第92話
「これ、昨日私が洗った!」
「…へぇ」
「シンクに放置してたでしょ?…あ、もしかしてグラスも使い捨て?」
「それはない」
「そっか、じゃあ洗っても良かったよね?」
「そうだな」
「……」
「……」
黙ったまま隣でナツメを見つめる私に、しばらくしてナツメはこちらに顔を向けた。
「…なんだよ」
「ん?いや…だからこれ洗ったよって」
「…はぁ…お前さぁ、」
ナツメは呆れたようなため息を吐くと同時に、離れろと言わんばかりに真横に立つ私のお腹辺りを左手で押してきた。
私の体はその力にすんなりと後ろに下がった。
「うん?」
「その褒めてくれ感出すのやめろよ」
ナツメはうんざりしたようにそう言うと、「たかだかグラス一つ洗ったくらいで」と言ってまた正面へ向き直った。
「褒めてくれとは言わないよ?でもありがとうくらいは言って欲しいなー。じゃなきゃ余計なことしたのかなって不安になるじゃん」
「…はぁ…はいはい、ありがと」
朝から私に言い返すのがしんどいのか、ナツメは意外にもあっさりとお礼の言葉を口にした。
まぁその言い方にはかなり面倒臭そうな感じが含まれてはいたけれど。
「“はいはい”は余計だよ」
私がそう言いながらそのグラスに手を伸ばすと、ナツメは「朝からマジでうるせぇ」と言いつつもナツメのアイスコーヒーを遠慮なく飲む私に文句は言わなかった。
それからすぐにカウンターには昨日はなかったコンビニ袋があることに気付いて、私はアイスコーヒーのグラスをナツメの前に戻してカウンターの方へ回った。
「コンビニ行ったの?」
「あぁ」
その中を覗くと、梅干しのおにぎりが三つ入っていた。
「梅おにぎりだー」
私がそう言いながら袋からカウンターを挟んだ正面にいるナツメへと顔を向けると、ナツメはやっぱりぼんやりと煙草を吸っていた。
「…くれって顔してるな」
「そう見えた?」
「そうにしか見えなかった」
「あははっ、うん、お腹空いた」
俺のだと言われるかと思ったけれど、ナツメは案外当たり前の顔で「食えよ」と言ってくれた。
だから私は遠慮なく「ありがとう!」と言って椅子に座りそのおにぎりを取り出した。
…にしても三つ全部梅おにぎりって…ナツメは梅干しが好きなのかな?
「ナツメも食べる?」
「俺はいい」
「そっか」
私が奥の部屋を出た時そのドアを完全に閉めていなかったせいで、このフロア側にはその奥の部屋の窓から入る光が漏れていた。
それでもカウンターには電気をつけないといけないくらいに私達のいるこの場所はまだまだ薄暗くて、でもナツメはそれを特に気にしている様子はなかった。
そのドアを開けたら電気なんかいらないくらいここは明るくなりそうなもんだけどな。
ナツメにとって暗い方が落ち着くというのは朝でも夜でも関係ないらしい。
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