第75話
「あ、うん…」
笑ったかと思えばいきなり怒って、それなのに今度は急にお客さん扱いされたみたいでなんか調子狂うな…
少し戸惑いながらカウンターの方へ歩いて行った私は、その人の目の前の席に座る直前で一度動きを止めた。
「…ん?なんだよ」
「これって有料?」
「はぁっ、」と呆れるようなため息を吐いたその人は、また私から目を逸らして持っていた煙草を口に咥えた。
「貧乏人のお前からそんなクソほどの金なんか取ったところで何の意味もねぇだろ」
煙草を咥えながら言われたその言葉は聞き取るのが少し難しかったけれど、一応ちゃんと聞き取れた上に失礼なことを言われたということもはっきりと分かった。
「じゃあ毒が入ってるとか?」
「入ってねぇって」
「じゃあ睡眠薬だ。私を眠らせてやらしいことする気だー」
「……」
「え?違う?あ、分かった!じゃあ本気で私の背中にうんちマーク彫る気でしょ?」
私の少しふざけたその言葉に、ずっと目を逸らしていたその人はパッとこちらに顔を向けた。
その顔は怒ってはいなかったけれど、少し面倒くさそうな顔をしていた。
「嫌なら飲むなよ」
…いやいや、そんなマジなトーンで言わなくても…
「…いただきます」
私が素直にそう言って椅子に座りそれを一口飲むと、口には程よい苦味が広がった。
「アイスコーヒー…!」
「ミルクとかはないぞ」
「うん、全然ブラックで平気!美味しいっ…!お兄さん、こんな美味しいアイスコーヒー淹れられたの!?」
「……」
その人はやっぱりどこか面倒くさそうな顔をしていたけれど、今の私は全くふざけてなどいなかった。
めちゃくちゃ美味しくてちょっとびっくりした…!
漫喫でたらふく飲んだアイスコーヒーなんかよりも何倍も美味しい。
「こんな美味しいアイスコーヒーが淹れられるならカフェとか経営してみたら!?」
「はあ?」
「私が客なら毎日でも通っちゃうなー。それくらいこれ美味しい!」
「……」
「ほら、ここってカウンターがあって飲食店みたいな作りだし。あの鬼のステッカーは一番にはずさなきゃだけど、何なら今すぐにでもはずすべきだと思うけど、それでもっと明るい雰囲気にしたら案外流行るかも」
「……」
私の話に興味がないらしいその人は、私の言葉を無視してポケットから携帯を取り出しそれを触り始めた。
私にはこの数日でまた何か違う耐性がついていたようだ。
そんな失礼なその人の態度にももう何も思わない。
むしろ携帯を触っててもいいから私はまだまだ喋りたい。
「あー、本当に美味しい!どうやったらこんな美味しいコーヒーが淹れられるの!?」
「……」
「才能あるよ、お兄さん!深みのある味わいが唯一無二だね。この何とも言えな———…」
止まらなくなったあまり意味のない私のおしゃべりに、その人は言葉を発することなく目線だけでそれを遮った。
「……」
「あー……私うるさい?」
「お前なぁ、さっきから適当なことばっか言うなよ」
「え?」
「ん、」と言ってその人が指を差した先を目で辿ると、そこには市販のペットボトルのアイスコーヒーが置かれていた。
「お前が今飲んでるそれはコンビニで買ってきたもんそのままグラスに注いだだけだ」
「あ、そうなんだ。…なにそれ、めっちゃ恥ずかしい」
コンビニのコーヒーに“深みのある味わいが唯一無二”とか言っちゃったよ。
「コーヒーの良し悪しなんか分かんねぇくせに知ったような顔すんな」
その人はそう言うと、「見栄っ張り」と呟いて小さく笑った。
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