第4話


 ライセンスを取得して1カ月。梅雨も明けて、暑い夏がやって来た。この年の貴子にとっては特別な夏となった。夏休み中に、貴子のプロデビュー戦が予定されているからであった。4ケ月近く続いた1学期が終わりに近づこうとしていた頃、貴子のプロデビュー戦のウワサが学校中を駆けめぐり、学校の中どころか近隣校でも話題になって、その話題で持ちきりとなった。いつもの年なら、高校野球の地方大会の話題がウワサの中心になる頃、高校生達の間ではスポーツの話題になると、高校球児達の話題と共に貴子のプロデビュー戦のことも話題になっていた。ちなみに、一部の生徒達の中には、夏休み中のデビュー戦ということもあって、「この試合を観に行く。」という熱狂ぶりだった。

 一方、貴子の母親が経営している美容院も、このデビュー戦の話題で、店の方が以前よりも増して繫盛していた。近所では、有里の家の酒屋を中心に後援会が発足。貴子の方の練習も、日に日に厳しくなり、一日1日と試合の日が近づいてきていた。夏休みに入る時期には、まだデビュー戦の対戦相手は決まっていなかったが、7月の月末に対戦相手が決定との報告があった。対戦相手の和田希美は、デビュー3戦目の22歳の若手で、戦績は1勝1分。右フックを得意としているボクサーとなった。試合まで残り2週間を切った頃には、ボクシングファン達の間のほとんどが貴子のプロデビュー戦のことを知り、話題となっていた。試合が近づくにつれて有里は貴子のことが気になった。これから、貴子にとっては生命の危険と隣り合わせの戦いとなることから、以前、貴子に告白した春樹には、

「絶対に、たかちゃんのデビュー戦。はるくんには観てほしい。たかちゃんのリングでの勇姿。見てもらいたい。」

と、デビュー戦の観戦に誘っていたのであった。既に大学生になっていた春樹は、実は、精神的に非常にデリケートなところがあった。もし、意中の彼女や付き合っている女性が、プロのリングでボクシングをやることになったら、心を痛める人物だった。更には、自分と付き合っている女性がいれば、他の女性との二股がかけられない不器用な性格であることも有里は知っていたので、もしかしたら、春樹(あいつ)、貴子のことが好きになるのではないのか?という期待もあったからだ。

「実は、はるくん。私のデビュー戦のこと。有里が報告する前から知っていたよ。」

と貴子は有里に報告した。

「私のいとこのちえみが、はるくんに連絡したみたい。春樹(あいつ)、実は女子ボクシングのことも結構詳しいみたいだよ。実は、春樹(あいつ)。バンタム級〈54.1kg以下〉の藤原葉月に会いたがっている。」

こんな話が出てきたのであった。葉月は、昼は保育士として働いているので、春樹にとっては彼女の職場に男性保育士がいるのか好奇心旺盛だった。貴子のプロデビュー戦の当日のイベントには葉月は出場しないとのことで、春樹にとっては、葉月に会えるかどうかは微妙だった。

 試合日の前日計量を1回でパスした貴子。試合日当日は、この日の2試合目のフライ級4回戦に出場する予定で準備が始まった。一方、会場の客席の方では、貴子の高校の先輩で昨年の夏の甲子園地方大会で野球部のエースとして、強豪の知恩学院のエースの原田と投手戦を演じた大和田篤の姿があった。大和田の隣の席には春樹が座っていて、昨年の夏の甲子園地方大会の、その試合の話題で盛り上がっていた。卒業後は、社会人野球チームに入った大和田は、将来プロ野球選手を目指して練習の日々を送っていた。

「今年の都市対抗は残念ながら俺のチーム、予選で敗れてしまったけど、もう来年に向けての練習が始まっているからね。よおっ、春樹。お前、保育士目指してんだってな。TVドラマのビデオを観ていたら、お前みたいに保育士になった男のストーリーがあったんだよ。また、いろいろとコキ使われるぞ。」

「試合の日、学校休みだったから大和田君の試合観に行ったぞ。大和田君たちの次の試合が欽ちゃんのチームの試合だったんで、球場、結構お客さん入っていたよ。そういえば、この試合、残念ながら負けちゃったんだよね。欽ちゃんたちと試合したかっただろ。」

「やりたかったな。」

イベントが始まる前の客席で話をしているうちに、この日に予定されている試合が始まった。最初の試合が終わり、いよいよ、貴子のプロデビュー戦が近づいてきた。貴子は青コーナーから登場。セーラー服姿でリングに入場した。リング入場後、貴子はセーラー服からマリンブルーのリングコスチュームに。試合開始のゴングが鳴った。試合開始から終始攻撃の手を緩めなかった貴子は1ラウンド終了間際に相手からダウンを奪い、10カウントを聞かせることになった。鮮烈なKOデビューだった。

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