拓が言うように、単純単細胞ってゆう表現が、間違ってるとは言えない。



少なからず拓からの影響は大きかった。



一度気になりだしたら、気になってしょうがなくなり、会社へ行く道中で彼女の姿ばかり探した。



毎朝、同じ時間に必ずバス停に立ってる彼女は、いつも寒そうに顔をマフラーに埋めている。



どうしようもないぐらい、その姿が可愛くてしかたなかった。



仕事終わりに、反対車線からバス停を見ても彼女の姿は無い。



朝しか見れないと分かっていながら、帰りの道中でもバス停に目を向けてしまっていた。



そんな日々が続き、いつものように会社へ向かっていたら、バス停付近で信号が赤になった。



停車して彼女の姿を探すけど、バス停に彼女の姿はなかった。



信号が青になるまで彼女は現れず、その日彼女を見れなかったショックは大きかった。



毎朝、寒い中立っているから風邪でも引いたのかと心配する反面、バス通学を辞めたのか、時間を変更したのか、考えられる事は全て考えた。



もしこのまま会えなくなったらどうしたらいんだろうと、そんな事を思った自分が笑えなかった。



次の日、タクシーに乗った。



バス停付近で降りると、バス停に向かって歩いた。



溜め息を吐くと、白い息に変わる。



このクソ寒い日に、こんな事までして何やってんだと、少しだけ自分を心配した。



バス停に着くと、既にサラリーマンのおっさんが2、3人立っていた。


その後ろに並びながら、辺りを見渡してみる。



彼女の姿はない。



バスが来るまで後5分。



普段は10分程前から並んで待ってる彼女がこの時間に居ないって事は、今日もここには現れないのかもしれない。



どうしようかと思った。



このまま、彼女が来ないのにバス停に居ても意味がない。



グダグダ考えても答えは出ず…



だから考えるのは嫌いなんだ。



腕時計に目をやり、とりあえずバスに乗って会社の近くまで行こうと思った。



それで帰りはタクシーで帰るか、会社の誰かに送ってもらおうと思った。



そんな時、



「はぁはぁっ…間に合ったっ…」



聞こえてきた呟くような声。



息が上がってしんどそうに呼吸を整える彼女は、マフラーを外して、巻き直している。



その姿を、奇跡だと思った。



こんな風に現れてくれた彼女を、奇跡だとしか思えなかった。



暫く見入っていると、その視線に気づいた彼女が、不審そうに目つきを鋭くした。



そんな可愛い顔で睨まれても、全然怖くない。



視線を逸らすと、彼女はゆっくりと隣に来て並んだ。



巻き直したマフラーに、やっぱり顔を埋めている。



近くで見る彼女は小さく思えた。


今にもその冷えた体を温めてあげたいとゆう衝動に駆られる。



だけどそれを実際行動にしないのは、理性があるから。



そんな事したら、痴漢か変態扱いされてもしょうがない。



バスが目の前に停車し、前に並んでたおっさん達がそそくさとバスに乗っていく。



列に習って自分もバスに乗車した。



バスの中ってのは結構、混雑してるんだなと呆気に取られた。



だけどいつまでも立ち往生していられない。



彼女がすぐ後ろで待っている。でもこれ以上奥へ進むのも難しい。



だから彼女が立てる場所ぐらいは確保して、彼女が自分の隣に立つように仕向けた。



案の定、立ち位置がそこしかないと判断した彼女は隣に来る。



バスが発車して、少し揺れた。



体勢を崩した彼女は、吊革に捕まらない。


一番前の座席に手を置いて、何とか踏ん張ってる感じだった。



自分よりは背が低いけど、吊革を掴めない程低い訳じゃないと思う。



そんな不安定な体勢で、またバスが揺れたら危ない。


支えてあげたいけど、そんな事は出来ない。



そう思っていたら、バスのブレーキ音が響いて、乗客全体が揺れ動いた。



「あっ…!」



彼女は小さく声をあげ、体勢を崩した。



「キャッ…!」



咄嗟に左腕を掴むと、



「いたっ…」



小さく悲鳴を上げるから、咄嗟に腕を離した。



そんなに強く握ったつもりは無かった。



痛いと言った場所を反対の手で摩る彼女に、



「ごめん」



そう声をかけると、驚いた様に視線を合わせた彼女は、



「違います…!ちょと…怪我してて…あなたの所為じゃないんで…!」



初めて聞いた声は、とても落ち着きのある声色で、彼女の強さを感じた。



だからこそ、慌てて弁解してくれる彼女が不自然でしょうがない。



「腕…どんな怪我?」



そう聞くと、彼女の表情はまた一変した。



「ちょっと…大丈夫です…すみません」



そして再び、座席の端へ手を置いている。



「手、」


「…え?」


「力入らないの?」



彼女は何も答えない。



「また揺れたら危ないから、支えてても良い?」


「えっ?」


「来て」



言ったと同時に、彼女の肩を支えた。



「あの…!」


「どこで降りる?」


「え?」


「君は、どこで降りるの?」


「あ…、たちばな高等学校こうとうがっこうで…」


「そう」


「あの…」


「病院、行った?」


「え?はい…」


「学校行って大丈夫?」


「あ、はい…昨日休んで、1日安静にしてたんで…」


「そうなんだ」



昨日は学校を休んだから、バス停に現れなかったんだと、疑問が解消されて胸を撫で下ろした。



彼女が言った「たちばな高等学校こうとうがっこう」ってゆうのは、通称“タチバナ”と呼ばれ、元々この辺じゃそこそこのお嬢様学校だった。



それが10年くらい前から共学になっている。



「…あの、」



不意に見上げてくる彼女は、



「もう着くんで…」



彼女の右肩に置いていた右手へ視線を向けた。


それが、離してくれと言ってるんだと分かる。



「バスが完全に停まったら離すよ」


「…あ、はい…」



渋々と言った感じに了承した彼女は、まだかまだかと言わんばかりに、窓の外を眺めていた。



そんなにこの手を離して欲しいのかと…少しだけ胸が痛む。



「あの…」



それを裏付けるかの様に、落ち着きの無い声。



「もう、学校が見えて来たんで…」



離してくれと言いたげな表情を見せる。



「また揺れたら危ない」


「…大丈夫です」


「でも、」


「お願いします…!」



小声とは言え、力強い発言だった所為で意志とは反対に手をスッと離してしまった。



それに気づいた彼女は、



「すみません…ありがとうございます…」



深く、頭を下げる。



黒く長い髪が、サラッと揺れた。



「こんなに…わたしに親切にして頂いて…」



顔を上げた彼女は、再び座席の端に手を置いた。



「感謝ですね…こんなわたしにも、良いことがありました」



そして、ニコッと小さく微笑んだ。



何を感謝するって言うんだ?


良いことが有ったからか?


じゃあ普段、嫌なことばっかりって事か?



「危ない…」



バスが少し揺れて、咄嗟に彼女の肩を支えた。



「ありがとうございます」



彼女は早々とお礼を口にして、もうこっちは見ずに急いでバスを降りた。



ドアの閉まる音が聞こえる。



ゆっくりと発車したバスから、先を急ぐ彼女の姿が見えた。



結局、名前も年も分からないまま。


何一つ聞けないまま、次のバス停で降りた。



タクシーを拾って会社まで行き、帰りは授業員に家まで送って貰った。



1LDKの部屋は、リビングがやけに広いとこが気に入っている。



親父と暮らしていた頃は古いアパートに居て、今こうやってマンションで一人暮らしをしてるなんて想像もしなかった。



帰ったらすぐ風呂に入って、上がったらビールを飲む。



テレビを点けてソファーに体を沈めると、そのまま寝てしまってる事なんてしょっちゅうだった。



だけど今日は目が冴えてどうも睡魔が来る気配が無い。



ふと、彼女の声を思い出した。



おとぎ話に出てくるお姫様のような容姿には似合わず、芯のある落ち着いた口調。



最初は、自分に対する警戒心から強い口調になっているのかと思った。



だけど、ブレの無い落ち着き払った声色は、彼女自身の強さの現れだと感じた。



強くあろうと背伸びしてるのか、弱さを見せてはいけないと強く見せようとしているのか。



彼女はそこまでして弱さを隠さなければいけないのか。



…遠くから見てるだけだったのに、近くで声を聞いてしまったから、会いたくてしょうがない。



次の日の朝、懲りもせずにまたバス停へと向かった。


昨日と同じ時間にタクシーを降りて、バス停まで歩く。



いつも先頭に居るサラリーマンの後ろに、彼女を見つけた。


心なしか足取りが速くなる。



彼女はマフラーに顔を埋めていた。



「寒いならもうちょっとギリギリで来れば良いのに」



懲りもせず話しかけると、彼女はゆっくり視線を向けた。



「…え?」



そしてすぐに驚いた表情に変わると小さく声を漏らした。



「寒いんだろ?」


「…え?あの、」


「あ、昨日もバスで会ったんだけど覚えてない?」


「あ、いえ…覚えてます」


「そう?良かった」


「…いつも、居ましたっけ…?」



マフラーを下げるように口元を出すと、彼女は不思議そうな表情を浮かべた。



「いつもは…居ないけど、昨日は居た」


「…はぁ」



言ってる事の意味が分からないとゆう顔をしている。


そりゃそうだ。自分でも何言ってんのか良く分からない。



「あ、昨日は親切にして頂いて…」


「あぁ、別に」


「ありがとうございました」


「いや、別に」


「腕…怪我してて、これ以上上がらないんです」



そう言った彼女は、両手を前へ伸ばしてみせた。



「痛くて上がらない?」


「はい…腕を上に伸ばせないんです…だから、吊革持てなくて」


「…そうなんだ」


「昨日は本当に、ありがとうございました」



もう一度お礼を口にした彼女は、小さく頭を下げた。



顔を上げた彼女に「何年生?」と問いかける。



質問を理解した彼女は、



「1年です」



警戒する事なく、普通に答えてくれたから聞いた癖に驚いた。



でも驚いたのはそれだけじゃない。



「1年…?」


「はい、でも今年の春で2年になります」


「…あぁ、そう…」



高校生とゆう事に変わりは無いけど、精々18歳ぐらいにはなるんだろうと思ってた。



それが1年生ってなると、


「じゃあ、16歳…?」


「はい」


これは犯罪だろうかと、自問自答を繰り返す。



高校生ってゆう時点で、何か色々マズイと思っているのに…



急に肩身が狭くなった気分だ。



前列に並ぶサラリーマンのおっさんが、バスはまだかと振り返る振りをして、こっちを見たような気がした。



あれこれ考えるのは性に合わない。


とは言え、これは慎重に事を運ばないといけないかと感じる。



あれこれ思案している間に、急に口数が減ったと思ったのか、突然訪れた沈黙に耐えれなかったのか、



「あの、」



彼女から口を開いた。



思考が中途半端に遮断された頭で返事をすると「ん?」と、よく分からない反応になってしまった。



だけど彼女はそれを、聞いてくれるものだと理解したらしい。



「彼女、居ますか…?」


「…ん?」



思考回路が追いつかず、続けたかった言葉はバスが来た事によって言葉になる事はなかった。



彼女もバスが来たからと、視線を前へ移し、列に沿って乗車しようとする。



その後ろを続いて乗車すると、今日も車内は満員だった。



昨日の恩を感じたのか、人一人立てるように彼女が少し詰めてくれたから、迷わずその隣へ行き、昨日と逆の位置に立ち並ぶ。



バスの発車と共に揺れる車内で、



「ここ、持つ?」



自分が着ているジャケットの裾を持って、彼女の方に差し出した。



だけど彼女は遠慮して「いえ…」と、拒否を示す。



それでも揺れる車内で吊革に掴まれない彼女は、凄く不安定だ。



「大丈夫だから、持って」



少し強制的に促すと「あ、はい…」と小さく声を漏らして、ジャケットの裾では無く、脇腹辺りを両手で掴まれた。



その行動にドキッとして、思わず視線を向けた。



満員どころか、定員オーバーの車内じゃ、裾を持つ方が不安定なのかもしれない。



自分にしがみつかれているみたいで、やけに意識が脇腹に集中していた。



バスが揺れる度に彼女の体が触れる。



「あの…」



直後に聞こえて来た声に視線を向けて応えると、彼女もこちらを見上げている。



「…いつも、誰にでも、こんなに親切なんですか…?」



その問いかけの意図が理解出来ず、すぐに言葉が出て来ない。



「いや、昨日からずっと思ってて…」


「うん」


「大きなお世話ですけど…」


「何が?」


「いや、もし…彼女さんがいらっしゃるなら、申し訳ないなと思って…」


「彼女?」


「はい」


「俺の?」


「はい」


「え?彼女?」


「はい…」



…意味が分からない。



「わたしは…こんな所を見られたら…」



そう言って口を閉ざした彼女は、



「何でもないです…」



言葉を濁した。



一体何が言いたかったのか、良く分からない。



ただ、



「俺、付き合ってる人いないよ」



そこは曖昧にしておけないと思った。



「え…?そうなんですか?」


「うん」


「優しいのに…勿体無いですね…」


「え?」


「あ、いえ、大きなお世話でした…」



視線を落とした彼女に、



「君は、居るの?」



そこも曖昧にはしておけないと思った。


むしろ、重要事項になる。



「わたしは…居ます」



小さく呟いた彼女の言葉に、胸が少し痛んだ。



「同じ高校の人?」


「…いえ」


「高校生じゃないの?」


「はい…」


「年上?」


「はい…」



彼女の声がどんどん小さくなるから、立ち入ったことを聞き過ぎたかと後悔した矢先―…



「中学の先輩なんです…」



彼女から話してくれた。



「3歳年上で…」


「そうなんだ」


「うちの高校、5月に文化祭があって色んな人が来るんですけど、その時に再開して…」


「うん」


「付き合う事になりました…」


「へぇ」


「…すみません」


「何が?」


「どうでも良いですよね」


「そんな事ないよ」


「…すみません」


「いや、」


「わたし、何が言いたいんでしょうかね…」


「…うん」



どう言って良いか分からず、言葉に詰まってしまった。



彼女が何も話さなくなったから「学校楽しい?」と、話題を変えた。



「…学校は、楽しいです」



返答してくれたものの、言葉に覇気が無い。



「そっか」



そんな彼女に頷く事しか出来ない。



「学校は楽しいんですけど…」



そう続けた彼女の言葉は、彼女が降りるバス停に着くアナウンスが流れた為に、最後まで聞く事が出来なかった。



バスがゆっくりと停車し、しがみつくようにジャケットを握っていた彼女の両手が離れる。



「…ありがとうございました」



そう言って一礼した彼女を、引き止める事が出来なかった。



バスを降りて行く彼女を、引き止めたかった…



結局、名前も聞けないまますべも無く。



寒そうに身を縮めて歩き出す彼女の後ろ姿に、溜め息が漏れた。


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