第88話

私はさっきバッグにしまったハンカチを取り出すと、壁に左手をついて靴を脱ぎ足を拭きながら部屋に上がった。




今までの二十四年間ひたすら地味なこの世界で生きてきて、突発的に勇気が出たところでその何もかもを変えることなんて到底できなくて、



やっぱり私の手の震えは止まらなかった。







なのに、




後ろから服の擦れるような音が聞こえて振り向くと、ニシヤマくんは着ていたTシャツを脱ごうとしていた。



「っ、ちょっと!!!何やってるんですかっ!!??」


私は慌ててまた背を向けた。


「何って…俺濡れてるし、」


「だっ、だからって!!」


「このまま部屋上がったら部屋が濡れるだろ」


「っ、」


それからすぐにカチャカチャとベルトの音が聞こえてきて、私の心臓はさっきまでとはまた違う意味で暴れ出した。



「…うわ、ジーパンも完全に濡れてるわ。俺どうしたらいい?」


その言葉で、間違いなく背後のニシヤマくんは上下の服を脱いだんだと分かった。



「…ちょっ、ちょっと待ってください!!えっとじゃあ……と、とりあえずその服ください!!」


私は顔だけはそちらに向けないように背けたまま、精一杯両手をニシヤマくんに伸ばした。



“ください”という言葉選びは誤解を生むようでマズかったかと内心焦ったけれど、ニシヤマくんはそこに対して何も思わなかったのか「ん」と短く返事をすると私のその両手に濡れた服を乗せた。



ニシヤマくんの言った通り服は雨水を吸っているせいでかなり重くて、それでも私はそちらに顔を向けることはできなかった。



「そこにいてください!!」


「はいはい」




濡れた服を受け取った私はそのまま玄関から伸びた短い廊下を進んで、その途中にある脱衣所に入った。



「はぁ、はぁ、はぁ、…」



動揺するあまり私の息は無意識に上がっていて、それが玄関にいるニシヤマくんには絶対に聞こえないように私は荒い呼吸を何度も何度も繰り返した。

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