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 かつて、貴子がグローブを合わせた奈々が世界タイトルマッチ挑戦に伴い返上した日本タイトルを獲得したマナミが次の防衛戦を貴子とやりたいと宣言してから1か月半の月日が流れた。まだ残暑が厳しい9月に入って間もないある日のことだった。いつも通り、貴子は家業の美容院の仕事を終えてジムに次の試合へ向けての練習に出ていた。

「ちょっと、たかちゃん。今から会長室の方へ来てもらえる?」

と原島会長から呼ばれ、貴子は会長室に入った。

「たかちゃんに2つ伝えておきたいことがあるんだ。まず、1つ目の伝言。来年の1月3日に、たかちゃんの日本タイトルマッチ挑戦がほぼ正式に決定されたんだ。もちろん対戦相手は、わかってるだろうが江藤マナミだ。ただし、チャンピオンサイドは、チャンピオンの次の防衛戦の相手としてミニフライ級の前日本チャンピオンでフライ級との日本タイトル2階級制覇を目指している西山梨香と試合をさせるつもりでチャンピオンの所属ジム側は考えていたみたいだ。交渉では、それをめぐってもめたみたいだが、チャンピオン自身がたかちゃんと試合をしたいと大ダダをこねたとのことだ。そこで、たかちゃんには、もう1つ伝えなければいけないことがあるんだ。チャンピオン側のジムの江藤会長は、西山梨香がたまに出稽古にやって来る西尾ジムの会長さんと知り合いということもあって、チャンピオンとタイトルマッチを戦う条件を1つ提示して来たよ。2カ月後に、西尾ジムに所属する41歳のベテランボクサー長野明美とノンタイトル8回戦を戦えば、正式に来年の1月に日本タイトルマッチを行いましょうとの話となったのだ。今回の対戦相手は、西山の所属ジムの会長が送り込んだたかちゃんへの刺客だ。長野明美は、以前世界タイトルマッチにも挑戦している強豪だ。気をつけて当たれ!!」

この日、原島会長から貴子に伝えられた伝言は、それらの内容だった。

 それから1週間後、春樹のいとこの春菜が住んでいるところの界隈で、30代で医者をしている男が女子高生のスカートの中をデジタルカメラで盗撮しようとしていたところを通りかかりの人に見つかってしまい、その場から逃げようとしたところを、それを見つけた女子高生2人が取り押さえて、その男は警察に御用となった。盗撮犯を取り押さえた2人の女子高生のうちの1人は、今度の試合で敗れて貴子と対戦する予定の長野明美の高校1年生の娘の真也だったのだ。長野の娘のお手柄劇は西尾ジムの女性会員の中でウワサになっていた。ちなみに、長野明美は2人の子供を持つママさんボクサーで、手柄をたてた娘の他に高校2年生の息子の幸太朗がいるのだ。幸太朗も、明美にとっては自慢の息子で西浜学園野球部で1年生からレギュラーで4番打者、おまけに強打者でプロのスカウトからも注目されているスラッガーだったのだ。ポジションは内野手でファーストかサードの守備につく。高校野球の方も、既に2年生以下が中心の新チームとなり、翌年の春のセンバツへ向けての秋季大会も始まっていた。長野の息子の幸太朗は、妹が盗撮犯を捕まえて手柄をたてた週の週末に行われた秋の県大会決勝トーナメント2回戦で、ライト方向に特大のホームランを打った。打球は客席を飛び越えて球場付近の住宅地にまで飛んで行ったのだった。推定飛距離は140メートル。幸太朗がホームランを打った直後は、ベンチの中で采配をとっていた監督の平田もビックリした顔で打球を見上げていた。貴子と夏にグローブを合わせた寛子は、KO負けの直後はかなり心も傷ついていたが、野球の試合中にケガをして1カ月近く入院生活を送った幸太朗のチームメイトの光良が退院後しばらくの間リハビリのために寛子が看護婦として働く病院へ通院していたのだ。精密検査によると、光良の公式戦復帰は11月に入ってからになりそうだとのことで、医者の許可をもらって秋の大会ではスコアラーとしてベンチ入りしてスコアブックをつける生活を送っていた。光良の退院後、光良がリハビリで病院へ来るのを寛子は楽しみにしていた。学校の夏休みも終わりの方に差しかかった頃だった。リハビリのため病院にやって来ていた光良を寛子がデートに誘った。寛子がデートに誘った日は光良の野球部の練習が休みの件だったため、その日は1日、光良は寛子と一緒に東京へと遊びに行ったのだった。寛子は、その日を境に元気を取り戻し、復帰戦へ向けての練習も本格的に始めた。数日後の西尾ジムでの出来事だった。

「寛子ちゃん。最近、光良君とメールのやりとりしているんだってね。息子から聞いたよ。」

と、明美は寛子に声をかけた。

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