第91話

「何が不満なのか、気になりますか?」


「……」


でもそれはあくまでも話を聞くだけ。


実際のところ耳なんて塞がない限り勝手に全ての音を受け入れてしまうものなんだから、そこに彼自身の聞こうという意思があるのかどうかなんて私にはよく分からない。



「…なりませんよね」


「……」


「別に私だって言う気はありません。どうにかしてほしいわけでもありません」


「……」



こんなにも真っ直ぐにストレートな言葉を投げかけているのに、今の彼に私の中の気持ちは何一つとして伝わらない気がした。


そんな思いがそうさせたのか、私は無意識に立ったまま彼から目線を落としていた。



「ただ伝えたかっただけです。どうしようもなくムカついて、虚しくて……とても悲しかったんだって」


「……」



…あぁ、…でもどうだろう。


真っ直ぐ伝えてはいるけれど、はたしてこれはストレートな言葉と言えるようなものなんだろうか。


きっとお隣さんからすれば何もかもが訳分かんないよね…



客観的に考えると今の自分がどうしようもなく厄介な存在に思えた私は、ここにきてちょっと消えたくなった。



結局のところ、今の私って彼にとってどういう存在なんだろう。




「あの、……私って今あなたの目にど」


「食う?」



突然聞こえた突拍子もない彼の短い言葉に、私は「えっ?」と言いながら地面まで落としていた目線をすぐに目の前の彼へと上げた。


すぐ目の前のベンチに座る彼は、真横につけるように立つ私にどこから取り出したのか細長いガムを一枚差し出していた。



「…ガム?」


「ガム」


「…私に?」


「……」


それに対しては何も言わなかったけれど、彼は私を見上げながら受け取れと言わんばかりに持っていたガムを今一度こちらに差し出した。



だから私は、そっと右手でそのガムを受け取った。


私がガムを指先で持ったのを確認した彼は、すぐに手を離してその手をズボンのポケットに入れた。




私の手に残ったそれは、ブルーベリー味のガムだった。





“———…今あなたの目にどう映っていますか?”



さっき私が口にしようとしていた質問は、彼によってあっさりと遮られてしまった。



きっとそれを聞くにはまだまだ早過ぎる。


私の欲しい言葉なんて、絶対に返ってこない。




まだ驚きを隠せない私が受け取ったガムから彼へとまた視線を向けると、彼は依然下から真っ直ぐに私を見上げていた。



その顔にはもう不満のようなものなんて何も感じられなかった。


むしろ普通すぎてびっくり…



これまでに見てきたあの無愛想な彼はどこへ行ったのか。


…なんて思いつつも、彼のその顔は別に愛想が特別良いようなものでもなかった。



でも眉間にシワが寄せられていないだけでも、今の私からしてみれば泣きたくなるくらいに嬉しいことだった。

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