第63話

63


翌朝、随分と気分が良く目が覚めた。久しぶりだった気がする。


何の不安も無く…ただ、瑞季だけを想ってる。

それだけで良いんだ。


着替えを済ませて部屋を出た。鍵を閉めると、少し離れた場所から声がして


『杉野っ!』

俺は相葉の呼びかけにゆっくり顔をあげる。

『相葉…』

『これ!朝飯!今日おにぎりだったから沢山貰ってきたんだ!』

差し出されたおにぎりをジッと見つめる。

俺は思わずプハっと吹き出し相葉の肩を叩いた。

『相葉ってさ!マジいい奴よな!ハハ』

『そっ!そんな事ないって!それより、市川…良かったな!』

俺は笑っていた顔をゆっくり真顔に戻して苦笑いに切り替えた。

『うん…正直、ホッとしたよ。居なくなったらどうしようなんて考えてたから…悪かったな、心配かけちまって』

相葉は頭をブンブン左右に振った。

『杉野はよく頑張ったよ。…何かあったらまたいつでも言って。俺、力になりたいからさ。あ、それと、ニノ、今日戻って来るんだ』

俺は一瞬相葉の言葉に驚いた。俺なんかの力になりたいなんて…。

相葉の頭をクシャクシャと撫でた。

『サンキュ、頼りにしてるよ。これ、助かった!相葉も…良かったな!じゃ、先行くわ!』

ポンと肩に手を掛け俺はおにぎりを抱えて学校に向かった。


一限から美術で、チャイムと同時に写生に出る生徒を横目に俺は美術室に向かった。


ガラガラ

美術室を開くと、松岡がキャンバスに向かって何か書いていた。

咥え煙草…

『先生…チクリますよ、煙草』

松岡はパレットと筆を机に置いた。

「チクれねぇだろ…おまえも今から吸うんだからな。ホレ」

白衣のポケットから出したタバコが宙で弧を描いて俺の手の中に飛び込んで来た。

俺は苦笑いして、机に座ってタバコを一本咥えた。

箱に入ったライターを取り出してホイールを回転させ擦る。

先端で赤い火が強くなり吸った煙りを吐き出した。

風にクリーム色のカーテンが揺れ、煙りごと教室の空気を連れ去る。

『ねぇ…何描いてんの?』

俺は足を組む。

松岡はキャンバスに煙りを吐き出した。

「さぁなぁ…俺にもわかんねぇわ」

『なぁんだよ…どーせピカソみたいな絵描いてんだろ…てか、絵、かけんの?』

松岡は白衣を翻しながら立ち上がって笑った。

「ハハ、バカにすんねぇ〜、一応美大出てんだからなぁ…」

松岡はキャンバスの絵を目を細めて見つめ、指先で撫でた。

一体何の絵が描かれてるのか…

気にはなったけど、グイグイ面白がって見に行く空気でもなくて…。

『時間になったら裏門に来いよ。今日も行くんだろ?』

松岡の言葉に俺は俯いて

『担任だからとかさ…男子校の先生長い間やってるからとか…分からなくもないけど…何でそんな良くしてくれんの?』


蝉の声が耳にうるさかった。


松岡は煙草を空の絵具の瓶に突っ込んだ。

「見てらんないから…じゃね?…好きなら好きでいい。男とか女とかじゃねぇんだろ?」

『そ、そうだけど…』

「大人になりきるとそうも行かねんだよ。…色んなしがらみが絡まって…身動きなんか取れやしない…今、おまえ達は…自由なんだから。…火の始末ちゃんとしとけよ。写生見回り行ってくるわ。おまえも適当に何か描いとけよ〜」

松岡は白衣に両手を突っ込んで教室を出て行った。


俺は…何となく気になって…

ガタンっと机から飛び降りる。

ゆっくりタバコを吸い込んで…

天井に吐き出して、絵の具のカラ瓶に吸い殻を入れる。

キャンバスは誰からの目も拒む様に立て掛けられていて…


ゆっくり覗き込むと…


『……っっ!寮…長…』

屈託のない笑顔…

ふにゃりと笑ったあの優しい雰囲気を思い出す。

『……んだょ…何なんだよ…』

俺は力なくうずくまった。


頭を抱えて…松岡の言葉を思い出してた。


何格好つけてんの?あのおっさん…

何なんだよ…


大人だから?身動き?しがらみ?俺達は…自由?


何なんだよ…!!クソったれ!


俺は床を拳で叩き付けた。

手がジンとして…何が悔しいのか、何が歯痒いのか…不鮮明なのに明確で…苦しくて…


唇を噛み締める歯が…震えた。


先生と生徒は恋しちゃ行けないとか…


まさかあんたが?

そんな社会的秩序を?


ふざけんなよ…


馬鹿げてる…

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