第79話

その人は私が戻ってくることを分かっていたのだろうか。


帰る家もお金もないんだから、そう思われていたっておかしくはない。



でも今の私はこの人に助けを求めるような気持ちで戻ったわけではなかった。


むしろ、その逆だった。



「私がしばらくここにいるってのはどうだろうっ…?」


「……は?」



でもきっとそれはこの人にしてみたら余計なお世話だし、迷惑になるだけの不必要な親切心やよく分からない干渉になってしまうだけだろう。




でもどうしても、


どうしてもこのまま出ていこうとは思えなかった。



今朝のように強く“さっさと出て行け”と言われていたらそうはならなかったかもしれない。


でも実際この人はそうじゃなかった。


かと言ってその言葉が温かいものだったわけでもないけれど、




“———…じゃあな”




たったそれだけで終わるなんて、


“知り合い”だと名乗るにしてはあまりにも素っ気なさすぎるよ。




「あっ、ごめん、間違えた!えっと、…」


私はそう言って背筋を伸ばし、肩にかけているショルダーバッグの紐を両手でぎゅっと掴んだ。



「……しばらくここに置いてくださいっ!!」


「……」



自分でそう申し出ようと決めてここに戻ってきたはずなのに、私はなぜか背中にじんわりと汗をかいた。


「……」


「……」



なんで何も言わないんだろう…


その人はやっぱり驚きもせず、怒るわけでも笑うわけでもないような顔で私を見つめるだけだった。



だから私は、もう一度「ここに置いてください」と言って今度は深く頭を下げた。


「……」


「……」


しばらく待ってみてもその人はやっぱり何も言わなかったから、私はゆっくりと顔を上げた。


その人は相変わらずこちらを見ている気がしたけれど、頭を上げた私はそちらを見ることができなかった。



「…ここってすごい静かで薄暗いし、一人でいるのもなんかあれでしょ!?それにほら、私の取り柄って無駄によく喋るところだし!!話し相手くらいはできると思うんだよね!!」


「……」


…あ、


なんかまた間違えたかも。



これじゃあ頼まれてもいないのに“私がここにいてあげるよ”と言っているみたいだ。


私はそれを撤回するようにまた口を開いた。



「わっ、私はこのフロアの隅とかで寝させてもらえればそれでいい…から、」


「……」


「だからっ…その…」


思わず尻すぼみになりながらそちらをチラッと見ると、その人はやっぱり私を真っ直ぐに見つめていた。

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