第89話

お風呂から上がると、さっき脱衣所で脱いだはずの濡れた制服がなくなっていた。


一瞬叔父さんに持っていかれたかとも思ったけれど、脱いだ下着が中身の見えないようなネットに入れて端によけられていたから叔母さんの仕業なんだとすぐに分かった。




叔母さん…




叔父さんは何と言ってさっきの叔母さんの“もう限界”という言葉を切り抜けたんだろう。






お風呂から出た私がリビングのすぐそばまで行くと、そちらからは人の気配はあるのに会話のようなものは何も聞こえなかった。




———…カチャ…



そっとドアを開けて中を覗くとそこに叔父さんの姿はなくて、こちらに背を向けるように立つ叔母さんがハンガーにかけた私の制服をタオルで軽く叩きながら水気を取っていた。







「叔母さん、ごめんなさい…仕事増やしちゃって…」


「いいからご飯食べなさい」


やっぱり叔母さんがこちらを見ることはなくて、高くも低くもない声のトーンはいつもと変わらないはずなのにさっきあんな言葉を聞いてしまったからなのかやけに冷たいような気がした。




叔母さんのその言葉にテーブルの方に目をやれば、私がいつも座る席には私のランチョンマットと何も入っていない大きなお皿が置かれていた。


きっとそのお皿に注がれる今日の夕食は鍋の中で温め直されるのを今か今かと待っているんだろう。


それが何なのかは私には分からないけれど、やっぱり体の温まりそうなメニューで叔母さんらしいと思った。




「…いや、今日は食欲なくて…」



食欲がないのも事実ではあるけれど、この何とも言えない冷たい空間で叔母さんが私の制服をタオルでひたすら叩く音を聞きながらご飯を食べるということに私は耐えられそうになかった。


叔母さんは相変わらず私に背を向けたままタオルを持つ手を一瞬止めた。




「……そう」




でもそれは本当に一瞬の間だけで、間を開けて一言私にそう言葉を返すとまた制服を叩く作業を再開した。



“もう限界”である叔母さんの料理を赤の他人である私が食べることも申し訳ないし、かと言ってせっかく作ってもらったものをこうして断ることもまた、ものすごく申し訳ない。



叔母さん的に、私は今どうするのが正しかったんだろう…




もう部屋に戻って大人しくしておこう。



そう思ってリビングを出ようとしたその時、



「寒気は?」



叔母さんは相変わらずタオルで私の濡れた制服を叩きながらそう聞いた。


「…え?」


「寒気がする?」


「…ううん、ない」


「頭は?痛かったりボーッとしたりしないの?」



叔母さんのそれは、間違いなく風邪を引いているんじゃないかという疑いからくるものだった。



「うん、…それもない」


「そう。…ならもう寝なさい」







…不思議だ。


高くも低くもないトーンの叔母さんの声は確かに今の私には冷たくトゲがあるように聞こえているのに、私は何故か違う意味で泣きそうになった。



“もう限界です”



あんな本音を抱えつつも私には変わらない態度を取る叔母さんは、日々どれだけのストレスを私に与えられていたんだろう。


こんな会話をする今だって例外じゃないはずだ。



なにが“囚われ感”だ、


なにが“自由さには欠ける”だ、




なにが“不憫”だ…





叔母さんの自由を一層奪ってしまったのはこの私の存在だったというのに。




私は小さく「はい」と返事をして、部屋に戻った。

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