不運探偵は今日もビビりながら推理する

MOGIMOGI

Prologue 喫茶店殺人事件

Prologue-1 闇の誘い

本当に現実なんだろうか。


 乙鳥守つばくらまもるは目の前の光景に思わず釘付けになる。


 まるで小説の世界。それもそのはず、淡々と言葉を並べる彼女の姿はとても美しいものだった。






 ~~~






「…というわけで犯人は執事でしたー」




 七星宅磨しちせいたくまは煽り散らかした。


 その声色にムカついた守と丁夏姫よぼろなつきは即座に言い返す。




「ガバガバすぎだろ、その密室トリック」


「入部して暫く経った人とは思えない程にツッコミどころ満載ね」




 真昼間の喫茶店。アスファルトも肌も、全てを照り付ける陽射しを回避するべく、冷房の効いた店内に滑り込んだ三人は席に着くや否や議論を開始した。三人がいつも利用する喫茶店だが、珍しいことに窓がないため、完全に外部から遮断された空間だ。汗をかいたり日焼けしたりする心配はない。


 守、宅磨、夏姫はミステリー研究部に所属しており、定期的にこのような"ミステリーについて語る場"がしばしば設けられる。三人が好きでやっているだけではあるが。




「モルグ街もう一回読んで来い」


「俺にとってモルグ街は邪道なんだよ。なんだ守。不満があるなら、これの何処がおかしいのか言ってみろ?」




 宅磨は直前、二人に犯人当てクイズを出題していた。大富豪の屋敷で発生した密室殺人。犯人は誰なのか、使用されたトリックはどんなものか。その種明かしにブーイングの嵐だった。




「まず、スロープ状の氷。これはどうやって用意した?」


「…さあ?」


「出題者が思考を放棄しないでよ」


「犯人は予めスロープ状の氷を用意してそれをテーブルの麓の床に置く。外側から鍵を差し込んで施錠して、その鍵をドアの隙間から氷めがけて勢いよく滑り込ませる。鍵はその勢いで氷のスロープに乗ってジャンプして、テーブルの上に着地する…だったな?」


「俺の自信作」


「そんなうまくいくか」




 宅磨は本当に自信ありげに腕を組んでいるが、守はトリックの不自然さを指摘して猛抗議する。




「氷のスロープがトリックが成立する上で最も重要だと思うんだよ。だけど、推理する側が真相にたどり着くためには必ず氷に関する何かを提示しておかないといけない」


「想像力を膨らませてもろて」


「喧しい。解答者に氷スロープが準備できる可能性を示唆しないと意味ないでしょ。例えば、冷凍庫に何故か何も入ってなかったとか」


「うっ…」




 小さく呻き声が聞こえる。


 すかさず今度は夏姫が口で攻撃する。




「仮に氷スロープが準備できたとしても、そこに丁度よく鍵を滑り込ませてぶっ飛ばすのは無理だよ」




 夏姫は相手や場面関係なく少し言葉遣いが荒い。守が過去に出会った女子の中でも突出して口が悪いと言えるだろう。




「スロープに鍵がつっかえる可能性の方が圧倒的に高いわよ」


「そんなことないもん!」


「何だその口調、気持ち悪」


「酷い」




 そして宅磨は守や夏姫に負けるが、それなりに頭は冴える。勿論推理小説を語り合えるくらいには。




「まあ守の指摘がご尤もだな。完敗だ」


「そもそも勝負だったんかこれ」




 守は大の推理小説好きである。推理小説というジャンルにのめり込むことになったのは、十角館の殺人が始まり。以来、数々の推理小説を読み漁ることとなった。


 特に探偵が登場する物語は好む。最後に推理を毅然とした態度で披露する探偵には憧れを感じていた。だが、自分自身を感受性が乏しいとは全く思っていないので、それこそ小説の世界の探偵のような冷静で他人に流されない立ち振る舞いが出来るとは微塵も思っていない。


 それでも守は今でも探偵を夢見ている。両親からは反対されているが。


 そんな両親の反対を無視して実家を飛び出して進学した高校に、偶然ミステリー研究部なるものが存在していたことに守は最初驚きを隠せなかった。


 入学当時の先輩部員は四人、そこに新たに入部したのが守、宅磨、夏姫の三人。同じ分野に興味がある人間が集まるのは必然であるが、入部直後から推理小説の話で意気投合し、今に至る。




「そんな稚拙なトリックで私らを出し抜こうなんて考えないことね」


「おいおいいつもより…もう少しあるじゃん優しい言葉が」


「無いから」




 守の目から見ると二人は仲が良く見える。


 大方、宅磨に対する指摘は守がしているが、主に言い合いをしているのは夏姫だ。


 ただ今日は普段よりあたりが強い。宅磨の「いつもより」という言葉はそのことだろうと守は解釈した。おそらく先ほどの問題の出来の悪さに呆れているのだろう。


 喧嘩という恒例行事を眺めながら、コーヒーを啜る。




「宅磨、あんた浮気してるでしょ」




 守は口の中に含んでいたコーヒーを思わず吹き出してしまった。




(はあ? どういうこと? 二人って付き合ってんの?)




 すぐにテーブルに散ったコーヒーをふき取りながら、宅磨と夏姫の顔を交互に見る。


 守の慌てように気づいた宅磨が「ああ」と今思い出したかのように言う。




「夏姫と付き合ってるんだよ。言ってなかったか?」


「初耳だよ」


「付き合ってるけど。でもこいつ、先週別の女と買い物してたのよ。浮気よ浮気」


「い、いろいろ事情があるのさ…」


「どういう事情よ! 三千字以上で答えなさい!」




 急に読書感想文みたいな長さの説明を強いられて、宅磨は辛そうであった。


 守としては、友人とはいえ浮気してるような道理に反している人を擁護する意味は皆無なので、助け舟は一切出さなかった。




「全く。痛い目見せてあげるわよ」


「勘弁してくれ~」




 夏姫は結構本気で言っているようだ。




(軽口を叩いているあたり、割と前から恋人関係だったんだろうなあ)




 ミステリー関連の活動として仲良くやってはいるものの、宅磨や夏姫に対してプライベートな部分まで介入はしていないので今報告されるまで気づけなかったのだろう。


 取り敢えず自分が探偵になるまではこのまま平凡な毎日であってくれ、と心の中で願いながら再びコーヒーを一口。


 その瞬間だった。


 突如として視界が真っ暗闇に奪われる。




「え、何? 停電?」


「なんだなんだ」




 周囲の客も同時に戸惑いの声をあげる。




「ブレーカーを見てきます!」




 店員らしき女性の声。数秒では暗闇に当然目は慣れないので、あたりを見回しても真っ黒いまま。守の向かいにいる宅磨や夏姫の姿も認識できない。まさに一つも窓のない密閉空間は、照明を奪われたらあっという間に漆黒の世界だ。




「停電…か」




 守は小さな声で呟いた。その言葉はミステリーで培った知識から発せられたものだ。


 ミステリーや推理小説において、光を奪われた空間というのは事件が起こる定番である。暗闇に乗じて人が消えたり、あるいは誰かが殺害されたり。これまでも推理小説の中で、幾千という数の暗闇の中で発生する事件を読んできた。現実問題、二次元ほど容易に出来る代物ではないが。守自身はそう理解している。


 しかし、実際自分が同じような状況に置かれると胸騒ぎがする。別に事件が起こってほしいなんて物騒なことは思っていない。ただ謎に不安感が押し寄せてくる。この胸騒ぎが杞憂であることを守は願った。


 停電が始まって一分程経過したかというところで、視界に変化が訪れた。


 照明が光源を取り戻し少し前と変わらない景色が広がっていた。




 ただを除いては。


 守の向かいには変わらず宅磨と夏姫が腰を下ろしているが、夏姫は机に突っ伏していた。




「ふぅ、怖かった。ミステリーなら誰か死んでてもおかしくなかったぜ」




 宅磨はそう言って「なあ、夏姫」と夏姫の方に視線を移す。


 しかし夏姫からは何の返事もなかった。


 守の胸騒ぎは止まることを知らなかった。寧ろますます強くなっている。




「夏姫~、お前暗いのが怖かったのかあ? 俺が慰めて…」


「待て! 宅磨!」


「え?」




 夏姫の服に触れようとしていた宅磨を即座に守が制した。


 守がその場で立ち上がってテーブルの横まで移動して、そして気が付いた。


 夏姫の座っている足元に真っ赤な液体。そこに一滴一滴と滴っている。


 杞憂ではなかったのか? 自分の嫌な予感が的中したのか?


 いやいやと首を横に振って、机に突っ伏す夏姫の顔を少しずつ横に向けた。




「…!」




 凍り付いた。息をすることも忘れてしまう程に。


 そこには目を見開いたまま、歪んだ表情で動かなくなった夏姫の顔があった。生きているのか、死んでいるのか、素人の目にも一目瞭然だった。




「…おい。嘘だよな…?」




 明らかに様子の違う守を見た宅磨はそう投げかける。




「いや…」




 いざ発した声は枯れて満足な音量ではなかった。




「…死んでる」




 数秒間の沈黙。やがて宅磨が「なん、で…」とこぼす。




「…目の前で起こったんだよ。…殺人事件が」




 守の平穏な日常生活は、友人の死によって唐突に終わりを告げた。

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