Case 1 バスカヴィル家の魔物④

「ときにアイラくん!」

 ドワーフはくるりと私のほうを振り向いた。

「君たち魔法使いは、近くで魔法が使用されたらそれを感じ取ることができるというけれど、それは本当かね?」


「ええ、まあ」

 むっつりと私は答える。

「普通の人たちが、空気の振動を〝音〟として感じ取れることに似ています。魔法の素養がある者は、空間を伝わる魔力震まりょくしんを肌で感じ取ることができます」


「では、もしも転移の魔法が屋敷の敷地内で使われたら?」

「転移術なんて強力な魔法――。落雷や打ち上げ花火みたいなものですよ。この距離なら絶対に気づく」


「そしてバスカヴィル卿が殺された夜は?」

「何も感じませんでした」


「ありがとう」

 ドワーフは微笑んだ。

「わしは魔法を一種の奇術だと思っておるし、魔法使いはみんな詐欺師だと思っておるが……。今の証言は役に立つ。感謝するよ」

 ムカつくおっさんだ。


「アイラくんの証言は、他の魔法使いからも裏が取れております。この屋敷のお抱えの聖職者や、近隣に暮らす魔法使いも、同じ意見だった――。どうやらあの晩、転移の魔法は使われておらんようです。ついでに言えば、巨大な飛行生物が翼をはためかせるバサバサという音を聴いた者も見つかりませんでした」


 ドワーフは苦笑する。

「まあ、証拠の不在は、不在の証拠というわけではありませんが……。地下迷宮から遠く離れたこんな場所に魔物が現れたという仮説は、かなり疑わしいとわしは考えております」


「あんたのほうこそ、真犯人がいるという考えに囚われすぎているんじゃないか?」

 と、長男ジョン。

「魔物のかぎ爪じゃないなら凶器は何だ? なぜわざわざ、『あまり鋭くないギザギザしたもの』なんて使ったんだ? 首を切るならナイフでも使えばいい!」


「ウチの旦那、敵も多かったからね~」

 ドワーフの代わりに、被害者の妻ミランダが応えた。

「よっぽど憎まれていたのかも」

 自分のネイルを眺めながら、彼女は苦笑する。


「憎まれていたですって? お父様が――」


「カマトトぶんなよ、キャサリン。あんただって、自分の父親がやってきたことを知ってんでしょ。時にはライバルを押しのけて、踏みつけて、破産に追い込んで――。そうやって商売を大きくしてきたから、あんたら2人の子供は贅沢な暮らしを楽しめた」

 ミランダは肩をすくめる。

「ナイフで綺麗に殺してやるぐらいじゃ足りない――。そのくらい強い憎悪を抱いているやつがいてもおかしくない。だから、木の板を削るなり、石を叩き割るなりして、特別に痛そうな凶器を用意したんじゃないの?」


「どうして、そんなひどいことを言えるの……?」

 キャサリンは今にも泣き出しそうだった。

「なぜそんなに平然としていられるの? あなたはやっぱり、お父様を愛していなかったの……?」


「あんたこそ、ひどいことを言ってくれる。それじゃまるで、ウチが遺産狙いでクロードと結婚したみたいじゃん」


「……悪いけど、わたくしはそう思っています」

「愛には色々な形があるんだよ」

 フンッと息を吐いて、ミランダは顔を背けた。


 商人マルコが、ぽつりとつぶやく。

「あるいは――考えにくいことですが――生まれつき牙やかぎ爪を持っている者が、バスカヴィル卿を殺害したという可能性は?」


 その一言で、室内にいた全員の視線がドアの近くに向けられた。


 料理長マシューの隣に、犬頭人コボルトの執事が立っていた。

 彼は使用人頭のトニー。最後の容疑者だ。

 黒と白の執事服の上に、たれ耳の猟犬のような顔が乗っかっている。

 身長は、ヒトでいえば小柄な男性か、あるいは成人女性くらい。

 トニーは木製のワゴンの上にグラスを並べて、冷えたレモネードを給仕しようと準備しているところだった。


 レモネードの詰まったデキャンタを片手に、トニーは首をゆっくりと横に振った。

「お、オレ……犬頭人コボルト……。嘘つき……苦手……」


 声帯の形が違いすぎるため、犬頭人コボルトは私たちの使う共通語を上手く喋ることができない。

 そのため誤解されがちだが、口調が片言だからといって、知的に劣っているわけではない。


 むしろ、彼らは使用人としてヒトよりもはるかに高い賃金で雇われている。

 一般的には、犬頭人コボルトは主人への忠誠心が強いからだとされている。

 でも、それは美辞麗句だ。

 実際には彼らは嘘をつくのが苦手なのである。

 感情がすべて尻尾に出てしまうし、無理に嘘をつくと毛が逆立つ。


 要するに、ヒトよりずっと信頼できる使用人なのだ。


「……ご主人、いい人……オレ、殺してない……悲しい……信じて……」

 目をウルウルさらながら、トニーは言う。


 商人マルコのいう通り、トニーの牙であればヒトの頸動脈を食い破ることなど造作もないだろう。

 問題は、彼にはそれを隠し通せないということだ。


 長男ジョンはかぶりを振った。

「トニーは俺が子供の頃から屋敷で働いている。俺にとって兄弟同然だ。……トニーが牙やかぎ爪を使った? そんなこと、冗談でも言わないでくれ」


「お坊ちゃま……ありがとう……オレ、嬉しい……」

 目をさらにウルウルさせるトニー。


 商人マルコはうなづく。

「もちろん、ぼくも考えにくいことだと思っています。あくまでも可能性を指摘しただけで、彼を犯人だと思っているわけでは――」


「えぇ~、それ本気? ウチはこの屋敷に来るまで犬頭人コボルトなんて見たことがなかったし、完璧には信じられないんだけど。本当に嘘を付けないの? 絶対に?」


「ぜ、絶対! ……オレ、絶対……嘘つかない……奥様、信じて……」


「そうよミランダ! あなたがトニーの何を知っているの?」


「じゃあ訊くけど、一昨日おとといの晩にクロードが姿を消したとき、なぜ見つけ出せなかったの? 犬頭人コボルトは並外れた鼻を持っているんでしょう?」


 ミランダは正しい。

 犬頭人コボルトの嗅覚は、イヌやオオカミに匹敵する。

 においの種類によっては、ヒトの一億倍もいいとされている。

 彼の嗅覚をもってすれば、クロードの居場所などすぐに突き止められただろう。

 たとえ殺害を防ぐことができなかったとしても、腐敗が始まる前に遺体を発見して、蘇生魔法に成功したかもしれない。


 もしもそうなっていたら、話はずっと簡単だった。

 事件の真相を、被害者の口から直接訊けばいい。


 でも、そうならなかった――。

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