第60話
「あっ、あー!そうなんですぁ!」
「だから何か用かって聞いてんだよ」
依然黙って俯く私の視界にその人の両腕の刺青が映り込んできた。
やっぱりそれはいつ見ても綺麗だな…
「いやあの僕は何もないんですけど、ちょっと彼女困ってたみたいだからっ、その…何か力にな」
「どっか行け」
なんか状況的にすんごいデジャヴ…
でもおかしいな。
私今日は助けてなんて一言も言ってないのに。
それからすぐに「あっ、はいっ」と男性客の焦った声が聞こえてきたかと思うと、目の前のタクシーと共にその人はいなくなった。
「———…おい、」
その声に俯いたまままたそちらに目をやると、その人の体は私の方を向いていた。
「お前昨日の今日で何も学習してねぇな」
その呆れたような声に、私はなぜかプツリと感情の糸が切れた。
その途端一気に涙が込み上げて、俯く私の目からポタッとそれが地面に向かって落ちて行った。
頬を伝わないように、私はできるだけ深く俯いて溢れてくる涙をポタポタと落とし続けた。
「…どうした?」
ここにきてそんな優しく声をかけてくるなんてずるい。
「っ、…うっ…」
「……」
我慢できずに嗚咽を漏らす私に、その人はそれ以上何も言わなかった。
頬を伝わないようにと思っていた涙はいつのまにか両頬を伝っていて、もう私の顔は触らなくてもびしょびしょなのが分かった。
もう、本当に疲れたっ…
「貸してっ…くださいっ…」
絞り出すように声を発した私に、その人は「金か?」とまた優しく私に聞いた。
「違うっ………胸っ…」
正直今の私は立っているのもやっとだった。
誰かに寄りかかりたいのに寄りかかれる人は今私のそばには誰もいなくて、何もかもを失った自分はこの世の全ての人に置いてけぼりにされているような気分だった。
必死に追いつこうともがいているのに、誰も私に目を止めようともしない。
それが、とにかく寂しい———…
断られるかと思ったけれど、その人は意外にも「来いよ」と言うだけだった。
だから私は、すぐにそちらに一歩踏み出してその胸に頭を預けてまた泣いた。
その人は私に胸を貸してはくれたけれど、だからって抱きしめることも頭を撫でてくれることもなかった。
でも、おでこから伝わるその人の体温や目を少し開けば飛び込んでくるその人の両腕のそれは今の私にただならぬ安心感を与えた。
昨日まで全く知らない人だったのにおかしい。
いや、もしかすると私達は以前どこかで会ったことがあるかもしれないと昨日思ったけれど、あれはあながち気のせいでもなかったのかもしれない。
だから私はこんなにも今安心しきってしまっているのかな。
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