「また来週から期末テストだし、今日はお茶でもして帰ろうよ」


「やめとく。家帰って勉強しなきゃ」


「彩…」



四季くんと会わなくなって、3ヶ月経っていた。


あっとゆう間に日は短くなり、厳しい寒さが続く。



「たまには息抜きしようよ」



コートのポケットに両手を突っ込んで、亜美が不貞腐れた用な声を出す。



「一人で行っておいでよ。わたしは帰るから」



マフラーに顔を埋めて、隣を並んで歩く亜美に視線を向けた。



「彩…大丈夫なの?」


「何が?」


「そんなに毎日勉強勉強って…学校と家を往復するだけの毎日じゃん」


「大丈夫だよ」



わたしは大丈夫。


四季くんに会えなくなってから、どこに行くのも、何をするのもつまらない。



だから真っ直ぐ学校に行って、真っ直ぐ家に帰る。



「そんなに…楽しくない?」


「え?」


「毎日毎日、楽しくないんでしょ?」



突然立ち止まった亜美が、何を言いたいのか分からない。


至極寒いから、こんなとこで立ち止まらないで欲しいとゆうのが本音。



バス停はすぐそこなのに…



「楽しくないから勉強ばっかしてんでしょ?」


「…何言ってるの?」



こうゆう事がたまにある。


噛み合わないとゆうか、理解出来ない。


苛立ちすら感じる程の疎外感。



わたしがいつそんな事を言った?


わたしがそんな風にいつ思った?



沸いてくる怒りをどこに向けて良いのか分からない。



勝手な事を言わないで欲しい。


いい加減な発言をしないで欲しい。



友達なのに、そんな怒りが沸々と湧き上がる。



「あたしは、彩の事を友達だと思ってる」



友達なのに、その発言を白々しいと思ってしまう。



「あのね、彩…」


「もうやめて。バスが来た」



亜美の言葉を無視して、バス停に向かって急いだ。



「彩…」



亜美の呟きを振り切って、わたしは一人…バスに乗り込んだ。



揺れ動くバスの中で、後方の吊革に捕まりながら、横断歩道を渡って帰る亜美の姿を目で追った。



湧き上がるどうしょうもない苛立ちと、少しばかりの罪悪感を抱えて。



亜美はいつからあんな風にお節介な人間になったのだろうか。



いつからわたしは亜美に対して、こんな風にやりきれない思いを抱くようになったのか。



深く考えようにも、思い出せない。



わたし自身、自分がどんな人間だったか思い出せないのだから…



ふと四季くんを思い出す。



やはり彼は、わたしの心の拠り所だったなと思う。


何も知らない短い付き合いだったけど、もう会えないと分かっているからこそ、彼の姿を探してしまう。



四季くんのお見舞いに行ってた頃は、学校が終わるとこのバスに乗って、途中下車をしていた。



丁度、学校と家の間にあった病院。



わたしは毎日、病院で途中下車をする事に楽しみを感じていた。



もうすぐ病院前でバスが停まる。



ここを通り過ぎるようになって、数ヶ月―…



プシューっと、背後でドアが閉まる。



エンジンの音を響かせながら、バスが再び動き出したのを感じた。



「久しぶりだ…」



わたしは数ヶ月ぶりに、病院前でバスを降りた。



降りるつもりは無かった。


寄り道なんてせず、真っ直ぐ家へ帰るつもりだった。



もう四季くんは入院していないのだから、わたしがここへ来る意味は無い。



目の前にそびえ建つ病院を見上げながら、懐かしく思った。



亜美に対する罪悪感と苛立ちが、わたしをここへ来させたのだと思う。



四季くんと会ってた頃を思い出すと、胸が温かくなるから。



だからって、怪我もしてない、病気でもないわたしが、用もないのに病院に入る事が出来ず…



中央の入り口がある場所に佇み、想いに更けていた。



病院内へ入る人が通り過ぎ様にわたしへ視線を向ける。



溜め息一つ吐いて、わたしは踵を返した―…



けど、



「おい、彩だろ?」



目の前を遮るように、突然視界へ入り込んで来た人が、わたしの前に立ちはだかる。



「やっぱり彩だ」


「え…?」


「おまえ何で番号変えてんだよ!」



突然話しかけて来た男子が、わたしに向かって声を荒げる。



「全然顔出しに来ねぇわ、連絡一本よこさねぇわ、どうなってんだてめぇ」


「あの…」


「誰のせいでこんな目に合ったと思ってんだ!」



全く見に覚えの無い男子は、松葉杖を突いてギブスをした足を少し上げて見せる。



「まさか…あいつに乗り換えたんじゃねぇだろうな」



睨みつけて舌を巻く。



「今まで何してた!」



怒り狂ったような口調で脅してくる。



「あの…」



誰か助けてくれないかと、辺りを見渡す。



けど…



「人の話聞いてんのか!」



怒鳴られるからすぐに視線を戻した。



何が何だか分からないのに、とにかく怖くて、咄嗟に病院内へ向かって駆け出した。



「おい!!」



怒鳴る声を背中に受け、恐怖から心臓がドクンと波打つ。



振り返りはしなかったけど、ギブスをした足じゃすぐには追いつけないだろうと思った。



何とか逃れようと、病院内を駆けったわたしはマナーもくそも無い。



四季くんのお見舞いに、何度もこの病院へ足を運んでいたのに。わたしは病院の作りを殆ど把握しておらず、駆け出したのは良いものの…



どこへ逃げようかと考えている間に焦りを感じ、迷わず辿り着ける場所となれば、あそこしかなかった。



エレベーターを待ってる暇が怖いから、隣の階段を迷わず選び、息切れを感じながらも足を止める事はしなかった。



呼吸が荒くなる度に目眩がしそうになるのを気力で振り切り、5階に辿り着いてからもその足を止めることは無い。



ゼェゼェ…と肩で息をしながら、何度も通った詰め所の前を駆け抜ける。


自分の体から湯気が出そうな程、汗が滲んでいるのを感じた。



「ハァっハァっ…」



506と記された病室の前で立ち止まる。



呼吸が荒く、顎が痛くて塞がらない。


唾を何度も飲み込み、幾分呼吸を落ち着かせた。



「な…んで…?」



脳に酸素が回ってない気がする。



「っふぅー…」



呼吸を整え、目を瞑り、ゆっくりと瞼を開けて、もう一度視線を向ける。



「ウエムラ…シキ…?」



そこに無い筈の名前が、居ない筈の人の名前が、書かれていた。



松葉杖の男子が追って来るかもしれないとゆう焦りがあるのに、506号室に書かれた「上村四季」とゆう名前が、脳内をグルグルと渦巻く。



「すみません!」



詰め所へ走ったわたしは、そこに居た懐かしい顔に声をかけた。



もしかしたら、同姓同名の人違いかもしれない。



「あの、506号室の上村四季さんと言う方の所に、以前お見舞に通ってたんですけど、」


「あー、はい」



女性の看護師も、わたしを覚えていてくれたようで、笑顔を見せてくれた。



「あの、四季くんってまだ入院してるんですか?」


「…え?」



その質問に表情を曇らせた看護師は、



「すみません、そう言った事は教えられないんです…」



申し訳なそうに答える。



「でも、あの、506号室に上村四季って名前が…」


「すみません…個人情報なので。お答え出来ないんです」


「わたしの知ってる四季くんかどうかだけでも、教えて頂けませんか?」


「すみません…ご家族以外の方にはお答え出来ないです」



看護師のその言葉に、



「わたし、家族です」



咄嗟にそう答えていた。



四季くんがここへ運ばれて意識を取り戻した時、彼は医師へ確かにわたしを家族だと言った。



「ご家族…ですか?」


「はい!」



嘘だけど嘘じゃない。



事実家族ではないけど、四季くんがわたしを家族だと言ったのは嘘じゃない。



「ちょっと、お待ち頂けますか?」



困った様にそう言った看護師が、少し離れた場所へと移動する。



そして、受話器を手に取り会話をすると、電話を終えて再びわたしの元へと近づく。



「すみません、ご家族の申請の中にあなたのお名前はありませんでした…」


「じゃあ、わたしが知ってる四季くんじゃないって事ですか?」


「…すみません。何もお答え出来ないので…お引き取り願います」



看護師はそう言って、わたしに背を向けた。



虚しいのに、胸の奥がざわつく。



病室に入って確かめたいけど、わたしにはそこまでする度胸が無い。



周りの目がある公共の場で、無茶が出来る程無鉄砲にはなれない。



背を向けた看護師に言葉はかけず、静かにその場を離れた。



階段を降りる気には成れなくて、エレベーターの前に立つ。



エレベーターのドアが開いたから、ゆっくりと乗り込んだ。



1階に向かうエレベーターの中で、四季くんの顔を思い浮かべた。



もう、忘れそうだよ…



チンっと音が鳴り、エレベーターが1階に到着する。



開かれたドアから外に出て、出口へと向かって病院内を歩いた。



506号室に書かれた「上村四季」とゆう名前が、どうしても四季くんだとしか思えない。



もし、四季くんなら…退院したってゆうのは嘘?



唯一の拠り所だった四季くんに嘘を吐かれていたのなら、彼はわたしの敵か、味方か…



もう何が何だか分からない。



四季くんじゃないかもしれない。


だけど四季くんかもしれない…



現状だけ見れば、506号室の「上村四季」は、四季くんとしか思えない。



自動ドアが開き、冷たい外気が体を震わす。



肩に掛けた鞄をギュッと脇で閉め、寒さから体を縮めた。



後ろ背に、自動ドアがゆっくりと閉まり、



「おい」



また開いた。



その低い声に振り返ると、松葉杖を付いた男子がさっきわたしが出た自動ドアの前に立っている。



四季くんの事ばかり考えていて少しだけその存在を忘れていた所為で、恐怖と驚きから声が出なかった。



体が僅かに震えたのは、寒さの所為じゃない。



「何で逃げた?」



不安定な足取りで少しずつ近づいてくる男子に、反射的にわたしも離れるように下がる。



「彩!」



怒鳴られたと同時に、自動ドアが開いた。



だけど病院内の人は誰もわたし達に目を向けてくれない。



「こっちに来い」



そう言うと、松葉杖を突きながらわたしの腕を掴んで、入り口から離れるように連れて行かれた。



自動ドアが、無残にも閉まる…



わたしと同世代ぐらいの男子は、私服姿で実際の年齢は掴めない。



「今まで何してた」



入り口から少し離れた敷地内で立ち止まると、すかさず怒りを含んだ言葉が飛んでくる。



「わたしっ…」


「あぁ?」



その不機嫌な態度に、おのずと声が小さくなってしまう。



「わたしっ、あなたの事知らないです…」



意を決してそう口にすると、男子は更に怒り狂った表情へと変わる。



「何だそれ…」


「ほっほんとうに、」


「ふざけてんのか!!」



ギリギリと耳に響く怒鳴り声に、肩が揺れた。



「怖い…」


「はぁっ?」


「怖いっ」


「何言ってんだぁ?」



怒鳴る事をやめてくれないから、わたしの頭も心も整理がつけられない。



「わたっわたしっ、」



どうして知らないこの人にこんなに怒鳴られてるのか分からない。



「怖いっ…怒らないでっ…」


「うるせぇ!殴られてぇのかこらぁ!!」



松葉杖が高く振りかざされたのが見えて、咄嗟にぎゅっと目を瞑った。



その時、音が鳴っている事に気づく…



それは、携帯の着信を知らせる音。



ゆっくり目を開けると、



「今急がしいんだよ!」



目の前の松葉杖をついた男子が、電話に出ていた。



耳に当てられた携帯電話は、わたしのと同じ機種の物。



だけど色が違う。



「病院に来たら彩が居たんだよ! はっ?知らねーよそんなの!こっちが聞きてぇよ! たまたま見つけた!診察終わって病院出たら彩が居たんだよ!」



興奮してる所為で、まくし立てるように電話の相手へ述べると、わたしへ視線を向け、



「もうどこにも逃がさねぇ」



まるでわたしに言ってるかのような発言をした。



暫くして電話を切ると、



「俺が入院してる間、何してた?見舞いにも来ねぇで良い度胸だな」



再び向けられた視線。



「わたしっ…」


「まさかあの野郎と会ってたんじゃねぇだろうな!」


「わたっわたしほんとにっ…」



あなたなんて知らない…



「クソっ!もっと早くやっとくべきだった!あの野郎に色目使いやがって!」


「何言ってるのか分からないっ…」


「てめぇが余計な事言うから、俺がこんな目にあったんだろうが!!」


「何っ…」


「おまえが言う事聞かねーから俺を怒らせんだろ? こそこそあいつと会いやがって… 顔を殴られなかっただけ感謝しろ! おまえに隙があるからあの野郎が近づいてくるんだ!」



今にも殴りかかって来そうな勢いに恐怖を感じて、わたしは訳も分からず「ごめんなさい」と何度も謝った。



「ごめんなさいっ…」


「謝って済むんなら警察なんかいらねぇんだよ!」


「ごめんなさいっ」


「うるせぇ!こっち来い!」



怒鳴られたのと同時に腕を掴まれ、



「さっさと歩け!」



抵抗も虚しく乱暴に歩かされた。



「いっ…」



言葉にならない声は、誰にも届かない。



「クソっ!うまく歩けねぇ」



文句を言いながら歩く男子に、為す術がない。



「わたしっ…本当に分からないんです…!」



どれだけ訴えても、届かなかった。

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