真横からの声に驚き視線を移すと一人の少女が夏姫の遺体のそばに立っていた。少女と言っても守と年齢はさほど変わらないだろう。


 背中を覆い隠すほどの長い銀髪に、大きくて円らな青い瞳。すらっとした体型。どこかの財閥の令嬢と言われても不思議ではないような美しい姿をした少女だ。


 その美貌に一瞬見惚れた守はすぐさま我に返る。




「ど、どういうこと…?」




 本当に友人が犯人なのか、という問いに対して守は言葉を投げる。


 すると、銀髪少女は遺体を眺めて口を動かした。




「犯人は彼女をナイフで刺した。となれば必ず犯人は返り血を浴びるはずです。しかし、彼の服を見てください」




 守はハッとして宅磨の服を見る。


 確かに宅磨の着用している制服には一切血が飛び散っていなかった。




「か、返り血どころか血が全く付いていない…」


「そうです。少なくとも彼がナイフを刺した人間ではないということが言えます。そもそも、あんな暗闇の中で隣に座っている彼女を殺害してしまっては周囲から見ればバレバレです」




 銀髪少女の指摘は的確だった。初めて事件に遭遇したことによって冷静さを欠いていた守は、少し考えれば分かる初歩的な事実を見逃してしまっていた。




「…彼はずっと自分の鞄にしきりに視線を落としています」




 それには守も気づいていた。ナイフを隠し持っていたから鞄を見ていたものだと思っていた。そこに別の意味があるとは全く思ってもいなかった。


 宅磨はゆっくりとバッグのファスナーを開けて、二枚の紙切れを取り出した。それはただの紙切れではなく、映画のチケットだった。




「…宅磨。もしかしてそれ」


「夏姫がずっと見たいって言ってた映画のチケット。今日この後二人で行こうと思ってた…」


「…本当にこの方が犯人で事前にナイフを鞄に入れて最初から殺害する予定だったのなら…映画のチケットも一緒に鞄に準備はしないでしょう」




 少女の言説について守は十二分に理解できてしまった。


 最初から夏姫の命を奪うつもりだったならば、無駄になると分かっている映画のチケットを宅磨がわざわざ所持する必要はない。まさにその通りでぐうの音も出なかった。




「同様にあなたも返り血は浴びていないので、犯人にはなりえないですね」




 少女は守を見つめてそう言った。


 不意に見つめられてドキッとする守。




「そしてあの暗闇の中、不審な光や音は無く自由に動くことは不可能。となれば、可能性は一つしかないですよね?」




 少女は問いかけた。


 守は既に理解をしていた。彼女の言う残った「可能性」はこれしかないだろう。


 殺人は殺人でも、




「――自殺。…それが真実だっていうのか」




 その可能性しかないと言われてもまだ信じられなかった。信じたくなかった。




「遺体の手が血塗れですね。自分でナイフを握った証拠だと思います」




 気づけなかった。指摘の数々に疑問さえ持っていなかった。


 守の頭の中はすぐに犯人が宅磨だと短絡的に判断してしまったのだ。




「まぁ、おそらくナイフの柄には自身の指紋が付いていると思いますし、いずれ彼が疑われても容疑は晴れたとは思いますが」




 信じ難いことではあった。しかし守に反論すべき材料は何一つ存在していなかった。


 夏姫が自殺をした。これを事実とするなら理由は宅磨の浮気に対する復讐。宅磨に容疑がかかるように他殺を装って。




「…もしかして夏姫はずっと窺っていたのか。宅磨を陥れるタイミングを」




 夏姫は常に懐にナイフを忍ばせて行動していた。そして偶発的に発生した停電を狙って計画を遂行した。


 分かった途端に守は恐ろしくなった。なんにせよこの事件はどこかで起こる運命だった。その機会がたった今来てしまったのだ。




「そういうことだったのかよ、夏姫…。ほんと馬鹿じゃん俺…」




 宅磨の目から涙が零れた。




「浮気をした貴方は馬鹿です」




 少女の声は明らかに怒りを含んでいた。




「自分を刺し殺したこの人も、悪く言いたくはありませんが馬鹿です。命とは生きとし生ける者の役目を果たすために授けられた代物。軽はずみに命を絶つなど言語道断です」




 本当に現実なんだろうか。


 守は目の前の光景に思わず釘付けになる。


 まるで小説の世界。それもそのはず、淡々と言葉を並べる彼女の姿はとても美しいものだった。不謹慎にも彼女の玲瓏たる姿に魅了されてしまう。


 気づいた。彼女こそが本物の探偵であることに。




「後は警察の仕事です」




 銀髪少女はそう言い残して、レジにいくらかの現金を置くと立ち去ってしまった。


 守はただひたすらに呆然と少女の姿が見えなくなるまで見ていた。


 警察が駆けつけるまで彼は茫然自失だった。


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