見えない純情
「…ッ…うぅッ…」
「……」
「…ぅッ…ふぇ…」
走り出す事は出来なかった。
「何泣いてんだ…」
片手でグイッと引き寄せられた体は、彼の胸に優しくぶつかった。
抱き締められたのと、涙が零れ落ちたのは、ほぼ同時だったと思う。泣きながら、抱き締められてる事に安心してたんだと思う。
ついさっきまで、良く分からない不安定な心情で、苛立ちを処理出来ずにいたのに…
そんなものはとっくに無くなっていた。このまま、眠りにつきたいとすら思った。
外気は冷たく…寒い所為で体は冷え切っていたのに。彼の胸の中は温かくて…安心から体の力は抜けていくのに、緊張で胸が締め付けられた。
ドキドキと鳴り響く心臓の音に気が散って、涙が止まった事すら気がつかなかった。
「ミズキ…」
どこか落ち着かない声色で、彼はあたしの名前を呼ぶ。
「え…」
遠ざかる温もりに、物凄く寂しさを感じた。
「…歩け」
視線を合わせない彼を見上げたまま、されるがままに腕を引かれていた。
ここは駅へ向かう通り道でもあるから、周りには学生だけじゃなく、様々な通行人が居る。
そんな所であんな事をしていれば、人目に付くのは当然で…彼が離れた理由は、周りを見ればすぐにわかった。
心なしか、歩くペースが早くなった彼に追いつこうと、駆け足になる。
苛々したり、ドキドキしたりで、周りが見えてなかった。
「これがいわゆる“恋は盲目”ってやつか」
「ちげぇだろ」
「え?」
「……」
眉間に皺を寄せた彼に、睨まれた。
ハッキリしないこの関係に、無理矢理“形”を求めようとは思ってなかった。
彼と居れるだけで、あたしの心は満たされていた。
…なのに、
苛々するのは何故なんだろ。
モヤモヤと納得しない思いがある。
徐々にあたしの家が見えて来て、早くも彼との別れを忍ぶ。
トボトボ歩いてみても、先々前を歩く彼にその気持ちは伝わらない。
勝手に落ち込むあたしは…不意に立ち止まった彼に気づいて、視線を上げた。
見ると―…目の前にはあたしの家があって、
「…ありがと」
訪れた別れに、言葉を吐き出す。
そう言うと、彼は背を向けて歩き出すんだ…
だからあたしは視線を下に落としたまま、玄関へと足を向けた。
「ミズキ」
誰も居ないと思ってる場所から、突如名前を呼ばれたビビりなあたしは、ビクッと肩を震わせ…同時に心臓が恐怖で跳ねた。
「…っ!」
言葉にならない声を出し、引き攣りながら振り返ると、
「俺はエスパーじゃない」
言ってる事は全く意味が分からないけど、神妙な面持ちをした彼がいた。
「おまえを見てるだけじゃ、おまえの気持ちなんて分かんねぇ」
唖然とするあたしを
「おまえと一緒に居ても、どう思われてんのか分かんねぇ」
分かんねぇ分かんねぇって連呼するから、あたしまで何が何だか分からなくなる。
「…好きになってくれたのか?って思っても、ふざけてんのかマジなのか分かんねえ」
そう言って、
「…内心、マジでビビってる」
言葉とは反対に、真っ直ぐ見据えてくる。
…こんな時にアレだけど。あたしは友人に感謝をしてた。
心の中で何度も“ありがとう”を呟いてた。
「だから…あたしが番号教えてって言ったら、いつも「何で?」って聞くの…?」
そんなあたしの声は、相当浮かれていたようで…舌打ちをした彼はどうもご機嫌斜めな様子。
すぐに視線は逸らされ、口を閉ざしてしまった。
「アッキーってわかりにくいね」
だから何だか、話してても独り言のように感じる。
「あたしの気持ちが分からなくて、番号教えてくれなかったの?」
「……」
「アッキーさ、」
「……」
「あたしの事、どんだけ好きなの」
思わず顔が綻んでしまう。
決してバカにしてる訳じゃない。単純に嬉しかった。
友人が言ってた通り、あたしが無駄に避けたかと思えば、平気で番号を聞いたりするから…
「おまえどうゆうつもり?」
彼は、あたしが…あたしの気持ちが、分からなくて疑っていたのかもしれない。
もてあそばれてるとか…
ふざけてんじゃないか?とか…
そんな風に、あたしの気持ちを疑ってたのかもしれない。
今頃気づいた…
あたし、自分の気持ちを伝えてないんだ…
「番号、教えて?」
「…何で?」
彼は探るように、低い声で呟く。
「好きだから」
「……」
「好きなの」
「……」
「実は好きでした」
「何で過去形なんだよ」
ばふっと音がするように、顔面に衝撃を感じ、
「ミズキ…」
囁かれた声がやけに近いと思ったら、彼の胸の中に居た。
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