第86話
「…ごめん、川口…」
『ん?どした?』
「川口が貸してくれた傘っ…電車に忘れたっ…」
口を開けば余計に涙が込み上げて、唇は大きく震えていた。
何を泣くことがあるんだろう。
川口が誰かと付き合うかもしれないことだって、考えたことはなかったけれど全然ありえたことではあるし、
叔母さんは私を少なからず嫌っていたんだからああいう思いを抱いてたって何もおかしくはない。
一緒に生活をしているんだから、それを私が本人の口からはっきりと耳にする日が来ることだって考えられたはずだ。
叔父さんだって、あのパソコンを見た日から身の危険は十分に感じていた。
私が隙を見せればさっきみたいなことがあるかもしれない、だからこそこの家で二人になるわけにはいかないってずっと頭で思っていたんだから。
全て起こりうる、考えられることが立て続けに起きたというだけのことだ。
なのに、私は何で今こんなにも胸が苦しいんだろうっ…
『電車?あぁ…いいって傘くらい。何も泣くことねぇだろ』
「うんっ…ごめんっ…本当ごめんっ…」
『だからいいって。俺ん家死ぬほど傘あるし。…え、てかお前それなら家まで濡れたんじゃねぇのかよ?』
「……いや、駅でちょうど叔父さんに会ったから傘に入れてもらった」
『あぁ、そっか…ならいいけど。あの雨でそのまま帰ったのかと思ったわ』
何気に初めてかもしれない。
…川口に嘘をついたのは。
それは意味なんてまるでない、求められてすらいないような気遣いの嘘だった。
『てかお前それだけのためにわざわざ電話してきたのか?』
「…ううん」
『ん?じゃあどした?』
私、何で川口に電話…
頭ではそう思いながらも勝手に口が開いて発した私の言葉は、
「…白川さんとどうするか考えた?」
またそれか、とこの私自身でさえも思ってしまうような内容のものだった。
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