第41話

「…帰る家はありません」


「は?」


「お金も二千円くらいしかありません。キャッシュカードはあるけど口座の中もきっと大した額は入っていません」


「……」



———…二十六年間生きてきて、ここまで自分を惨めだと思った日はない。



「おまけに携帯の充電も切れました。さっき朝食付きで一晩泊めてくれそうな知り合いに偶然会えはしたけど、ちょうど家に彼女が来ておいしい話は水に流れました」


「……」



…あぁ、そうだ。


私がここをまだ立ち去れないのにはちゃんと目的があったんだった。



「…だから、カレールウのお金を返してください」



惨めすぎていつのまにかまた敬語になってるし、さっきはこの人の日常にドン引きしたけど今の私にはそんなことをする余裕もなかったんだった。


俯いていたから目の前にいるその人が今どんな顔で私を見ているのかは分からない。


でも、何も言わないからちゃんと話は聞いてくれているはずだ。





しばらくして、「…いくらだった?」とその人は落ち着いた声で私にそう聞いた。



「二百五十円です」


「……」


その無言が、また一段と私を惨めにさせた。



「それくらいで請求するなんて恥ずかしいけど、私今お金ないんでっ…」


「……」


「助けてもらったのは感謝してますけど、お金となればまた話は違ってきますからっ!ここで返してもらわないと場合によっちゃああなたも恐喝したことになりかねないじゃないですか…!?」


「……」


「だっ、だから、返してくださいっ…!」




もう私達に冗談を言い合うような空気はなくなっていた。


それもそのはずだ。


私にはあの家を出た瞬間から誰かと冗談を言い合う余裕なんてなかったんだから。



お金の余裕は心の余裕だと誰かが言っていたけれど、全くその通りだ。



余裕、全くない…





「ん、」



その声に顔を上げると、その人はこちらに左手を伸ばしていてそこにはいくつかの小銭が広げられていた。


それを見た私は、この人を意地悪だなと思った。




「…私を試してるの?」


「そんなんじゃねぇよ。俺今小銭はこれしか持ってねぇから」



その手の上にあったのは、五百円玉が一枚と百円玉と十円玉がそれぞれ二枚ずつだった。



「私二百五十円って言ったよね?」


「おう、だから好きなの取れよ」


「ずるい…」


「ほら、さっさと取れって」


「……」




少し考えた末に私が取ったのは五百円玉だった。


めちゃくちゃ恥ずかしかったけれど、背に腹はかえられない。



その五百円玉を握りしめてまた俯いた私に、フンと鼻で笑う声が聞こえて私は思わずバッと顔を上げた。



「っ、バカにしないでよ…!!」


「別にバカになんかしてねぇよ」


そう言ったその人の口元はやっぱり笑っていた。



「私だって頑張ってるのにっ…頑張って生きてきたし今だって頑張って生き延びようとしてるのにっ…」



気付けば私の目にはいっぱいの涙が溜まっていた。


頭に浮かぶのはやっぱりあのマコちゃんの私を軽蔑するような目だったり表情だったり、それからコザキングの彼女のあの私をバカにするような目だった。


私が誰に何をしたというんだろう。



「ほんっっっとに悔しいっ…!!!」



そう言って五百円玉を握りしめる右手の甲で目に溜まった涙を乱暴に拭う私に、目の前にいたその人がまた少し笑ったのが分かった。



「……ったく、いつまで笑っ」


「お前バカだなぁ、こういう時は差し出された金全部取るもんだぞ?」


「…えっ…?」


意味が分からなくて思わず右手の甲から顔を上げると、その人は私の右手首を掴んで引き寄せさっき私に差し出していた残りの二百二十円を私の右手の五百円玉と一緒に握らせた。



「これでジュースでも買え」


さっきよりも一段と近くで見えたその人の腕の刺青は、やっぱりとても綺麗だった。



「だから私は中学生じゃないっつうの…」


「二千円しか持ってねぇなら今のお前は中学生以下だ」



私が泣いていることすらも気にする様子はなく、その人は笑いながら煙草を口元へ運んでいた。

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