第59話

この手前の部屋はもちろん、奥の部屋だって電気は裸の電球からぶら下がる紐を引かなきゃつけることができない。


今時電気のスイッチがボタンじゃないなんて…さすがは築四十年。






築四十年…って、お父さんが生きてたら何歳の時だろう…


ていうかお父さんって生まれてるのかな?


あれ?お父さんって何歳で死んだんだっけ…



そんなことをぼんやりと考えながら天井を見上げて紐を掴んだ時だった。




———…ピンポーン…!



「っ、」



この狭い部屋に突然鳴り響いたその音に、私はビクッと全身を震わせながら勢いよく玄関の方を振り返った。


相変わらずバカみたいに大きな音を発したこのアパートのインターホンに驚きから一瞬心臓が浮いたみたいな不快感が募った私だったけれど、それを大きく上回るほどの期待に私の心臓はまた激しく暴れ始めていた。




それからの私は、電気なんて後回しにして何かを考えるよりも真っ先に玄関へと急いで移動した。


今の私の頭に浮かんだ人物は一人しかいなかった。



けれど、



———…ガチャッ!!





「…よっ」



そこにいたのはその人ではなかった。




「なんだ…ソウちゃんか…」


そう言ったのと同時に、私の肩から一気に力が抜けていくのが分かった。


「“なんだ”って…失礼な奴だな」


そう言いながら私が開けた玄関のドアに手をかけたソウちゃんに、ドアノブを掴んでいた私はすぐにそこから手を離してまた部屋へと上がった。



今になってみればそんなことがあるわけないことはちゃんと分かるけれど、数秒前の私は確実に期待していた。



…お隣さんであるあの彼かもしれない、と。




「俺以外にこんなとこ来る奴いねぇだろ」


そう言いながら玄関に入るソウちゃんを背中に感じながらも、私は今度こそダイニングの電気をつけて「まぁそれもそうだね」と言葉を返した。



「…失礼だって怒んねぇのか」


「え?」


「俺今“こんなとこ”って言ったぞ」


なぜか自分の失礼な言動を正直に口にしたソウちゃんに、私は思わずフッと笑いをこぼした。



「失礼だって分かってるなら言わないでよ」


「…どした?」


笑った私とは対照的にどこか真面目なトーンでそう言ったソウちゃんにキッチンの前に立っていた私が思わずそちらを見れば、ソウちゃんはいまだに玄関で靴を履いたまま立っていた。



「部屋に上がらないの?」


「コト?」


「うん?」


「…どした?」


二度目となるその言葉はなんだかすごく優しくて柔らかくて、私は一気に今の自分がとてつもなく可哀想な存在に思えてソウちゃんに甘えたくて仕方がなくなった。



でも冷静に考えて、これは甘えるほどのことでもない。


無視されたくらいで私とあの人の“運命”は変わらないし、それを繋ごうとする私の意思だってもちろん何も変わらない。



人に甘える暇があるなら明日からのことを考えなきゃ。



「何もないよ?ソウちゃん、コーヒー飲むよね?」


私がそう言って電気ケトルに水を入れ始めると、ソウちゃんは「あぁ」と言いながらやっと靴を脱いで部屋に上がった。

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