第51話

51



松岡の車で寮に帰ってきた。

日は沈んであたりは暗くて、木々がぶつかってザワザワ葉の音がする。


廃人のように虚な足取りに松岡が腕を手に掛けて俺を支えた。

「おいっ!大丈夫か…フラフラしてんじゃねぇよ。お前がそんなんでどーすんだよ…市川の見舞い、明日どうする?行くなら俺が連れてく。…お前が言うなら…毎日で」

『松岡…何でもするから、毎日…毎日病院…連れてって…ください』

腰を折って頭を下げて…松岡のジャージを掴んだ。

「…分かった。放課後、すぐ裏門に来い。」

『ありがとうございます…ありがとう…ございます』

ポンと肩を叩かれ、松岡は車に乗り込み行ってしまった。

俺は…その場にうずくまって頭を抱えた。

息を吸って、病室の瑞季を思い出す。


昨日は俺の腕の中に居た。

綺麗な身体を…俺は精一杯愛してた。


そんな風に思い詰めてる事…

俺は気付かなかったなんて

気づけなかったなんて…

悔しさに唇をギュッと噛むと血の味がジンワリと滲んで、それを手の甲で拭いながら立ち上がった。

寮の入り口の自販機でサイダーを見つめて苦笑いする。

『サイダー…ハマってねぇわ…バーカ』

いつか瑞季に言われた言葉に独り言の返事を返し、部屋へ入った。

電気は間接照明のウォールランプだけ。

ベッドに座ってタバコを吸った。

部屋が白くなるくらい煙りが充満する。

『…換気しねぇと…マズイな…』

勝手口を少し開けた時だった。


コンコン


扉がノックされる。

俺は勝手口から振り返って扉をジッと見つめた。

瑞季がシャワーから戻った?

瑞季が自販機でコーヒーを買ってきた?

瑞季が…


もちろん…そんな訳ない。

『杉野…いるんだろ?』

相葉の声が微かにきこえて、俺はゆっくり扉を開けた。


『……杉野…』

『入れよ…』

『あ、うん』

遠慮気味に入って来た相葉は瑞季の姿を探すように部屋を見渡した。

狭い室内には俺しか居ない。さっきまで吸っていた煙草の煙りが白く部屋を曇らせているだけだった。


『…ちょっと…待ってて』

相葉は慌てた様子で部屋を出てまたすぐに戻ってきた。

手には缶ビールが2本。

『…一緒に…呑んでくれない?』

相葉は苦笑いして缶ビールを突き出した。

俺はそれを受け取って、煙草の箱を揺すって差し出した。

相葉はそこから一本抜き取る。

ライターを2人の間でつけ、顔を寄せ合い煙りを吐き出した。

勝手口を開けて2人フローリングに座り込む。

プルタブを開け、缶を軽くぶつけ合う。

『…二宮…家族の人が危篤だってな…』

『…うん…お父さん…義理のね。』

『へぇ…義理なんだ…瑞季と同じだな。』

『…市川んとこ、再婚なんだ?』

俺は思わず苦笑いしてしまう。

『再婚…つーか…再々…再婚…いや、実際よく知らねぇけど….』

相葉は缶ビールをジッと見つめて、タバコの煙りを桜の木に向かって吐き出した。

『ニノはね、施設育ちで養子だからなんだ。』


人知れずの不幸。

人知れずの重荷。


俺は缶ビールを煽った。

『俺さ…親父は海外に単身赴任でずっと居なかったんだけど、ばあちゃんもねぇちゃんも母ちゃんもすこぶる明るい人達でさ…可愛がられて育ったんだよね…悪い事したらゲンコツだったけど…ふっつうの家庭だった。ヌクヌク育ったと思う。……瑞季は…そうじゃなかった。相葉は?相葉は…どんな家族で育った?』


相葉も、苦笑いして

『俺も普通だよ…全然普通。弟が居て実家は飲食店やってて、親は留守がちだったけど、車でどっか行くとかなったら、知らない間に家族でしりとりとか始めちゃうような陽気な感じ。…どこにでもある普通の…普通過ぎるくらいの家族だよ。』


お互いに…感じていただろう。


『なぁ…俺達に…分かると思うか?』

相葉は俺が何を言いたいのか…分かっていた。

小さく首を左右に振る。

『多分…分かんないよ…俺も…俺なんかが助けてやれんのかなって…悩んでる』


俺達はお互いのルームメイトの詳細について語り合わないのに…随分と深く分かり合えてる気がしていた。


瑞季は実の母親が見つめる中、虐待を受け続けてきた。身体に残る大きな傷と…目には見えない….心の傷を負いながら。


『でもこんな俺達だから救える筈なんだ…アイツに温もりとか、愛情とか….こう….うまく言えねぇけど』

俺が項垂れると、相葉が缶をコンと当ててきた。

『うん…俺もそう思ってる。…俺、ニノの支えになれたらなって…思ってる』

俺は相葉に微笑み掛けた。

『そうだな…』

『…市川は?』

『うん……うん…瑞季は…今、入院してる』

相葉は黙った。

『陸橋から…飛び降りて…ホロを掛けたトラックの上に落ちて….命は助かった。』


グイッと煽ったビールが

苦くて


また涙がこみ上げた。

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