第61話

「…そんなに今の男が怖かったのか?」


ひたすら胸を借りて泣き続ける私にそう聞いたその人の声はやっぱりすごく優しかった。


なんだ、優しくもできるんじゃん。


今朝は昨日とは別人のように冷たかったのに、今も今でまた別人みたいだ。



「昨日も言ったろ。繁華街なんか女が一人でフラフラ来るようなとこじゃねぇって」


「でも今そんな遅い時間じゃないしっ…」


きっと今は二十時くらいだから、一人で繁華街にいたってそこまで危険ではないと思う。



「時間なんか関係ねぇって。しかもこの辺飲み屋ばっかだろ。お前何やってんだよ、漫喫はどうした」


「ちゃんと行ったよ、朝…でも高いしお金ないのは変わらないんだから仕方ないじゃんっ…」


「でもお前はそれでさっき怖い思いしたんだろ」


「怖かったのかな…分かんないっ…」


怖さでいうなら昨日のスキンヘッドの男の方がよっぽど怖かった。


さっきは怖いというよりも、なんだかもう全てが嫌になった。



それはさっきの男性客に言われたことが全て図星だったからだ。


今の私に選択肢なんてきっとないんだろうし、さっき手元に入ってきた三千五百円のことを考えれば女だっただけありがたいと思うべきなのかもしれないし、


もうつべこべ言わずにさっさと足を開くべきなのかもしれないとも思った。



「強がんなよ」


「強がってないっ…」


「でもお前、さっきからずっと震えてる」


そう言われて初めて、私は自分の指先も肩も唇も、吐き出す息ですらも震えていることに気がついた。



「……」


「……」


ひたすら頭を胸に預けて俯く私に、その人はなぜか離れろとは言わなかった。



「…私のことが心配で助けに来てくれたの?」


「お前なに都合の良い解釈してんだよ。そんなわけねぇだろ」


「だって昨日の今日でまた助けてくれるとか不自然じゃん…」


「たまたま通りかかって喚いてる女がいたから見たらお前だっただけだよ」


「すごいっ…じゃあ私、めちゃくちゃラッキーだっ…」


そう言いながらもまた溢れてきた涙に、私はまた嗚咽を漏らしながら泣いた。















「———…お前腹減ってねぇ?」


しばらくして聞こえたその声に私がやっとその人の胸からおでこを離して顔を上げると、その人は何事もなかったかのように「牛丼食うか」と言った。



「牛…丼…」


「今なら奢ってやるぞ」


「…お姫様抱っこしてくれるなら行ってやらなくもない」



涙はいつ止まったんだっけな…



「調子乗んな」


「だって歩くのしんどいんだもん」


「知らねぇよ、動く足があるんだから自分で歩け」



その人はそう言って、私の左手首を掴むとそのまま私の腕を引いて歩き始めた。


それに対して私にはお姫様抱っこはダメなのにどうして腕は引いてくれるのかという疑問が湧いてきたけれど、私はその疑問を口にはしなかった。


あんまり余計なことを言っていると牛丼を奢ってもらえなくなるかもしれないし、その他の人より賑やかで綺麗な腕に腕を引かれるのは案外悪いものではなかったから。

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