次の日の朝、わたしは朝早くバスに乗り、病院に向かった。



四季くんの所在を確かめる為に…



もし四季くんに会えて、どうゆう反応をされたとしても…わたしは自分の気持ちを伝えようと思う。



やっぱり何も思い出せないけど、亜美から聞いた話は事実に違いないから。



朝のバスは通勤ラッシュで、ぎゅうきゅうに詰め込まれた車内じゃ悠々と考え事すら出来ない。



息苦しい車内から解放されたいと願っている間に、バスは病院前で停車した。



ここで降車するのはわたしだけのようで「すみません…」と、人の中をくぐり抜け、やっとの事でバスを降りた時には、心底ホッとした。



立ち往生もしてられないから早足で病院内へ足を踏み入れる。


診察待ちの人達が、待合のフロアに座って居る。



あの松葉杖の…わたしと付き合っていたらしい男子が居たらと思うと、体中に緊張が走り、更に早歩きでエレベーターに向かった。



運良くすぐに開いたドアから中に乗り込み、5階のボタンを押した。



静かに上がって行くエレベーターの中に居ると、さっきとは違う緊張が押し寄せる。



5階に着いてエレベーターの扉が開くと、わたしの心臓は煩いくらいに鳴り響いた。



つい昨日も通った詰め所の前を通り、すぐに見えた506号室の前で足を止めた。



この中に、わたしの知っている四季くんが居るのだろうか。


「上村四季」と書かれた名前を見て、今更不安に駆られる。



「すみません」



病室の前に立つわたしの後ろから、わたしにかけられただろう声に振り返る。



「面会ですか?」



案の定わたしに掛けられた言葉は、初めて見る顔の看護師からの質問だった。



「面会…したいんですけど…」


「ご家族の方ですか?」



昨日も聞かれた質問に、家族じゃないと会わせて貰えなかった事を思い出した。



「あの…」


「失礼ですが、ご家族以外の方の面会は控えて頂いてます」


「…はい」



とは言え、わたしも引き下がれない。



「四季くんに、伝えて貰えますか…?」



不思議そうな顔をする看護師に、



「彩が来たって、伝えて貰えませんか?」


「はい?」


「お願いします。彩が会いに来たと、伝えて下さい」


「失礼ですけど、彩さんってあなたのお名前ですか?」


「はい」


「お伝えはしますけど、会われるかどうかは分かりませんよ?」


「はい」



そんなこと無い。


四季くんは必ず、会ってくれる。



5階のフロアにあるソファーに座って待っていた。通り過ぎる人を見ては溜め息を吐く。



溜め息ばかり吐いては、視線を落とす。



「どうしていっつもそうなんだろ…」



…――え?



「そんな風に無防備だから、心配でしょうがない…」



荒い呼吸と共に投げ掛けられた言葉。



視線を上げた先に、胸の辺りを手で押さえながら苦しそうに佇む四季くんが居た。



「四季くん…」



立ち上がったわたしに、倒れ込むようにして腕を背中に回して来た彼は、



「死ぬかと思った…」



荒い呼吸のまま、ズルズルっとその場に滑り落ちる。



「四季くん!」



咄嗟に体を支えようにも、わたしより大きな彼を支えられず、一緒に座り込んでしまい、



「四季くん!」



返事の無い彼の体を、何度も揺すった。



「走らないでってあれ程言ったのに…」



看護師は点滴を打ちながら、ベッドに寝かされている四季くんを睨みつける。



「死ぬかと思った…」



何度も同じセリフを呟く四季くんは、本当にそう感じたんだと思う。



「当たり前でしょ!あなた全治何ヶ月だと思ってるの!肋骨折れてるのよ!額パックリ割れてるのよ!傷が開いたらどうするの!良い大人が何を考えてるの!あなた、家族以外面会謝絶なのよ!」



脳天気な話口調の四季くんに、看護師は怒り爆発寸前で…



「よくもまぁ、こんな体で走ったわね…」



呆れるしかないと言った感じだった。



「点滴終わったら呼んで下さいね。ベッドから降りたらダメですよ」



釘を刺して病室を出て行く看護師に、四季くんは苦笑いを浮かべていた。



「小便したくなったらどうすんだよ」


「わたし手伝うよ」


「…え?」


「え?手伝うよ?何でも言ってね」


「…いや、ありがと…」



視線を逸らした彼を、ベッドの脇に置かれた椅子へ腰掛けて見つめる。



その視線に気づいた彼が、



「…嘘吐いてごめん」



小さく謝罪を口にした。



「ううん…わたし、何も知らずに…いや、何も覚えてなくて…」


「亜美ちゃんから聞いたの?」


「うん、聞いた。四季くんがこんなに酷い怪我だったなんて、考えもしなくて…」


「彩ちゃんが気にする事じゃないよ」


「…でも、家族にしか会えないって…だからあの時、わたしの事を家族って言ったの?」



わたしの疑問に、四季くんは曖昧に微笑んで、答えてくれなかった。



「彩ちゃん今日学校は?」



わたしの格好を見渡しながら、四季くんが問いかける。



「一応、制服は着て来たんだけど。今日は行くのをやめとこうと思う」



色々聞きたい事もあるし、昨日の事も話したいと思ってるのに、



「四季くん…」


「何、彩ちゃん」


「わたし、四季くんの事も一緒に忘れてしまって…」



それよりも先に、伝えたい事があった。



「知ってる」


「わたし、傷つけてたよね…」


「そんな事ないよ」



本当にそんな事ないって顔で、四季くんは言ってのける。



「今も、こうやって四季くんと会っても、思い出せない…」


「そっか」



四季くんは、穏やかな口調で頷いた。



「でもね、わたし思うの…」


「うん」


「わたしね、」


「うん?」


「記憶は無いけど、四季くんの事、好きだったと思う」



そう告げたわたしに、四季くんはポカンとした眼差しで見つめて来る。



「いい加減な事言うなって言われれば、それまでなんだけど…!」



返事がないから無性に焦りを感じた。



「だって…凄く好きなんだよ?」



どうしても伝えたかった気持ちを口にした。



「わたし、どんな人間だった…?四季くんには、わたしがどう見えてた…?付き合ってる人が居るのに四季くんに付き纏って、軽い女だと思っ…」


「思ってない」



わたしの言葉を遮った四季くんは、



「付き纏ってたのは俺の方…」



点滴の雫へ視線を向けていた。



「彩ちゃんには付き合ってる奴居たのに、好きになっちゃったんだ」


「えっ?」


「そこまでは聞いてない?」


「えっ?」


「好きだよ彩ちゃん。じゃなきゃ、こんなボロボロの体で病院内出歩いたりしない」


「気づかなかった…」


「知ってる」



フッと笑った四季くんに、わたしの胸は再び熱くなる。



「彩ちゃん毎朝、バスに乗って通学してるじゃん?」


「…うん」



いきなり変わった話しに、言葉が詰まってしまった。



「俺、毎朝バス停の前を車で通ってたんだ」


「そうなの…?」


「そうだよ。丁度信号待ちで止まるんだけど、いつもふとした時に目に付くんだよね」


「……」


「彩ちゃんが」



穏やかに話す四季くんは、何もかも忘れてしまったわたしに、教えてくれてる…



「毎日毎日見てたんだけど、ある日彩ちゃんが居ない時があって、その日は本当につまらなかった…」



本当につまらなかったんだろうなと思わせる口振りの四季くんは、わたしよりも臨場感溢れる話し方をするんだなと思ってしまった。



「このまま会えなかったら、きついな…って」


「きつい?」


「そう、彩ちゃんに会えなくなったら悲しいなって」



四季くんは一つ一つわたしの疑問に答えるように話してくれる。



「だから、俺から話しかけた」


「え?」


「ん?」


「いつ…?」


「いつだったかな」



ニコリと笑った四季くんに、はぐらかされた気分だった。



「どこで…?」


「バス停」


「四季くんバス停まで来たの?」


「うん」


「うそ…全然分かんない…」


「初めからすぐ話しかけた訳じゃない」


「そうなの…?」


「うん。何回か同じバスに乗って、」


「うん」


「…やっと話しかけた」


「わたし、四季くんとバスに乗ってたんだ…」



そんな素敵な出会いすら、わたしは忘れてしまってる。



「…あの、彩ちゃん…?」


「何?」


「…近い」


「え?」


「…顔」



話してる内に、わたしは思わず身を乗り出していたらしい。


四季くんが困ったような顔をするから、ベッドの脇に付いている手を離そうとすると、



「そんなに近いと、」


「え?」


「キスしたくなる」



四季くんに手を掴まれて、グッと引き寄せられた。



「四季くんって、結構手が早いよね」



引き寄せられたと同時に、わたしは思わずそう口にした。


言った言葉に意味は無かった。


ただ、四季くんが退院すると嘘を吐いた日も、わたしはいきなり彼からキスをされた。



いきなりと言っても、もちろん無理矢理じゃないし、わたしも嫌じゃなかった。


むしろ四季くんの事は好き。



だから、本当に発言に大した意味はない。



四季くんからすれば、わたし達は出会って長いのだけれど、わたしは数ヶ月前の四季くんしか覚えてない。


しかも、四季くんと会ってたのはお見舞いに行った一週間ほど。



だから出会って間もなくキスをしたってゆうのが頭にあって、思わず口から出てしまっただけ。



だけど―…



わたしの発言で、ピタリと動きを止めた四季くんは、その言葉を重く受け止めてしまったらしい。



キスする気満々だったらしい彼は、



「…ごめん」



謝る割に、引き寄せた体を離してはくれない。



「あの…わたし別に、四季くんを責めてるんじゃなくて。あの、もっと言い方…考えれば良かった…」



四季くんの胸の中でうなだれるわたしに、



「彩ちゃん」


「いや、わたしほんと、そうゆう事言いたかったんじゃなくて…」


「彩ちゃんしか触らないし、キスしたいとも思わない」


「あの、わたし…」


「こんなに近くに居たら、我慢出来なくなる」


「いや、え?」


「でも、努力はする…」


「あ、はい…」


「嫌ならしない」


「その、わたし…」


「ダメなら言って」


「だからわたし…」


「キスして良い?」



四季くんを初めてずるい人だと思った。



だって、



「そんな風に言われたら…」



わたしだって、したいと思ってしまう。



「じゃあ、」



そう呟いてわたしにゆっくりと顔を寄せた彼は、



「遠慮なく」



口元に触れるか触れないかの距離で、ニコッと笑った。

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