第80話

私が前を向いてゆっくり歩き始めると、後ろから私と同じ速度の足音が聞こえた。



私よりも大きな靴が、ゆっくりと濡れた地面を踏む音。



ピシャッともズシャッとも違う、なんとも表現しづらいこの音…



これがニシヤマくんの足音なんだ。




私の後ろをついて歩くニシヤマくんに、嬉しさや安心と、それを簡単に上回るくらいの嫉妬が押し寄せた。




ニシヤマくんに想われていた“カスミ”さんは、


ニシヤマくんに歩み寄られていたあの駅で一緒にいた女の人は、



どんな気持ちだったんだろうか。




追いかけられるってどんな感じなんだろう。


歩み寄られるってどんな感じなんだろう。




その相手がニシヤマくんとなれば、もう私なんかでは想像すらもできない。





私が立ち止まると、後ろのニシヤマくんの足音も止まった。



私は勢いよく振り返ると、数メートル後ろにいたニシヤマくんの元へ歩み寄ってニシヤマくんを傘に入れた。



歩み寄ってもらえないなら、自分が歩み寄るしかない。


それでしか今を繋げないならそうするしかない。





私はやっぱりニシヤマくんが好きだから。




「…おい、」


「やっぱり入ってください。見てられませんから」


私はそう言うと左手に持ったままだったハンカチをニシヤマくんの濡れた顔にトントンと優しく押し当てた。


その私の行動に、ニシヤマくんはとても驚いた顔をしていた。





こんなことができるのも、家に連れて行こうとしていることも、普通に会話ができていることも、何もかもニシヤマくんが昔の私を忘れてくれていたおかげだ。



透明人間で良かった。



ニシヤマくんは顔を拭く私の手を払おうとはせず、じっと私の方を見ていた。

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