第91話
隣で早速パンの口を開けてかぶりつこうとしたセイは、私の視線に気付いたのか直前でぴたりと動きを止めて目だけをこちらに寄越した。
「…ん?食わへんの?」
「…セイ、お願い」
「…うん?」
「お弁当」
「……」
黙ったセイは、食べようとしていたパンを下げると同時に私がゆっくり差し出した私のお弁当を静かに見つめていた。
「…食えよ…それはサチの弁当やろ」
「食欲ない…」
「……」
それから訪れた沈黙は、静かにずっしりと私の胸を重くさせた。
私のために作ってくれるお母さんのお弁当を人に食べてもらうことに、相手がセイとはいえ私だって何も感じないわけじゃない。
でも今は本当に食欲がない。
はぁ…でもだからって昨日の今日でまたセイに食べてもらおうは虫が良すぎるか。
それに昨日はちゃんと食べてもらう理由があったけど、今の私達には何の交換条件もないんだし。
差し出していた手をすぐに引こうとした私だったけれど、すぐにセイは「分かった」と言って私のその手首を掴んだ。
「…え、」
「じゃあサチがこのパン食え」
そう言ってセイは私の顔の目の前に今開けたばかりのパンを突き付けた。
「…だから食欲がないんだってば」
「何も食わんのはあかんて。俺に心配さすなよ」
「何で私がご飯食べなきゃセイが心配するの?」
「彼氏やから」
「セイのはただのフリじゃん」
「そうやで?それなら何なん?」
「何って…」
「偽モンの彼氏やったら心配したらあかんの?」
「…そういうわけじゃないけど…」
歯切れの悪い言葉を返した私に、セイは静かに息を吐きながら私の手からお弁当とそっと取り上げると代わりに空いたその手に自分のパンを持たせた。
「…さっき俺“彼氏やから”って言うたけど、別にそれだけでサチと接しとるわけやないから」
セイの言葉はいつも綺麗で真っ直ぐで、だからきっとそこに嘘は一つもなくて、疑う余地だってもちろんどこにもない。
「彼女の前にサチはサチやし、俺は俺やん」
だからこんな綺麗事に聞こえなくもないようなセリフも、なぜかストンと私の胸に落ちてくる。
「…うん…」
すぐに私のお弁当を開けて食べ始めたセイに、私もすぐに渡されたパンを袋から少し出して齧り付いた。
あれだけ食欲がないと言った私にとって、そのパンは思ったよりも美味しく感じた。
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