第52話

駅に着いたってもちろん“もういないだろうな”という思いはなくならなかったけれど、それでも私はやっぱり無意識にいつものホームで彼の姿を探した。


それに加えてここまで歩いてくる間に“もしいたら”という奇跡のような展開まで想像してそれ以降自分のとるべき行動についても頭の中でずっと模索していた。



諦めつつも私はやっぱりどうしても彼に会いたかったのだと思う。





———…もしいたら、声をかける。





第一声は何がいいだろう。


“おはようございます”?


それならそのあとは何を言えばいいだろう。


“今日も寒いですね”


“お仕事頑張ってください”


“同じ駅を使ってるなんて偶然ですね”———…?



…いや、あのアパートに住んでいることを考えれば最寄駅であるこの駅を使うのはわざわざ口に出してまで言うほどのことでもないか。




…あ、



それよりもまずは使い道のない洗剤を渡してしまったことへのお詫びを言わなきゃな。


それから何が良かったのかとか、何が好きなのかとか、名前とか仕事とか……聞きたいことなら山ほどある。


きっとどれだけ時間があったって私は足りないと思うだろう。





昨日の挨拶から考えると彼は隣人である私の顔を知っている。


でも私は彼の顔をいまだに知らないテイでいなきゃいけない。



そんなことはもちろん頭では分かっているけれど、こんな絶望的な展開で会おうものならばもうそんな“テイ”なんてどうだっていい。



そこを不審に思われたって朝アパートから出て行くあなたを見ましたとか何とか言って、適当に誤魔化せばいいだけの話だ。





だから絶対、絶対、いたら声をかける———…











いつも座っているベンチにはもちろんいなかった。



七時半を過ぎた駅のホームは、いつもの六時台のホームとは比べ物にならないくらいに人が多かった。


でもそのどれもがスーツや学生服の人ばかりで、もしそこにあの作業着で彼が紛れていたら私はすぐに見つけられる自信があった。


これなら見落とすことはなさそうだ。


あとは私のコミュニケーション能力次第。


そこに自信なんて皆無だけれど、きっとそれも“運命”という繋がりが私を後押ししてくれるだろう。




…大丈夫、何とかなる。



















———…何度も自分にそう言い聞かせながらひたすら彼を探してみたけれど、私はホームの中のどこにも彼の姿を見つけることはできなかった。

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