Case 1 バスカヴィル家の魔物⑤
コボルトは悲しげな顔で、もごもごと答える。
「それは……オレは、えっと……」
料理人マシューが割って入った。
「あっしのせいなんです!」
「あんたのせい?」
「一昨日の午後、ピクルスの漬け汁を仕込んでおりまして……。お酢やワインをたっぷり鍋に入れて沸かすんですよ。あっしがその作業をしている最中に、うっかりトニーのやつが台所に入ってきちまいまして……」
何しろヒトの一億倍の嗅覚である。
酢酸とアルコールの刺激で、ひとたまりもなかっただろう。
「オレの、鼻……バカになった……ご主人、見つけられなかった……」
トニーはシュンと肩をすぼめる。
「ピクルスって、昨日の夕食の?」
と、ミランダ。
マシューはうなづく。
「左様でございます、奥様。昨夜のメインは北方風の魚肉風味コロッケでしたでしょう。付け合わせには
その夕食には、私たち二人も客人扱いで同席させてもらった。
魚肉風味のコロッケなど初めて食べたが、大変に美味だった。
脂っこい揚げ物に、軽やかなピクルスは最高の付け合わせだった。
「さて、どーだか?」
ミランダはフフンと笑う。
「鼻が利かなくなったかどうかなんて、本人にしか分からない。ウチら第三者には分かりようがないじゃん」
いらだちも露わに長男ジョンが応える。
「何が言いたい――?」
「もしも仮にトニーが犯人だったとしたら――。クロードが行方不明になったときに、『探せない』というだけで疑いの目を向けられてしまう。でも、夕食の献立なら1週間先まで分かっているでしょ。使用人頭であるトニーなら、ピクルスの漬け汁をいつ仕込むのかだって、予測できるんじゃないの?」
「つまりトニーがわざと台所に入ってみせたというのか? そして、嗅覚を失ったふりをしたと?」
「何も、そうだと断言しているわけじゃない。でも、そう考えればスジが通ると言っているだけ」
「いい加減にしろよ、アバズレ」
「は? その口の利き方は何? 法的にはウチはあんたの母親だよ?」
「よくもまあ、ぬけぬけと『母親』を名乗れたものだな! どうせ遺産目的で父上をたぶらかしたくせに!」
「クロードは理想の夫だったけど、子育ては下手くそだったみたいだね。兄妹揃って本当の愛を理解できないなんて」
「あんたはトニーを疑っているようだが、あんたこそ真犯人なんじゃないか? 財産目当てで結婚したのに、いつまでも父上はくたばらないし、カネが自分のものにならない。だから、しびれを切らせて――」
「つーか、そういうあんたはどうなの、ジョン?」
「……俺?」
「いい歳をして働かず、新しい事業を起こしもせず、クロードから小遣いをせびって遊んでばかり……。最近ではしょっちゅう親子ゲンカしていたじゃん。ウチが見ていなかったとでも思う?」
長男ジョンは、頬を真っ赤に上気させた。
「そ、そんな話――。この場でする必要があるか!? 客人もいるんだぞ!!」
「クロードは言い方がキツいところがあったから……。それで、ついカッとなって、グサッてやっちゃったんじゃないの?」
「このクソアマ――」
「二人ともおやめになって!!」
キャサリンは顔を覆っておいおいと泣き始めた。
「何を考えているの? お父様が亡くなったのよ? お葬式もまだなのに……。どうしてそんなくだらないことで言い争いができるの?」
隣に座った商人マルコが、気遣わしげに彼女の背中を撫でる。
「ぼくもキャサリンに同意です。お言葉ですが――。今そんな話をするなんて、どうかなさっていますよ」
長男ジョンは「ハハッ」と乾いた笑いを漏らした。
「よく言うぜ」
ミランダが相槌を打つ。
「ほんとそれな」
マルコは釈然としない表情を浮かべる。
「どういう意味です?」
「今この部屋にいる人間の中で、父上の死を一番喜んでいるのはあんたのはずだ」
「なっ!? いくら何でも、言っていいことと悪いことが――!!」
「父上は、俺やキャサリンにとっては血の繋がった親だ。どこまで本気か知らないが、ミランダに言わせりゃ『愛する夫』だそうだ」
ミランダが「その通り!」と相槌を打つ。
ジョンは続けた。
「けれど、マルコさん。あんたにはそういう
「バカにするのもいい加減にしていただきたい」
マルコの声は低く、震えていた。
ダークエルフが本気で怒るところなど、私は初めて見た。
「これでもぼくは、地元では名の知れた商人です。義父の遺産を当てにするほど落ちぶれてはいません。働いたことのないあなたには分からないかもしれないが――」
売り言葉に買い言葉。長男ジョンも言い返す。
「働いたことがなくても、資産と負債の違いくらいは知ってるぜ。表面的には派手で贅沢な暮らしをしていも帳簿は借金まみれ、なんてことがザラにある」
「兄さん、やめてください……」
「いいや、キャサリン。お前も気を付けたほうがいい。ダークエルフがヒトに結婚を申し込むなんて、滅多なことじゃない。こいつがお前に近づいたのは、最初から父上の財産が狙いだったのかもしれないぜ――」
「やめてったら!!」
ほとんど悲鳴のような声でキャサリンは叫んだ。
後はもうめちゃくちゃだった。
遺された家族は思いつく限りの汚い言葉でお互いを罵倒し始めた。
私は深々とため息を漏らす。
「やっぱり失敗だったんじゃありませんか。容疑者を一同に集めるなんて」
ドワーフはガハハと笑う。
「何を言う! ご覧の通り、大成功だ! 必要な情報はおおむね聞き出すことができただろう?」
この子供のケンカのような状況を作り出したことが、大成功?
ドワーフの考えることは分からない。
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