第72話
「水着を着たらこの天使も半分くらいは見えるけど、それでも下半分は隠れるよね。それ以外でここを露出することもあんまりないのに」
「あぁ…この女、俺んとこ来たとき“さっき中絶してきたんだ”とか言ってた」
「えっ…!」
あまりにもさらっと話すから、私は思わず大きな声を出してしまった。
「男の俺からしたらそれで彫るって意味分かんねぇけど…そいつからすれば何か思うところがあったんだろ」
その人はそう言うと、落ち着いた口調で「みんながみんな格好つけだけで彫るわけじゃねぇよ」と言った。
それで天使…
「どれくらいかかった?」
「これは二時間くらい」
「そんなもんなんだ」
「これは小さいからな」
その人はそう言って持っていた煙草を口元へ運んで大きく吸い込むと、「はぁっ…」と煙を吐きながらカウンターの方へ戻って行った。
私はなんとなくその背中を目で追った。
もう時間切れかと思ったけれど、その人はカウンター内ではなくフロア側からカウンター内にある灰皿に手を伸ばし、それを取るとカウンターの椅子に座って煙草の灰を灰皿に落としていた。
「…写真って毎回撮るの?」
「まぁ本人が撮ってもいいって言えばな」
「そんな事情があるなら写真なんか撮らないであげたらよかったのに」
いくら自分が客とはいえ、この写真の女性はこんな雰囲気の場所でこんな人に写真を撮ってもいいかと聞かれて単純に怖くて断れなかっただけなんじゃないだろうか。
そう思った私だったけれど、
「…いや、そいつは自分から撮ってくれって言った」
その人はこちらを見ずにそう言った。
「あ、そうなんだ」
「俺もさすがに誰にでも撮らせろとは言わねぇよ」
「そっか…」
私はまたその写真に向き直った。
どうしてこの女性はこの写真を残そうと思ったんだろう。
撮るにしても、パンツくらいは履こうとは思わなかったのだろうか。
もしくは手で隠すとかさ。
この写真の目的はあくまでもその天使であるからもちろんその人の顔なんて映ってはいなかったけれど、私はその人がこの写真を撮られる時どんな表情をしていたのかがとても気になった。
天使の横にだらんと伸ばされたその手に力は入っていなくて、そこに意味なんてきっとないんだろうけれど私はなぜか少し胸が痛んだ。
「この人…泣いてた…?」
私がその女性の手を見つめながらそう聞けば、その質問の答えは返っては来なかった。
でもたぶん、さっきも言われた通りちゃんと私の言葉は聞いてくれている。
なんでそんなことを聞こうと思ったんだろうと自分でも疑問に思うところだったけれど、私にはその写真がものすごく寂しいものに思えた。
「すごく寂しそうだね…」
「…何が?」
「この人も…この天使も…」
「……」
まるでこの人の思いをこの天使が表しているみたいだ。
この天使をデザインしたのはこの写真の女性じゃないのに、不思議だな…
その写真から目が離せなくなった私がぼーっとそれを見つめていると、こちらに近付く足音が背後から聞こえた。
「…興味あんのか?」
真後ろの割と近い距離から聞こえたその声にも、私は写真から目を離さなかった。
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