第55話

昨日に続いてまた一定の距離を保ったまま彼の後ろを歩いている私だけれど、昨日のようなドキドキも悪いことをしているという自覚も全くなかった。



だって今日の私の目的はこれじゃないんだから。


それはこの先にあるものだから、こんなところでドキドキしてる場合じゃない。



それにこれは何も悪いことなんかじゃないはずだ。



だって私は私のタイミングで家に帰っているだけのことなのだから。



…なんて、ストーカーの誰もが一度は口にしそうな言い訳を頭の中で繰り返しながら、私はそれでも彼との一定の距離をうまい具合に維持しつつあのアパートを目指した。



そして彼がアパートの階段を上り始めたタイミングで、私は勢いよく走り出した。



距離を取りすぎていたのか単純に私の足が遅いからなのか、私が階段に足をかける頃には彼は階段を上り切ってもう下から彼の背中を確認することはできなかった。




———…カンカンカンカンッ…!!




私はもう何も考えずに階段を駆け上がると、すぐに通路に出て私達の部屋の方へと目をやった。









チャンスだと思った。



私はまずその顔を知らないというテイを払拭しなきゃならないから、とにかく話しかけなきゃ始まるものも始まらない。


それはもちろん偶然を装って。



朝は“いたら話しかけよう”なんて思っていたのに今は何を賭けるわけでもなく話しかけようとしているんだから、自分でも自分がよく分からない。



ただ分かるのは、私はどうしても彼と顔を合わせて会話をしてみたかったのだということだけだった。





彼はちょうど自分の部屋のドアの前に到着したところで、ポケットを探っているあたり鍵を取り出そうとしているのが見て取れた。



間に合った…!!




「———…っ、こんばんはっ!!」




大きな音を鳴らしながら階段を駆け上がった上に焦るようにそう口にした私にはどこにも“偶然”なんて感じられなかった。


…けれど、それでも部屋の鍵をすでにドアの鍵穴に差し込んでいた彼の動きはピタリと止まった。



不自然なほどにピタリと止まった彼のその様子だと、今の私の声に反応して止まったことは間違いなさそうだった。

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