第64話

64



昼休み。

相葉に貰ったおにぎりを裏庭の木陰で食べた。


納得いかない松岡の言葉がグルグル巡る。


俺はキャンバスの中の屈託ない笑顔を何度も思い出していた。

あの笑顔は、きっと松岡だけに向けられたモノだ。

松岡もあの絵を愛しそうに見つめて…

きっと…恋人同士だったに違いない。


"好きで怖い"

瑞季が俺に言った言葉がヤケにリアルに感じた。


上手く行かない理由は何?

好きが足りないんじゃない。

独りよがりでいるわけでもない。

お互いの想いは確立されてるのに、阻む壁が

目の前に迫って見える…


その恐怖を…二人も…感じたんだろうか…。

桜の木の下に寝っ転がっていた俺は勢いをつけて起き上がった。


手で庇を作り太陽を見上げる。

『あっちぃ…』

それから、両手を見つめてそれを握りしめた。


俺は…そんな恐怖に負けない。

もう、あんな思いは二度とごめんだから。


夕方がやってきて、裏門に松岡の車が止まってる。

窓から出た手に煙草が挟まれていて、ぼんやりシートに持たれて俺を待っていた。

俺は無言で助手席に乗り込む。

「お、来たか。行くぞ〜」

シートを調整してハンドルを握る松岡。

暫く道なりに車が走り、俺は呟いた。

『なんで?』

「あ?何がぁ?」

『なんで寮長と別れたんだよ』

「…んだょ…誰が誰と別れたってぇ?」

『誤魔化すなって…キャンバスの絵は寮長だった。…あんなの…見たらどんな気持ちで描いてるか分かる』

「ほぉ〜…杉野くんは芸術が分かるようには見えなかったけど…」

ふふっと余裕ある笑みを浮かべて新しい煙草を咥えた。

『俺に…好きなら好きでいいって言ったくせに』

「好きだよ〜今でも…好きだ。大野は…芸術の才能がある。多分…世界で通用するような人間になる。…俺にはそれがすぐ分かった。…今でも…ちゃんと好きだよ。だけどなぁ、俺は教師で、アイツは生徒だ。」

『言ってる事おかしくね?…そんなんどうだって』

「良くないんだよ…」

松岡は真っ直ぐ前を見て無表情に呟いた。

『んだよっ…大人ぶってんなよ!』

「悪りぃけど…俺は大人なんでね」

それを最後に…

松岡はベラベラとどうでも良い話を繰り広げた。

話の隙間がない程に…何かを振り切ろうとあんまりに必死なもんだから、俺はそれ以上男のプライドみたいなもんを踏みつけられなかった。


病院の駐車場。

いつものように入り口に車をつけて、行けよと送り出す。

まるで自分が出来ない事を俺にさせるかのように思えて、心が苦しくなった。


俺は、誰かの妄想を叶える為にこうしてるわけじゃない。


俺は俺で


松岡は…松岡なんだから。

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