第5話 夏月

 真新しい制服に袖を通す。


 ベージュの生地に、胸に校章のワッペンが縫い付けられたジャケット。紺色のスラックスに白のシャツ。その襟元を臙脂えんじ色のネクタイでキリリと締めて完成だ。


 私立群雲むらくも高等学校。俺の通う高校。今日はその入学式である。


 中学までは、こことは違う県の公立校で、制服の無い学校だった。だから制服を着て学校に通うという経験は初めてで、でも、これはこれで、意識を切り替える効果もあって、いいんじゃないだろうかとも思う。


 制服を着て、リビングに行くと、梨沙姉と彼女のお母さんの沙耶香さんが出迎えてくれた。お父さんの剛さんはもう仕事に行ったと言う。


「了君、とっても似合ってるよ!」


 梨沙姉の弾んだ声が響く。それに同調するようにもう一つの明るい声もまた──


「ほんと、ここに来た時とずいぶんイメージ変わったよね」


 沙耶香さんは昔モデルをやっていたことからもわかるように、すごく綺麗な人だ。39歳という年齢を感じさせない、外見的な若々しさもさることながら、精神的にもすごく若い。梨沙姉と姉妹と言われても信じてしまいそうだ。


 その沙耶香さんの指摘に、苦笑しながら答える。


「梨沙さんのおかげです」


「大丈夫? この子、スパルタじゃない?」


 それは確かに、と同意しそうになった言葉を飲み込む。梨沙姉がギロっと睨んでるし。いや、でも、「今日から学校だから」って言ったのに、「なら1時間早く起きて走るよ」って本当に早起きさせて運動公園まで引きづっていったのはスパルタじゃ無いのだろうか?


 まあ、梨沙姉はそのために更に早起きしてることがわかってるから、文句付けられないんだけどね。


 沙耶香さんは、そんな俺と梨沙姉の視線でのやり取りを微笑ましそうに見ていたが、話題を変える。


「それより本当に今日はついていかなくて大丈夫?」


「大丈夫です。もう高校生ですし」


「そうなの? 梨沙なんか入学式の時は『一緒に来てーっ』って大変だったけど」


「ママ、変なこと言わないで! あれは娘の晴れ姿をパパとママに見てもらいたいっていう娘心ですから!」


「はいはい、親孝行な娘を持って幸せだなあ」


「そこ、棒読みしないで!」


 美しき母娘のじゃれ合いを眺めていると、こちらまで幸せな気分になってくる。実際、入学式についてこないでいいと言ったことに含みは無い。


 高校生にもなって保護者同伴と言うのは何となく気恥しいし、俺の場合、親でもない叔母夫婦にあまり負担をかけたくないというのもある。いずれにしても、保護者の参加は自由意志だから、不参加でも何の問題も無い。でも、そこに更なる不満の声。


「ああー、私も了君の晴れ姿見たかったー!」


「梨沙姉、今日は2年生以上は登校禁止でしょ」


「ううぅ……」


 そう。自由参加の保護者と違い、在校生は登校禁止。始業式自体は昨日すんでいて、学校は既に始まっているけど、今日は入学式に殆どの先生がかかりきりになるし、保護者や来賓も含めた多数の来場者がある中で、不測の事態があってはいけないから、在校生代表あいさつなど、入学式で役割のある生徒を除き、在校生は登校禁止なのだ。


「入学式で『了君、頑張れー』って応援したかったのに……」


「いや、それは絶対やめて」


 そんなことされたら、伝説として語り継がれるぞ。もちろん悪い意味で。


 このままでいると登校はしないけど校門までついていくと言い出しかねない。食卓に突っ伏してぶうぶう言ってる梨沙姉を置いてさっさと学校に行くことにした。





 家を出て、高校まで続く遊歩道を歩く。


 ここはいつも走っている運動公園の脇に設けられた遊歩道で、群雲高校までは歩いて15分ほどの距離。両脇には大きな桜の木が植えられ、満開の桜が、鮮やかに通りを彩っていた。だが、今はその通りも喧騒に包まれている。


 この街に住んでいる生徒だけでなく、電車通学の子も学校に行くにはこの遊歩道を通る。今日はさらに入学式に付き添う保護者も加わり、桜色の道は人の波で覆われていた。


 周りを歩く生徒たちに見知った顔は無い。これまでの人とのつながりを断ち切るためにこの街に来たのだから当然のことだ。


 幸い、高校は様々な中学から入学してくる。ましてや私立高校。バックグラウンドが異なる新入生がほとんどだろう。既に出来上がったコミュニティが存在しない分、よそ者が入り込める余地が十分にあるはず。


 人気者になって何人もの友人に囲まれて、なんて望んでいない。ただ、それでも、たとえ一人でも二人でもいいから親しい友人を作ることができたら……そう、心から願う。





 講堂に入り、指定された席に着くと式が開始されるのを待ちながら、配布された書類をパラパラと斜め読みする。クラス分け表も入っており、どうやら俺は1年2組らしい。一クラス35人くらいで、1学年8クラスあるらしいから、全部で280人程の生徒がここに集まっているわけだ。


 周囲を見ても、遊歩道同様、見知った顔は見つからない。前方に座っている人たちの顔はわからないけれど。周りも俺同様、周囲を見渡しつつ、特に知り合いを見つけられないと言った生徒が大半のようだ。


 その様子に何となく安堵を感じていると、式が始まった。


 式はテンプレ通りに進行する。理事長挨拶に始まり、校長、来賓と退屈な挨拶を聞かされて、続いては、在校生代表による挨拶。挨拶に立ったのは、体育会系を思わせるがっしりした男だった。


「生徒会長の澤田だ。新入生諸君、君たちを歓迎する。群雲高校が掲げるのは、生徒による自主独立! 先生方の指示を待つのではなく、生徒自らが考え……」


 その暑苦しい大演説が終わった後には、それでもパラパラと拍手が起きていた。うん、暑苦しかったけど、言ってることはなかなかだったな、などと失礼にも上から目線で考えていると、議題は新入生代表挨拶に移っていた。


 この新入生代表挨拶は毎年、首席合格者が行うことが通例だ。さあ、この280人の生徒の頂点に立つのはどんな人物か、と皆が見守る中、その名が呼ばれた。


「それでは新入生代表挨拶。1年2組、彩名夏月あやななつきさん」


 えっ? 夏月? まさかあの? いや、同姓同名の別人に違いない。だいたいこんな故郷を遠く離れた高校で再会なんてあるはずが……


 だが、その思いは、「はい」と言って壇上に立った少女を見たとたんに打ち砕かれた。


 最後に会ったのは小学校5年の時。当然、身長は伸び、顔も大人びている。

 だけど、あの美しいストレートの黒髪、理知的な瞳──間違いない、あの夏月だ。


 ……俺が傷つけてしまった少女。俺の罪。

 その変えることのできない過去の過ちが、美しく成長した少女の姿を纏い、まるで咎めるかのように、俺の前に立っていた。



========

<後書き>

次回は10月11日(金)20:00頃更新。

第6話「罪」。お楽しみに。

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