第65話

「楽しい話じゃなくてもいい?」


「別にお前の話に期待はしてねぇよ」


「うん……私ね、二十歳から六年付き合ってた彼氏がいたんだけど、」



どうしてこの話題をチョイスしたかは自分でもよく分からない。


テレビで過去に見た面白かったバラエティ番組の話とか、私がバイト先でやらかした話とか、そんなどうでもいい話でもこの人はきっと聞いてくれていたと思う。


…というか、話させてくれたと思う。


それをちゃんと聞いてくれたかどうかはよく分からない。



だって話せと言ったのは自分の方なのに、私がいざ話し始めてもその人はずっと自分の食べている牛丼から顔を上げはしなかったから。



「昨日フラれたんだけど、」


「……」


「まさかの私の友達とできててさ、それも一年も前から。私それ全く知らなくて…」


「……」


おまけに相槌も打たないなんて、この人は正気だろうか。



「だって私達その一年の間も普通に楽しく一緒に同じ家に住んでたし、エッチだって何度もしてたんだよ?」


「……」


「それがいきなり“カヤの人生まで背負えない”とかなんとか言われて“別れてほしい”って…急すぎてウケるよね…」


「……」



でもなんだか、今は相槌も打ってくれないその人を私は少しありがたいと思った。



誰かにマコちゃんやホノカに対して怒ってほしいとか私を肯定してほしいとか、もうそんな思いはとっくに無くなってしまったから。


残ったのは心にぽっかりと空いた穴だけだ。




完全に牛丼を食べる手が止まった私は、自嘲的な笑いを浮かべてぼんやりと目の前の牛丼を見つめた。


悔し涙はもう出なかった。


ただ、やっぱり今思い出してみると心にぽっかりと空いたその穴がやけに目立つから嫌でもテンションが下がる。




「……で?」



突然そう声をかけられて「え?」と言いながら顔を上げると、すでに牛丼を食べ終わっていたその人はこちらに顔を上げていた。



「で、どうなった」


「あ、うん…一緒に住んでた家は元々マコちゃんの家だったから、“できるだけ早く出て行ってほしい”って」


「それで昨日のあの時間に家を出たのか?」


「うん。だってごめんも言わずに“出て行け”とか言われたらムカつくじゃん」


「…へぇ」


「夜中でもうあとは寝るだけって感じだったからさ、…だから服装もこんなだし私携帯と財布しか持ってないんだよね」


「……」


「……」



その人が黙ったから私も思わず黙ったけれど、その人は私の止まったお箸を見ながら「食えよ」と言ったから私は「うん、」と言ってまた牛丼を食べるのを再開した。

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