春の日と夏の月
英 悠樹
第1話 春の朝、春の陽だまり
「……くん、……リョウ君、起きて……」
まどろみの中、どこか遠くで声が聞こえる。耳に心地よい、春の陽だまりのような声。
でも眠い。泥のように疲れた体は覚醒に抗う。もう少し、もう少しだけ、そう自分に言い訳してブランケットをかき抱く。
「……了君、起きないと……」
んー、もうちょっと寝かせて…………
「こうしちゃうぞ!」
フーっ
「ギョエエエエエエエエエエエ!」
思い切り飛び起きた。耳に吹き込まれた息で、背中がぞわぞわする。
「目が覚めた?」
「……
「だって、了君、優しく言っても全然起きないんだもん」
目の前でニコニコしている梨沙姉に文句言ったら、むーっと唇を突き出している。
梨沙姉は、俺が居候している、この叔母夫婦の家、春日家の一人娘。要は従姉妹である。年は16歳。俺より一つ年上だ。
「だいたい、こんな美人のお姉さんの吐息で起こしてもらえるなんて、ご褒美だぞ!」
「えぇ……」
いや、美人なのは否定しないけどさ。……違うな。「美人のお姉さん」じゃ無い。「凄い美人のお姉さん」だ。
亜麻色の髪に蒼みがかった瞳は1/4流れるルーマニア系アメリカ人の血によるもの。体型は日本人離れしてるし、それをノースリーブのタンクトップとスパッツに押し込めた姿は……
「どうしたの、了君? 前屈みになって」
「何でも無いです……」
「……何で敬語?」
……お願いだから、それ以上、追求しないで。
「ま、いいや。それより了君、早く着替えて。走りに行くよ」
「え?」
「『え?』じゃ無いよ。昨日言ってたじゃん。『了君イケメン化計画だっ!』って」
…………そう言えば、そんなこと言ってたっけ。昨日引っ越してきたばかりの俺を見るなり、「何でそんな残念君になってるの! よし、明日から了君イケメン化計画だあっ!」とか言ってたけど、あれ、本気だったの?
「と言うことで走りに行くよ。早く」
「ちょっと待って、梨沙姉。もしかしてその恰好で走るの?」
「そうだけど……何かおかしい?」
「……せめて短パンくらい履いて」
スパッツで強調されるお尻のライン。そんなもの見せられてたら前屈みで走らないといけない。いや、そんな状態で走れるわけも無いか。何より何より、こんな姿、他の男に見せる訳にはいかない!
一方、その言葉に自分の姿が他人の目にどう映るか改めて気づいたんだろう。梨沙姉は真っ赤になって上目づかいに睨んできた。
「……エッチなのは良くないと思います。───あ、ちょ、ちょっと了君。何で額を壁に打ち付けてるのーっ!」
あざとい! あざといよ、梨沙姉!
───と言う訳で、家から歩いて5分ほどの運動公園にやって来た。
この街は新興の住宅街で駅前にタワーマンションが立ち並び、それに併設するように運動公園が造られている。中には多目的グラウンドとアスレチック広場があり、周囲はオーバル状の道路になっていて、ジョギングやランニングに最適なのだ。ちなみにさらに外側にある遊歩道をまっすぐ駅とは反対方向に歩いて行くと、俺が4月から通う高校がある。
そんな早朝の公園で、俺と梨沙姉は軽くストレッチをすると並んで走り出した。
そのまま無言で走り続ける。イヤホンとかもしてないから、ただ、ザッザッとお互いが地面を蹴る音とハッハッという規則的な呼吸音だけが響く。
季節は3月中旬。本格的な春には、まだ少しだけ遠いけど、身を切る様な冷たさはもう無い。そんな空気の中、しばらく走っていると汗も滲んでくる。
チラリと横を見ると、前をまっすぐ見据える美しい横顔。ポニーテールに結んだミディアムロングの髪が身体の上下に合わせて跳ね、首筋にうっすらと浮かんだ汗が艶めかしい。
その下の膨らみに視線を移しそうになって、いかんいかんと目を前に戻す。俺のことを思って連れ出してくれてる梨沙姉をそんな目で見たらいけないよな。
そうやって暫く、ただ無心に走り続けたのだった。
「はえー、疲れた」
「だらしないぞ、了君。私より若いくせに」
「1歳だけでしょ。誤差みたいなもんだよ」
更に言えば、正確には9か月くらいの違いのはず。梨沙姉が8月生まれで、俺が次の年の5月だ。しょっちゅう一緒に遊んでた小学校低学年の頃ならともかく、高校生にもなろうかと言うこの年で、9か月の差にどれほどの違いがあるだろう。
そんなことを益体も無く考えながら、公園のベンチに座ってボーっと座っていたら、頬にスポドリのボトルが押しあてられた。梨沙姉がすぐ脇にある自販機で買ってきてくれたらしい。
「サンキュ」
ベンチに並んで腰かけた梨沙姉は早速自分の分のスポドリを飲んでいる。コクコクと動く喉が妙に艶めかしい。
それにしても、我が従姉妹ながら本当に綺麗な人だと思う。幼少の頃はしょっちゅう一緒に遊んでたけど、彼女の方が父親の海外赴任に伴って外国に行ってしまい、帰国後も、俺の方に色々あって、ずっと会えなかった。だから、こんな美人になってるなんて思ってなくて、昨日久々に会った時は、目を奪われて何も言えなくなってしまったっけ。
逆に俺の方は「残念君」という評価をもらってしまったのだけれど。
しかし、だからと言って「イケメン化計画」ね。
「ねえ、梨沙姉。この走るの、毎日やるの?」
「当然。て言うか、了君はまだ終わりじゃ無いよ。この後筋トレもしてもらうから」
「マジ?」
「マジ。了君にはまたかっこよくなってもらうんだから!」
……また? え、それって子供の頃はかっこよかったとか、そういうこと? まあ、小学生の頃は同級生の女の子に人気あったりもしたけど、その頃の梨沙姉との記憶なんて、いっつも金魚のフンみたいに俺がまとわりついてたばかりで、かっこいいとか言われるに足る記憶が無いんだけど。
でも、戸惑う俺に、彼女は力説する。
「了君はかっこよかったよ! だいたい了君は令香伯母さんの子供なの! ママ言ってたよ。『若い頃は姉さんの方がスカウトとかすごかった』って!」
令香伯母さんと言うのは、俺の母親のことだ。梨沙姉のお母さんの沙耶香さんとは姉妹である。沙耶香さんは若い頃はモデルもやってた人で、今でも梨沙姉のお姉さんって言ってもいいくらい若々しくて綺麗な人だ。
「会えなかった頃に何があったか知らない。ママも伯母さんも何も教えてくれない。何でそんなに自信なさそうにしてるのかわからない。でも、私の知ってる了君はかっこよかった! だから……自信もって!」
圧倒されていた。嬉しくて、……同時に怖くて、思わず問うてしまっていた。
「いいのかな? 俺なんかがかっこよくなりたいって思って。もっと堂々としていたいと願って」
「当たり前だよ! 了君は私のヒーローなんだから!」
……小学校5年生の頃、とんでもないやらかしをしてしまった。子供ならではの浅はかで傲慢な物言いで人を傷つけて、結果、孤立して……。自業自得の針の
でも、梨沙姉と一緒なら、もう一度やり直せるかもしれない。いや、やり直したい。
「梨沙姉、俺、頑張るよ」
「うん、頑張ろう! まずはスクワットとプッシュアップとチンニングね。それぞれ10回1セットでまずは5セットやって見ようか! あ、後、クランチも入れよう!」
「えぇ……」
……ちょっと早まったかもしれない。でも、まあいいか。梨沙姉がすごく嬉しそうだから。
4月から始まる高校生活。それに向けて今は頑張ろう。
========
<後書き>
「春の日と夏の月」第1話いかがだったでしょうか。
続きを読みたいと思っていただけましたら、フォローなど頂けると励みになります。
なお、この後、30分毎に1話ずつ投稿し、本日中に4話まで投稿します。
第5話より先は来週以降、毎週金曜日20時頃に更新させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。
次回は第2話「初めてのデート?」。お楽しみに。
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