逸る気持ち

学校に着いて、真っ先に二年生の靴箱へ向かう。


誰も居ないのを確認して、26と記された靴箱のロッカーの前に立つ。



閉められた扉の上に、中が少しだけ見えるようにガラス窓が付いている。そこから覗く物が何なのかすぐに理解した。



理解したからといって、納得している訳じゃない。理解と感情が追いつかず、高揚感が削ぎ落とされていく感覚だった。



ただただ靴箱のロッカーを見つめていると、突如鳴り響いたチャイムの音。



授業が始まるのを知らせているその音に、急いで靴箱のロッカーを開けた。



「……」



勢いよく開いたものの、いざ目の前にある光景を目の当たりにすると、想像以上の展開に絶句してしまった。



扉をパタンと閉めた。



こんなストーカー染みた行為を続けて、もうすぐ一年になる。



志望校だったこの高校に入学してから、毎朝休む事なく続けて来た。



登校時間を少し遅らせて、誰も居ない頃を狙ったりして。



あの日、あのバレンタインに出会った彼が、今日も学校に来ている。



今日も会える。そう思って緩んだあたしの頬はすぐに引き締まり、ため息一つ吐いて自分の教室へと向かった。



既に授業は始まっていて、クラスの皆の前で教師に遅れた理由を言えと言われ「寝坊しました」と、適当な言葉を並べた。




「嘘つきぃー」



自分の席に着いてすぐ、隣から小声で話かけてくる友人。



「何が?」



同じようにあたしも小声で聞き返すと、



「寝坊したとか言っちゃって」


ニヤッと不吉な笑みを浮かべた。



「だって本当の事言えないじゃん」


「ストーカーしてましたって?」



声を抑えながら茶化してくる友人に、どうも今日は…同じ様なテンションで返す気にはなれない。



「んー…」



ほんと、頭を抱えるしかない。



「なに、どしたのミズキ?」



突然唸り声を出したあたしに、友人が不思議そうに聞いてくる。



「これぞまさしくハートブレイク」


「…告白もしてないのに?」


「あ、確かに」



パッと顔を上げて、言われてみればそうだなぁなんて思っていると、



「おいそこ!授業に集中しろ!」



まんまとヒソヒソ話が教師にバレてしまい、クラスの生徒の視線を感じたあたし達は、すぐに会話を終わらせた。



授業が終わって教師が教室から出て行くのと同時に、



「で?」



友人が椅子ごとガタンっと近づいて、



「さっきの続き」


「さっき?」


「告白もしてないのにハートブレイク」


「あぁ…」



授業中に話していた事の続きを話せと、急かすように身を乗り出して来た。



「今日は何の日?」


「はぁ?バレンタインでしょ?」



脈絡のないあたしの言葉に、友人はどこか不服そうに見える。



「その通り。あたしはこの日を、何ヶ月も前から待ち侘びてました」


「…知ってるよ」



友人が呆れた表情を浮かべるのは、ある意味しょうがない。



「ミズキめっちゃ張り切ってたもんね」


「うん…」



あたしは何ヶ月も前から今日という日を、バレンタインデーを楽しみにしていた。



「で?」



詳細を言えと言わんばかりに、友人が机をバシバシ叩いてくる。



「何ヶ月も前からどんなチョコレートあげようかなって考えて…」



話し始めたあたしに、友人は静かに頷いた。



「どんな風に渡そうかなって、めちゃくちゃ楽しみにしてて…」


「うん」


「チョコレートだって、いっぱい作ったし…」


「うん」


「朝から気合い十分だったのに…」


「うん」


「靴箱のロッカーの中、チョコレートでいっぱいだったぁー…」




今朝、あたしはバレンタインに用意したチョコレートを彼の靴箱のロッカーに入れようと思っていた。



でも、ロッカーを開けた時、嫌でも目についた。


誰が見ても、バレンタインの贈り物だと分かるぐらい、可愛らしい包みがたくさん置かれていたから。



「はぁ…」



思い出しただけで溜め息が出てしまう。



「そんな事でへこんでんの?」



友人にふんっと バカにしたように鼻で笑われ、



「やっぱモテてるんだなぁ…」



その思いを口にして、更に落ち込んだ。



「でもさ、靴箱だよ?靴が入ってんだよ?そんなとこにチョコレート入れられても、食べる気しないでしょ?やっぱ直接渡した方が良いって!」



友人の言う通り…だと思う。確かにな…と納得した。



だけど、



「直接渡せないから靴箱のロッカーに入れるんでしょ!」



それが正直なところだ。



「どうして?」


「それは…」


「ミズキでもそうゆうの恥ずかしいとか思うんだ?」



そう言ってまた友人が笑うから、



「そうじゃなくて、」



何の反抗心か分からないけど、強く否定していた。



「じゃあなに?」



そう言って友人が聞き返して来た言葉には、答えなかった。


とゆうより、チャイムが鳴って先生が入って来たからそこで話しは終わった。



“じゃあなに?”



友人に言われた言葉を、自分で自分に問いかけてみる。



“じゃあなに?”



恥ずかしいとかじゃない。そりゃ緊張はするかもしれないけど、別に直接渡そうと思えば渡せる。



“じゃあなに?”



…あたしは、彼に会うのが怖いんだ。




中学3年のバレンタインの日。



あの日、塾に行く時間が迫っており、後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした。


戻ってもう一度、彼と話をしたかった。


だけど、中学3年生のあたしには、そんな時間も余裕もなく…


それ以来、彼には一度も会っていない。


というより、会えなかった。



志望校だったこの高校に入学して、再び彼を見つけた時は、予想を遥かに超えて嬉しかったのを覚えている。


紺色のブレザーが着たくて受験勉強をしていたのに、受験勉強を重ねていく内に、いつしか合格する目的が、彼に会ってマフラーを返す事に変わっていた。



だからこそ、高校受験に受かった時よりも、彼を見かけた時の方が、喜びが大きかった様に思う。



だけど、同時に凄く距離を感じた。



全校集会が終わって、体育館を後にするたくさんの生徒の中で、あのバレンタインの日から何ヶ月ぶりかに見た彼は、女子生徒と楽しそうに歩いていた。



遠からず近からずの距離に居たあたしは、はっきりとした会話の内容は聞こえない。



でも、雰囲気は伝わる。



「も~」とか言いながら、女子生徒が彼の左腕にくっついている。ように見えた。



楽しそうにじゃれ合っている。ように見えた。



そして単純なあたしは思った。



彼女なのかもしれないと。



今思えば、一目惚れだったんだと思う。


これが恋だと気づいたのは、高校に入学してから。



当時のあたしは、部屋のベットの上にグレーのマフラーを置いていた。願掛けみたいなもので、高校に入学するまでは巻かないと決めていた。



だからいつも枕元からグレーのマフラーを見る度に、彼の事を思い出しては、今何しているんだろう…と、思いをせていた。



高校受験に合格すれば、また彼に会える。



いつしかそう思う様になったあたしは、入学してやっと見れたその姿に、彼女とゆう存在を連想して、自分の気持ちに戸惑った。



彼を発見する事が出来たのに、気持ちは沈むばかりで、目が行くのは隣で笑っている彼女の存在。



そこでようやく気づいた。



あたしはいつしか、彼に惹かれていたんだと…



それから始まった、ストーカー行為。



彼はあたしの事を覚えていない。



あたしの存在なんて、記憶にもないと思う。



もしかしたら、グレーのマフラーをどこかに無くした…ぐらいに思っているかもしれない。



そんな事ばっかり考えては、想像して勝手に落ち込む日々。



だから彼に会うのが怖かった。



誰?って言われそうで、怖かった。



無視されたりなんてしたら、翌朝から登校拒否になるのは間違いない。




「結局さ、チョコレートどうすんの?」



お昼時——…



中庭でお弁当をつつきながら、友人は言う。



「仮に覚えられてなかったとしても、初めまして~ぐらいの気持ちで行けば良いじゃん」



…と。



だけどあたしは思う。



それは物凄く惨めなんじゃないかと…



「帰るまでに靴箱のロッカーに入れとこうかな…」



溜め息と同時に出た呟きは、独り言のつもりだった。



「そうしたいんなら良いけどさ、直接渡した方が気持ちは良いよね」


「やっぱ靴箱に入れたら気持ち悪い?」


「いや、そうゆう意味じゃなくて。やっぱり直接渡したら、貰った方も誰がくれたのか、どんな思いがこもってるのか、表情や声で伝わるじゃん?それに渡す方も、ちゃんと相手に届いてるかとか、不安に思う事もないし。お互いに気持ちいいと思う」



…意外にも、説得力のある友人。



「確かに…」



玉子焼きをパクンと頬張り、ウンウンと頷いた。

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