6
次の日の朝、わたしは朝早くバスに乗り、病院に向かった。
四季くんの所在を確かめる為に…
もし四季くんに会えて、どうゆう反応をされたとしても…わたしは自分の気持ちを伝えようと思う。
やっぱり何も思い出せないけど、亜美から聞いた話は事実に違いないから。
朝のバスは通勤ラッシュで、ぎゅうきゅうに詰め込まれた車内じゃ悠々と考え事すら出来ない。
息苦しい車内から解放されたいと願っている間に、バスは病院前で停車した。
ここで降車するのはわたしだけのようで「すみません…」と、人の中をくぐり抜け、やっとの事でバスを降りた時には、心底ホッとした。
立ち往生もしてられないから早足で病院内へ足を踏み入れる。
診察待ちの人達が、待合のフロアに座って居る。
あの松葉杖の…わたしと付き合っていたらしい男子が居たらと思うと、体中に緊張が走り、更に早歩きでエレベーターに向かった。
運良くすぐに開いたドアから中に乗り込み、5階のボタンを押した。
静かに上がって行くエレベーターの中に居ると、さっきとは違う緊張が押し寄せる。
5階に着いてエレベーターの扉が開くと、わたしの心臓は煩いくらいに鳴り響いた。
つい昨日も通った詰め所の前を通り、すぐに見えた506号室の前で足を止めた。
この中に、わたしの知っている四季くんが居るのだろうか。
「上村四季」と書かれた名前を見て、今更不安に駆られる。
「すみません」
病室の前に立つわたしの後ろから、わたしにかけられただろう声に振り返る。
「面会ですか?」
案の定わたしに掛けられた言葉は、初めて見る顔の看護師からの質問だった。
「面会…したいんですけど…」
「ご家族の方ですか?」
昨日も聞かれた質問に、家族じゃないと会わせて貰えなかった事を思い出した。
「あの…」
「失礼ですが、ご家族以外の方の面会は控えて頂いてます」
「…はい」
とは言え、わたしも引き下がれない。
「四季くんに、伝えて貰えますか…?」
不思議そうな顔をする看護師に、
「彩が来たって、伝えて貰えませんか?」
「はい?」
「お願いします。彩が会いに来たと、伝えて下さい」
「失礼ですけど、彩さんってあなたのお名前ですか?」
「はい」
「お伝えはしますけど、会われるかどうかは分かりませんよ?」
「はい」
そんなこと無い。
四季くんは必ず、会ってくれる。
5階のフロアにあるソファーに座って待っていた。通り過ぎる人を見ては溜め息を吐く。
溜め息ばかり吐いては、視線を落とす。
「どうしていっつもそうなんだろ…」
…――え?
「そんな風に無防備だから、心配でしょうがない…」
荒い呼吸と共に投げ掛けられた言葉。
視線を上げた先に、胸の辺りを手で押さえながら苦しそうに佇む四季くんが居た。
「四季くん…」
立ち上がったわたしに、倒れ込むようにして腕を背中に回して来た彼は、
「死ぬかと思った…」
荒い呼吸のまま、ズルズルっとその場に滑り落ちる。
「四季くん!」
咄嗟に体を支えようにも、わたしより大きな彼を支えられず、一緒に座り込んでしまい、
「四季くん!」
返事の無い彼の体を、何度も揺すった。
「走らないでってあれ程言ったのに…」
看護師は点滴を打ちながら、ベッドに寝かされている四季くんを睨みつける。
「死ぬかと思った…」
何度も同じセリフを呟く四季くんは、本当にそう感じたんだと思う。
「当たり前でしょ!あなた全治何ヶ月だと思ってるの!肋骨折れてるのよ!額パックリ割れてるのよ!傷が開いたらどうするの!良い大人が何を考えてるの!あなた、家族以外面会謝絶なのよ!」
脳天気な話口調の四季くんに、看護師は怒り爆発寸前で…
「よくもまぁ、こんな体で走ったわね…」
呆れるしかないと言った感じだった。
「点滴終わったら呼んで下さいね。ベッドから降りたらダメですよ」
釘を刺して病室を出て行く看護師に、四季くんは苦笑いを浮かべていた。
「小便したくなったらどうすんだよ」
「わたし手伝うよ」
「…え?」
「え?手伝うよ?何でも言ってね」
「…いや、ありがと…」
視線を逸らした彼を、ベッドの脇に置かれた椅子へ腰掛けて見つめる。
その視線に気づいた彼が、
「…嘘吐いてごめん」
小さく謝罪を口にした。
「ううん…わたし、何も知らずに…いや、何も覚えてなくて…」
「亜美ちゃんから聞いたの?」
「うん、聞いた。四季くんがこんなに酷い怪我だったなんて、考えもしなくて…」
「彩ちゃんが気にする事じゃないよ」
「…でも、家族にしか会えないって…だからあの時、わたしの事を家族って言ったの?」
わたしの疑問に、四季くんは曖昧に微笑んで、答えてくれなかった。
「彩ちゃん今日学校は?」
わたしの格好を見渡しながら、四季くんが問いかける。
「一応、制服は着て来たんだけど。今日は行くのをやめとこうと思う」
色々聞きたい事もあるし、昨日の事も話したいと思ってるのに、
「四季くん…」
「何、彩ちゃん」
「わたし、四季くんの事も一緒に忘れてしまって…」
それよりも先に、伝えたい事があった。
「知ってる」
「わたし、傷つけてたよね…」
「そんな事ないよ」
本当にそんな事ないって顔で、四季くんは言ってのける。
「今も、こうやって四季くんと会っても、思い出せない…」
「そっか」
四季くんは、穏やかな口調で頷いた。
「でもね、わたし思うの…」
「うん」
「わたしね、」
「うん?」
「記憶は無いけど、四季くんの事、好きだったと思う」
そう告げたわたしに、四季くんはポカンとした眼差しで見つめて来る。
「いい加減な事言うなって言われれば、それまでなんだけど…!」
返事がないから無性に焦りを感じた。
「だって…凄く好きなんだよ?」
どうしても伝えたかった気持ちを口にした。
「わたし、どんな人間だった…?四季くんには、わたしがどう見えてた…?付き合ってる人が居るのに四季くんに付き纏って、軽い女だと思っ…」
「思ってない」
わたしの言葉を遮った四季くんは、
「付き纏ってたのは俺の方…」
点滴の雫へ視線を向けていた。
「彩ちゃんには付き合ってる奴居たのに、好きになっちゃったんだ」
「えっ?」
「そこまでは聞いてない?」
「えっ?」
「好きだよ彩ちゃん。じゃなきゃ、こんなボロボロの体で病院内出歩いたりしない」
「気づかなかった…」
「知ってる」
フッと笑った四季くんに、わたしの胸は再び熱くなる。
「彩ちゃん毎朝、バスに乗って通学してるじゃん?」
「…うん」
いきなり変わった話しに、言葉が詰まってしまった。
「俺、毎朝バス停の前を車で通ってたんだ」
「そうなの…?」
「そうだよ。丁度信号待ちで止まるんだけど、いつもふとした時に目に付くんだよね」
「……」
「彩ちゃんが」
穏やかに話す四季くんは、何もかも忘れてしまったわたしに、教えてくれてる…
「毎日毎日見てたんだけど、ある日彩ちゃんが居ない時があって、その日は本当につまらなかった…」
本当につまらなかったんだろうなと思わせる口振りの四季くんは、わたしよりも臨場感溢れる話し方をするんだなと思ってしまった。
「このまま会えなかったら、きついな…って」
「きつい?」
「そう、彩ちゃんに会えなくなったら悲しいなって」
四季くんは一つ一つわたしの疑問に答えるように話してくれる。
「だから、俺から話しかけた」
「え?」
「ん?」
「いつ…?」
「いつだったかな」
ニコリと笑った四季くんに、はぐらかされた気分だった。
「どこで…?」
「バス停」
「四季くんバス停まで来たの?」
「うん」
「うそ…全然分かんない…」
「初めからすぐ話しかけた訳じゃない」
「そうなの…?」
「うん。何回か同じバスに乗って、」
「うん」
「…やっと話しかけた」
「わたし、四季くんとバスに乗ってたんだ…」
そんな素敵な出会いすら、わたしは忘れてしまってる。
「…あの、彩ちゃん…?」
「何?」
「…近い」
「え?」
「…顔」
話してる内に、わたしは思わず身を乗り出していたらしい。
四季くんが困ったような顔をするから、ベッドの脇に付いている手を離そうとすると、
「そんなに近いと、」
「え?」
「キスしたくなる」
四季くんに手を掴まれて、グッと引き寄せられた。
「四季くんって、結構手が早いよね」
引き寄せられたと同時に、わたしは思わずそう口にした。
言った言葉に意味は無かった。
ただ、四季くんが退院すると嘘を吐いた日も、わたしはいきなり彼からキスをされた。
いきなりと言っても、もちろん無理矢理じゃないし、わたしも嫌じゃなかった。
むしろ四季くんの事は好き。
だから、本当に発言に大した意味はない。
四季くんからすれば、わたし達は出会って長いのだけれど、わたしは数ヶ月前の四季くんしか覚えてない。
しかも、四季くんと会ってたのはお見舞いに行った一週間ほど。
だから出会って間もなくキスをしたってゆうのが頭にあって、思わず口から出てしまっただけ。
だけど―…
わたしの発言で、ピタリと動きを止めた四季くんは、その言葉を重く受け止めてしまったらしい。
キスする気満々だったらしい彼は、
「…ごめん」
謝る割に、引き寄せた体を離してはくれない。
「あの…わたし別に、四季くんを責めてるんじゃなくて。あの、もっと言い方…考えれば良かった…」
四季くんの胸の中でうなだれるわたしに、
「彩ちゃん」
「いや、わたしほんと、そうゆう事言いたかったんじゃなくて…」
「彩ちゃんしか触らないし、キスしたいとも思わない」
「あの、わたし…」
「こんなに近くに居たら、我慢出来なくなる」
「いや、え?」
「でも、努力はする…」
「あ、はい…」
「嫌ならしない」
「その、わたし…」
「ダメなら言って」
「だからわたし…」
「キスして良い?」
四季くんを初めてずるい人だと思った。
だって、
「そんな風に言われたら…」
わたしだって、したいと思ってしまう。
「じゃあ、」
そう呟いてわたしにゆっくりと顔を寄せた彼は、
「遠慮なく」
口元に触れるか触れないかの距離で、ニコッと笑った。
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