第59話

「いやっ、ちょっと待ってください!!!」


「うち近いから」


「知らないよ!!」


「お金がないならいくらでもあげる。だから今晩付き合ってよ」


「いやいやいやっ、意味分かんない!!」



夜はなんでこんなにも飢えた人ばかりで溢れ返るんだろう。



私は頑なに「大丈夫ですから!!」と言っていたけれど、その男性客はずっと「いいから、いいから」と繰り返すだけで私の意見を聞き入れる気はなさそうだった。


目の前に到着してドアを開けられたタクシーに、その人は半ば無理矢理私を乗せようと私の手を引いていた。



「ちょっ、」


「ほら、早く乗ろう」


「いいってば、離して!!警察呼びますよ!?」


「警察って…こっちは人助けのつもりで、」


「どこがですか!!やらしいことしか考えてないくせに善人ぶって気持ち悪っ———…」



そこまで言ったところで、その男性客は突然私の着ていたTシャツの胸ぐらを掴んでグイッと私に顔を近付けた。




「お前今の自分の立場分かってんのか」


「……えっ、」



その瞬間、頭が一気に真っ白になった。


…あれ、この人ってこんな人だったの…?



「見るからに金もなさそうな今のお前に選択肢なんか何もねぇんだよ。あるのはその体だけだろ。女だっただけありがたいと思えよ」


「……」



その人の横暴なその言葉たちは、案外私の心にスッと落ちてきた。



「俺がお前を一晩買ってやるって言ってんだよ。つべこべ言わずにお前は黙ってさっさと俺に足開いとけ」



その言葉に、タクシーに乗せられまいと踏ん張っていた両足から一気に力が抜ける感覚がした。



たしかに、私に今あるのって意識ややる気なんていう目に見えないものを除けばこの体だけだ。


二十六という可もなく不可でもないような立ち位置の、この生身の体だけだった。






本当に、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。






「ほら、さっさと行」


「何やってんだよ」


突然私達の間に割って入るように聞こえてきたその声に、俯いていた私はそのまま耳だけをそちらに傾けた。



「おっさん、こいつに何か用?」



その声はすごく記憶に新しかった。



「えっ、あ、いやっ、」


「こいつ俺の知り合いなんだけど、」



その人のその言葉に、男性客はやっと私の手首から右手を離した。





…あれ?


私達、いつから知り合いになったんだっけ。

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