5
四季くんはわたしを部屋へ通すと、ソファへ座らせた。お願いだからこれ以上、事態が深刻にならないで欲しいと願う。
「彩ちゃん、ごめん…」
四季くんの謝罪と共に始まった話。
「仕事でお世話になってる人と、その娘さん。紹介したいって言われて、それで今日会った」
わたしの予想は、十中八九当たっていた。
ただ、お見合いとゆう程のかしこまった席ではなく、お茶をしながら顔を合わせた程度に過ぎないと四季くんは言った。
予想していたとは言え、実際に本人から事実だと言われると返す言葉が見つからない。
「彩ちゃん…」
何も答えないのもそれはそれで子供みたいだと思い、
「…わかった」
話はわかったと、言葉にしてみた。
「わかった?」
四季くんが聞き返してくる。
「うん」
「何が?」
「…四季くんには色々事情があるって」
「事情?」
「…うん」
「彩ちゃん」
「…ん」
「彩ちゃん」
「……」
「断ったし、もし次があったとしても断る」
「……」
「彩ちゃんごめん。嫌な思いさせた」
四季くんがわたしの頭を撫でる。わたしはこうして
「嫌だった…」
「うん」
「あの人、わたしを見て馬鹿にしてた」
「…あの人?」
「だけどそんなのはどうでもいい」
「うん…」
「四季くんが、」
「うん」
「…四季くんが、わたしを遠ざけた」
「うん」
「引き止めたのそっちなのに…」
「うん」
「わたしが声をかけたんじゃないのに…」
「ごめん」
「わたしに知られたくないなら、最初から無視すれば良かったでしょ…」
「そうじゃない。あれはそう言う意味じゃない」
「…わたしと会ってバツの悪そうな顔してた」
「ごめん」
「四季くんが声をかけなければ、わたしは気づかなかった」
「ごめん。君を見つけた時、体が勝手に動いた。まさか君に会うとは思わなかった。驚いたと同時に状況を理解して、急に我に返った。君を巻き込んでしまったと思って。考えなしに行動した自分が情けなかった」
「……」
「だから、君を遠ざけようとした。巻き込んでおいて勝手だけど…」
「わたしに知られたくなかった?」
「そうじゃない」
「…じゃあどうして言ってくれなかったの?」
教えてくれていたら、わたしも心積りが出来たかもしれない。
「それはごめん。本当に…」
「言えない事があるのかもしれない。わたしに全てを
「ごめん。君に何て話したら良いか悩んで、時間ばかり経ってしまった」
「…話そうとしてくれてたの?」
「うん。どう話を切り出して良いかわからなかった。どう伝えたら、君が安心してくれるのか…最後まで答えが出せなかった」
「それでも言ってほしかった…」
「ごめん」
「四季くんは、わたしと居るのが後ろめたい?」
「え?」
「わたしが高校生…子供だから?」
「彩ちゃん」
「わたし怒ってるの」
「うん」
「すっごく腹が立ってる」
あの人達は、わたしが高校生であるが故に、あんな態度をとったに違いない。わたしが大人だったら、わざわざ「社会人に知り合いが居るのか?」とは聞かない筈。わたしが制服姿だったから、女子高生と認識されてしまった。
「四季くんは、高校生のわたしと付き合ってるのを知られたくない?」
「え?」
「世間はあの人達みたいな考えの人が多いんだと思う。社会人と高校生とじゃ、まるでお
「彩ちゃん」
「こんな制服来て、四季くんとは全然釣り合ってなくて…」
「彩ちゃん」
「わたしが高校生だから。四季くんの世界でわたしは凄く浮いてて」
「彩ちゃん」
四季くんはわたしの手を掴んで、変わらない声色で名前を呼ぶ。
「わたしは、どう頑張ったって四季くんに追いつけない」
腹が立っていた。
世間体と言う言葉は、幼い頃からこの身に染み付くほど言われて来た。その世間体を守る為に、
だから四季くんの世間体も、守らないといけないと分かっている。でも、四季くんにとってのわたしとゆう存在が、わたしの親の様に、知られたくない事を隠さないといけない存在であるのだとしたら…四季くんは、高校生と付き合っている事を隠したいのかもしれない。
「あの時、高校生の知り合いが居るのか?っておじさんが言ってた」
「うん」
「まるでお
「え…?」
「四季くんが、わたしを彼女だと紹介してくれなかった」
「彩ちゃん」
「四季くんにとってのわたしは、知られたくない存在なの?」
腹が立っていた。世間の勝手な解釈も、世間体を気にしないといけない風習も。
そして、自分がその対象だと言うことも。
「四季くんは、わたしと付き合ってるって知られるのが恥ずかしい?」
「彩ちゃん」
「わたしが子供だから」
「彩ちゃん」
視線を合わせないわたしに、四季くんが何度も名前を呼ぶ。
「君は本当に…」
彼はわたしの手を握り締め、小さく溜め息を吐いた。
「賢いにも程がある」
「え?」
「君は頭が良い」
その言葉は、わたしの考えを肯定している様に聞こえた。
「勉強熱心なのは感心するけど、君は何も分かってない」
「え?」
「俺が君の事をどう思って、どんな風に考えてるか、何も理解してない」
肯定したかと思えば、今度は否定の言葉を並べた。
「君の言う、“世間”に、君とゆう存在を知られたくないんだとしたら、拓や祖父母に君を紹介してないだろ」
「それとこれとは…」
「彩ちゃん。同じだよ」
四季くんの口調が少し強く発せられた。
「ただ、君の言う事も一理ある。俺はあの時、君の事を知られたくなかった」
“知られたくなかった”
その言葉はわたしの胸に強く突き刺さった。
「でも、勘違いしないで欲しい」
「……」
「あの時、君を知られたくないと思ったのは、君の言う解釈とは大きく異なる。君が高校生だからじゃない。高校生と付き合ってるからじゃない。理解できない世間には、知らせる必要なんかない。理解できない人間に知られた所で、君には何のメリットもない。あの社長のように、馬鹿にした態度を取られるのが関の山。敢えて、君を傷つける必要はないと思った」
「わたしの為だったって事…?」
「君の為じゃない」
「え…?」
「自分の為だよ…」
「どうして…」
わたしがそう聞き返すと、四季くんは困ったような表情を見せ、また溜め息を吐いた。
「彩ちゃん」
「うん」
「君は本当に綺麗だ」
「え…?」
思わぬ返しに、自分の口から吐き出されたものが声なのか吐息なのか分からず、息が止まるかと思った。
「君と居ると、不思議な気持ちになる」
その言葉は、前にも言われた事がある。
「君の存在を知られたくない。綺麗なまま蓋をして、大切に仕舞っておきたい。汚い言葉や、
「……」
「理解できない連中に、君を知られる必要はない」
「…四季くん」
「俺の大事な人だけ、君がどれだけ大切かを知って貰えればそれで良い」
「四季くん…」
頬を両手で包まれ、唇が触れそうになる。
「彩ちゃん愛してる」
その囁きと同時に、唇が触れ、深くなっていくキスに心臓の鼓動が追いつかない。
頬を包んでいた両手が腰に回り、体を抱き寄せられた。
四季くんの膝の上に乗せられ、背中に移動した両手がきつくきつく抱き締める。
「…四季くんっ…」
息継く
「苦しい…」
心臓も、呼吸も、抱き締められる強さも、全部が苦しかった。
「もう少しだけ…」
唇に触れたまま喋らないで欲しい…
「彩ちゃん…」
四季くんはずるい…
いつもは私を近づけさせないのに、急に男を見せてくる。
「苦しくしないでね…」
大好きだから、わたしに彼を拒む理由は無い。
「彩ちゃん愛してる」
「ん…」
「彩ちゃん」
「うん…」
「愛してる…」
何度も何度も、四季くんはその言葉を口にした。
こんなにも自分が愛されてると感じれる瞬間は他にない。
口付けが終わると、彼の体に身を委ねた。
肩で息をするわたしの背中を、ゆっくり撫でてくれる。
「四季くん…」
「何?」
「四季くん大好き…」
「うん」
愛してると返せるだけの、経験と知識がわたしには無い。
「四季くん…」
ぎゅっと抱き付くと、彼も同じ分だけ抱き締め返してくれた。
「わたしも同じだよ…」
「何が?」
「四季くんはかっこいいから。他の人に見せたくない」
「え?」
「四季くんの事を好きになられたら嫌だ」
「え?」
「嫌なの…」
こんな事を思う自分が、子供っぽいと自覚している。
「ずっとわたしだけの四季くんでいてね…」
「……」
「四季くん…?」
返事のない彼の名前を呼ぶ。
「……」
それでも返事がないから、顔を上げてみると、抱き締められていた彼の腕が再び頬を包んだ。
近づく目線と、かかる吐息…
「四季くん…?」
「うん」
「大丈夫…?」
「彩ちゃん」
「うん…」
「少しだけ、君に
もう、今だって触れているのに。これ以上どこに触れたいと言うのか…
「…四季くん」
「うん」
「わたしと、えっちしたいって事…?」
意を決して伝えた言葉を、彼は優しく受け取ってくれた。
「うん」
「でも、まだしないって…」
「うん。だから少しだけ、君に
「ど、どこに…」
戸惑っていたのは、嫌だからじゃ無い。普段は一線を引こうとする彼が、私の為にその手前まで歩み寄ってくれているから。
「どこなら良い?」
彼の一線は、とても誠実で。大切にされているんだと感じさせる。だけどそれは時に、わたしに興味がないと思わせる事にも繋がった。
不安と安心感の間で揺れ動いているわたしの心情に、彼は気づいている。気づいていて、わたしから言えずにいる言葉を、彼が代わりに言葉にしてくれている。
世間知らずな
「ごめんなさい…」
「何?」
「四季くんに気を遣わせてる…」
「彩ちゃん」
「わたしが子供だから…」
「彩ちゃん」
「はい…」
「君が嫌な事はしない」
「うん…」
「でも不安を無くしてあげたい」
「ん…」
「君が安心出来るなら、」
「四季くん…」
「何?」
「四季くんが、わたしを想っての事だって…わかってるよ」
「うん」
「でもね…」
「うん」
「今じゃないって言われると、今のわたしじゃダメなんだって言われてる気がして…」
「彩ちゃん」
「うん。分かってる…四季くんがどうゆう意味で言ってるか、きちんと分かってるよ」
「うん」
「だけどね…だからね…少しだけ。少しだけで良いから。わたしを求めて欲しい」
「彩ちゃん」
「我儘言って…」
「我儘じゃない。君にこんな事を言わせてしまって…今ようやく気づいた俺が悪い」
「そんなこと…」
「彩ちゃんベッドに行こう」
「……」
「ここは明るい」
日が短くなったとは言え、ブラインドが下された窓からは、外の光が二人の姿を鮮明に捉える。
四季くんの膝から降ろされ、寝室へと手を引かれ歩いた。
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